映画コラム

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2017年01月15日

『沈黙-サイレンス-』/〝信仰〟と〝映画愛〟で巨匠マーティン・スコセッシは完成する

『沈黙-サイレンス-』/〝信仰〟と〝映画愛〟で巨匠マーティン・スコセッシは完成する

■「〜幻影は映画に乗って旅をする〜」


沈黙-サイレンス- 仮メイン


(c) 2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved.


ちょうど半世紀前に遠藤周作が発表した小説「沈黙」。のちに篠田正浩監督によって『沈黙 SILENCE』として映画化された同作が、マーティン・スコセッシの手によってハリウッドで再映画化されたのだ。
だが、これを〝リメイク映画〟という安易な括りにまとめ上げるのは気が引ける。何故なら、かつて神職者を志したマーティン・スコセッシが、長きに渡り映画化を熱望し、難航に難航を重ねてようやく完成に漕ぎ着けた本作は、彼の映画監督として、ひとりの人間としての到達点なのだから。

〜幻影は映画に乗って旅をする〜vol.15:『沈黙-サイレンス-』/〝信仰〟と〝映画愛〟で巨匠マーティン・スコセッシは完成する>

江戸時代初期の長崎。イエズス会の宣教師フェレイラが、日本の宗教弾圧に屈し、棄教したことを告げられたロドリゴとガルペの二人の宣教師は日本に渡る。そこで幕府による厳しい取り締まりの中で、キリスト教を信仰し続ける〝隠れキリシタン〟の人々を目の当たりにした彼ら。やがて自らも囚われの身となったロドリゴは、信仰心のために殺められていく人々を前に、〝信仰〟とは何かを自問し始めるのであった。

移民で溢れ、あらゆる文化が入り混じるニューヨークのダウンタウンで育ったマーティン・スコセッシは、少年時代から神職者を志し、映画を学ぶ以前は神学校に通っていたという経歴の持ち主だ。それゆえ彼のフィルモグラフィには常に、アメリカ社会に生きる人間が抱え続ける〝信仰〟の姿が見え隠れしている。それは代表作『タクシードライバー』や『レイジング・ブル』でも決して例外ではない。トラヴィスもラモッタも、自身の信念の中で模索し続けているのだ。
スコセッシ作品における〝信仰〟への飽くなき問いを象徴する作品は2作ある。いずれも、彼が長い年月を掛けて構築していった、ライフワークと呼べる作品。

ギャング・オブ・ニューヨーク(字幕版)



生まれ育ったニューヨークにおける他民族文化と、その中で揺らぐ信仰の姿を描き出した『ギャング・オブ・ニューヨーク』は2002年に発表された。世界同時多発テロによって公開が延期になったこの物語は、ニューヨークを舞台に、アイルランド移民の青年が街を牛耳る先住民族の男に復讐を遂げる超大作だ。
異なる民族を受け入れることは、異なる信仰を持った者を受け入れることと同じである。『ドアをノックするのは誰?』で映画監督としてのキャリアをスタートさせた直後から30年かけて構想を重ねていったこの映画からは、民族が違うというだけで憎しみ合う人間の愚かさ、そして自己と他者の間で揺れる〝信仰〟が描き出される。まさに、『沈黙-サイレンス-』と重なる作品といえよう。

そして、同作と同じくキャリア初期に構想がスタートした『最後の誘惑』もまた、キリスト教を題材にし、〝信仰〟の存在を問うた。

最後の誘惑 (字幕版)



バチカンから禁書に指定された、ギリシャの哲学者ニコス・カザンヅァキスの小説を基に、イエス・キリストを一人の青年として描き出したこの作品が、製作の過程と完成後に、強い反発を受けたことは言うまでもない。準備が進んだ段階においても、反発の煽りを受けて製作会社が撤退するという事態に見舞われたのである。
そして苦節15年の歳月を賭けて、ようやく完成された作品は、スコセッシ作品の中では決して高くない評価ではあったが、彼の人生を賭けた挑戦が評価され、アカデミー賞の監督賞候補に挙げられたのだ。

奇しくも、この『最後の誘惑』の撮影が終わった直後に彼が出会ったのが『沈黙-サイレンス-』の原作だ。この時から、今日に至るまで28年間、映画化を切望したのだと、彼はインタビューで語っていた。
60年代後半から始まるスコセッシのキャリアは、この3本の映画によって支えられていたといえよう。そして『ギャング・オブ・ニューヨーク』を完成させた後、悲願のオスカー監督にのぼりつめるなど円熟期を迎えた彼の作品は、すべてこの『沈黙 -サイレンス-』に注がれるために存在していたのである。

一方で、その間に撮られていた作品は、ひとりの人間としてのスコセッシではなく、映画監督としてのスコセッシを象徴しているといえるだろう。
ハリウッド黄金期を作り出したハワード・ヒューズの伝記であったり、敬愛するジョルジュ・メリエスの逸話であったり、時にはミステリーやギャング映画を手掛けたりと、いずれも映画人としての彼を形成してきた〝映画愛〟が前面に押し出されている。
それは今回の作品でももちろん見受けられる。アンドリュー・ガーフィールド演じるロドリゴが五島に渡る船に乗る場面で、海面を漂う一隻の小さな船と、それを取り囲む濃い霧のショットは、彼が最も愛する日本映画である溝口健二の『雨月物語』の一場面そのものである。

長年模索し続けた問いと向き合ったライフワークをすべて完成させ、しかもそこにこの半世紀の間、彼を支えてきた映画への愛情を込めた。『沈黙-サイレンス-』で、マーティン・スコセッシが完成したと言っても過言ではない。74歳を迎え、まだまだ大いなる活躍に期待したい今、彼の魂を支える作品は他にあるのだろうか。
『沈黙 -サイレンス-』は1月21日(土)から全国公開。

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(文:久保田和馬)

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