日本映画黄金時代を象徴する名女優・久我美子

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.48

現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

日本映画黄金時代の名作群を見続けていますと、その姿を見かけないことはないほどに、当時の名匠巨匠たちの作品に出演しているのが久我美子です。

久我美子

華族出身という出自を活かし、あるいは裏切り、さまざまな監督たちに厳しく指導されながら、いつしか名女優として台頭していった彼女。
リスペクトを捧げる映画人や映画ファンは、今も多数存在しています……。

周囲の反対を押し切って
映画界入りした華族令嬢

久我美子は1931年1月21日、東京市の生まれ。家は公家華族の中でも五摂家と並ぶほどの家柄で、父は久我(“こが”と読みます)家42代目当主で貴族院議員。母は鼈甲問屋の出で芝居好きということもあり、幼いころから良く映画を見に連れて行ってもらっていたそうです。

敗戦後の46年、東宝第1期ニューフェイス募集が告知され、戦前戦中から一転して厳しくなってきた家計を少しでも助けようという想いから、家族で内緒で応募。4000人の中から男16人、女32人の合格者のひとりとなりましたが、さすがにまだ華族制度が存続していたもので、「侯爵家の令嬢が映画女優のような水商売ごときの仕事をやるとはけしからん!」と、特に祖父が大反対。結局、戸籍を親戚筋に移して東宝に入社しますが、翌47年に華族世襲財産法が廃止されたことで、性を久我に戻すことができました(ただし、芸名としての読みは“くが”となりました)。

同年、東宝大争議のあおりを受けて社内が俳優不足になったことで、彼女もいきなりオムニバス映画『四つの恋の物語』の第1話「初恋」(豊田四郎監督)で池部良扮する高校生に憧れる女学生ヒロインとして映画デビューを果たします。

このとき、さすがに演技初体験ということもあって何度もNGを出して、日ごろ優しい助監督からカチンコで頭を叩かれたりもしたそうです。

第3作の成瀬巳喜男監督『春のめざめ』(47)では長野県美ケ原の55日に及ぶロケ中に体調を崩してげっそり痩せほけてしまい、以後、小柄で痩身というイメージが定着。黒澤明監督『醉いどれ天使』(48)の純真な女学生役は、この時期の彼女を象徴的に描いていたようにも思えます。

この後、東宝は第3次労働争議に突入し、久我美子らニューフェイスも渦中に巻き込まれ、自立俳優クラブの一員として地方公演などを行いつつ、成瀬監督が東横で撮った『不良少女』(49)や松竹・渋谷実監督『朱唇いまだ消えず』(49)と他社出演。このとき渋谷監督からは「それが芝居かい?」とかなりきつくしごかれたそうです。

そんな彼女が一躍注目されるようになったのは、50年の今井正監督作品『また逢う日まで』でした。戦時下を舞台にした若者たちの悲恋劇という内容もさながら、岡田英次と交わすガラス越しのキスシーンも大いに話題となり、またここで彼女は今井監督から徹底的に鍛え上げられ、演技開眼。溝口健二監督『雪夫人絵図』(51)ではヒロインを敬慕する女中を、黒澤監督『白痴』(51)ではドストエフスキーの原作ではアグラーヤにあたる強い自我を持つ貴婦人を凛として演じました。

51年には大映と契約し、市川崑監督『あの手この手』(52)や久松静児監督『妖精は花の匂いがする』(53)などに出演しますが、他社でも田中絹代の監督デビュー作『恋文』(53)や今井監督『にごりえ』(53)にも出演しています。

こういった巨匠名匠たちに鍛え上げられながら、久我美子は確実に映画の申し子としての才覚を発揮していくようになりました。

絶頂期の1950年代後半
リスペクトされ続ける現在

そしてフリーになった54年、木下惠介監督『女の園』では上流階級出身で大学の偽善に反抗する女学生を熱演し、島耕二監督『風立ちぬ』ではヒロイン、溝口監督『噂の女』、市川監督『億万長者』、そして小林正樹監督の松竹大船時代を代表する『この広い空のどこかに』など、主演助演問わずさまざまな役を好演し、同年度の毎日映画コンクール女優助演賞を受章するに至りました。

またこの年、岸惠子、有馬稲子とともに文芸プロダクション・にんじんくらぶを創立し、より自由な映画活動に邁進していくことになります。

56年も木下監督『夕やけ雲』『太陽とバラ』、久松監督『女囚と共に』でブルーリボン賞女優助演賞を受賞しました。

この後も久我美子は順風満帆にキャリアを進めていき、五所平之助監督『挽歌』(57)、川島雄三監督『女であること』(58)、稲垣浩監督『柳生武芸帳』(57)、関川秀雄監督『季節風の彼方に』(58)、小津安二郎監督『彼岸花』(58)、野村芳太郎監督『ゼロの焦点』(61)などなどそうそうたる名匠たちの作品に出演し続けていきますが、61年、稲垣監督の媒酌で俳優の平田昭彦と結婚(彼からの熱烈な求愛だったそうです)。これを機に、徐々に映画出演は減っていき、70年代以降はテレビのほうへ仕事の主軸を傾けていきます。

84年、夫・平田昭彦が56歳の若さで死去。そして89年、東宝特撮映画の顔でもあった彼にオマージュを捧げるかの如く、ゴジラシリーズ第17作『ゴジラVSビオランテ』に彼女は官房長官の役で出演し、特撮映画ファンの胸を熱くさせてくれました。

この後、竹中直人に乞われて初監督作品『無能の人』(91)に、また脚本家・中島丈博の監督作『おこげ』(92)、柄本明の初監督作品『空がこんなに青いわけがない』(93)など、出番そのものは多くないものの、それまでのキャリアに敬意を表しての出演オファーが急増。竹中監督第2作『119』(94)では毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞しています。

その後、竹中監督『東京日和』(97)角川春樹監督『時をかける少女』を経て、2000年の秋元康監督作品『川の流れのように』を最後に、芸能界の表舞台からは離れたまま、現在に至っています。

もし戦争で日本が勝っていたら久我美子が映画界入りすることはなかったでしょう。しかし、敗戦という事実は一方で稀代の名女優を登場させることに繫がりました。

彼女の終始一貫して礼儀正しい姿勢を愛してやまなかった稲垣浩監督は、「敗戦は久我家にとっては幸福とはいえなかっただろうが、美子さんにとっては自由に生きる道が開かれたといっていいのではないか」と評しています。

映画ファンにとっても、それはまったく同じ想いでしょう。

(本連載は、今回で最終回となります。ご愛読ありがとうございました)

(文:増當竜也)

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    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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