インタビュー

2015年05月26日

鬼平、梅安、小兵衛…。故・池波正太郎さんが名キャラクターを生み出した書斎を訪れた

鬼平、梅安、小兵衛…。故・池波正太郎さんが名キャラクターを生み出した書斎を訪れた

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2016年のNHKの大河ドラマ、主役は真田幸村ですね。ゆかりの地・信州の上田で盛り上がりを見せているのではないでしょうか。

さて、この真田幸村をはじめ真田家を描いた小説があります。『真田太平記』といい、幸村と幸村の兄・信之、父・昌幸の生き様と真田家の生き残りを描いた小説です。人気シリーズ『鬼平犯科帳』『仕掛人 藤枝梅安』『剣客商売』と並ぶ故・池波正太郎さんの代表作です。

このたび池波さんが名作を生み出した書斎にお邪魔する機会をいただき、池波正太郎記念文庫の指導員でもあり長きにわたって池波さんに師事されていた鶴松房治さんに池波さんの思い出やエピソードを語っていただきました。

応接間には、池波さんが好きだったこけしや猫の像が


都内某所の池波邸にお邪魔させていただきました。いかにも日本家屋といった趣の家を想像していたのですが実際は鉄筋建てのモダンな雰囲気。50年前に建てられたということを想像すると、池波さんの感覚の若さを感じます。

まず通されたのが応接間です。ご存命の時とほぼ変わらぬままの状態だそうで。
かつて池波さんを担当した編集者はみなこの部屋に通され、池波さんの原稿を待っていたそうです。池波さんは池波さんで、自宅にいるときの多くを書斎とこの応接間で過ごされていたとのこと。食事もここで取られていたそうですよ。

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池波さんがこけしと猫を好きだったのはファンの方はご存じかもしれません。若くして亡くなった従兄のこけしを預かり、そのあと自らもコレクションしたというこけしは、一時期は50本もあったといいます。それを見て和んでいたであろう猫の像も、この応接間に飾ってありました。

池波さんのお話を聞く


鶴松さんから様々な池波さんのエピソードを教えてくださいました。
とりわけ印象に残ったのは以下の二つのエピソードです

人間の両面性


池波さんはソニーからウォークマンが出た時にすぐに購入するような新しい物好きである反面、江戸の名残の風景も大切にしている両面性を持っていたそうです。

新しい物好きだけれど江戸の風景も大切にしているといったあたり、池波小説に出てくる人間の両面性を表しているような感じがしてグッと来ます。

名言・箴言 | 池波正太郎 公式サイトにも出てくる鬼平犯科帳の中の明言
「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。
善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。
悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」

(『鬼平犯科帳 二 谷中いろは茶屋』より)

この「遊びながらはたらく」「善事をおこないつつ悪事をやってのける」といった両面性が、池波さん自身にもあったのだな、小説の体裁を借りたリアルな話なのだなあと自分の中で納得してしまいました。

編集の方から生まれるアイディア


とりわけ印象に残ったのは『仕掛人 藤枝梅安』誕生の1エピソードです。編集者の名前が「彦次郎」さんだったのです。

そうです、梅安の仕掛人の仲間で吹き矢を得意とする房楊枝職人の名前が「彦次郎」。編集の方のお名前だったのです。小説の主要人物の名前に編集者の名前をつけるというのは、池波さんと編集者の方がそれだけ太い絆で結ばれていたということではないでしょうか。

編集者の方とは書斎で色々意見交換をされたそうです。その中で新しいアイディアが生まれ、名作が誕生したそうですよ。
今時の作家やライターはメールで原稿を入稿するということが多いようですが、編集の方と直接膝をつき合わせて話すというのも良いのだなと思わされました。

鬼平も剣客も梅安も、この応接間で池波さんから編集者へ引き継がれていったのだなあ。

これを感慨深いと思えるのは、時代小説が好きな人であれば理解してもらえるのではないでしょうか?惜しむらくはその現場に立ち会えなかったことです!

