勅使河原宏監督作品『利休』『豪姫』の “美は揺るがない”



“男なら関白の器”を持った姫と
利休の弟子の交流を描いた『豪姫』


『利休』の好評を受けて、勅使河原監督は続けて、その後の日本芸術史ともいえる『豪姫』を92年に完成させます。
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これは、富士正晴の『たんぽぽの歌』(後に『豪姫』と改題)を原作に、前田利家の娘で秀吉の養女となった男勝りの豪姫と、利休の死後、