数々の名作が生まれた書斎を見学する


続いてご案内いただいたのが2階の書斎です。ここで様々なキャラクターが生まれました。
亡くなって25年とは思えない、そのときの様子がそのまま残っているかのような書斎でした。

入り口からすぐの右脇に池波さんの机・椅子があります。まるで資料に囲まれているかのようです。

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今は池波さんの著書がぎっしりと並んでいる背もたれ側・右側の本棚ですが、当時はここに資料がたくさん入っていたのでしょう。
両方の本棚へは池波さんが座ったまま手が届くレイアウトになっており、効率的に文章を書けるようになっています。

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と、そこにあったのは池波さんが使っていた原稿用紙。自分は原稿用紙で文書を提出してお金をいただいたことがありませんが、作家の方はどのような原稿用紙を使っているのか、と見てみました。
400字詰め原稿用紙ではあるのですが、真ん中下段に書かれているのは「池波正太郎」の文字。つまり、池波さんオリジナルの原稿用紙なんですね。一流の作家になるとこういうものなのか・・・初めて知りました。この原稿に文章書いたら、筆者も文豪になれますかね・・・。そうそうなれるものではありませんが、夢を見るのは自由です。

発想が子供っぽいですが、今ここに座ったら本当に良い小説がかけるんじゃないか。そのような錯覚ができる環境がそのまま残っていました。

机の上には資料あり、万年筆あり、文鎮あり、と今すぐにでも名作が生まれそうな雰囲気にあふれています。赤鉛筆もあって、本来なら編集の方が入れるような句読点のチェックまで池波さんが行うこともあったそうです。

書斎奥のベッド


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ベッド上にある江戸古地図


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書斎の奥の方にベッドもありました。寝室ではなくここで休まれることも多かったと聞きます。本当に書斎と1階の応接間が生活の拠点だったのですね。質の良い作品を大量に創作されていたということは本当に寝食を忘れて精力的に書き続けられたのだなと想像できるベッドの配置でした。

人情、グルメ、人の生き方を極め、それを小説という媒体に載せて人々に伝えた池波さんの、かつての生活を少しだけ垣間見ることができたような気がしました。

ゆかりの品を拝見


池波さんの仕事場を見学した後は、ご自宅からほど近いところにある事務所に場所を移し、ゆかりの品をいくつか見せていただきました。

表札


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池波さんはご自宅の表札を自筆で書かれていたそうなのです。亡くなる年の表札は、書きかけで終わっていました。正太郎の「朗」の字の一画目まで書かれていたのです。
それにしても池波さんの字が味わい深いです。一般人ですと自分の名前は書類などにしか書かず、しかもパソコンであることが多いでしょう。手書きで自分の名前を大量に書かれる方ならではの、デザインとして見ても美しい文字だなと感じました。

身の回りの品


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愛用されていたと思われる眼鏡、パイプ、たばこも保存されています。筆者はたばこを吸いませんが、缶のPeaceはそれだけで懐かしさを感じます。

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実際に池波さんがくゆらせていたであろうパイプも手に取ることができました。なんとなくですがパイプには「昭和の文豪」のイメージがあります。池波さんはそれがお似合いでしょうし、複数お持ちであるところも、やはりお洒落な方なのだなと思わされます。

「男の作法」といったエッセイ集も書かれている池波さん。粋とは何かということを池波さんの小説やエッセイを通じて理解したつもりになっている筆者には、このような小物の質感に触れられるだけでも有難いものです。

ゆかりの品を手にとって見られたのは、取材者という立場を越えてうれしいものでした。

日本文藝家協会会員証


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愛用のカメラ


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書斎に並べられたPeaceの缶


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今年の「池波小説」は注目


生前のエピソードを知り、書斎を見学し、身の回りの品を手に取ることができました。小説や時代背景の勉強だけでなく、作家を知ることで作品の楽しみ方が大きく変わるものですね。

池波さんは今年、没後25年です。冒頭の大河ドラマによる真田ブームもあり、今年から来年にかけての池波さんは時代小説ファンや時代劇ファンには露出の高い作家となるのではないかと思っています。ファンとしては楽しみな一年です。

<取材・文:奥野大児>

池波正太郎 公式サイト
http://ikenami.info/

公式facebook
https://www.facebook.com/ikenami.shotaro

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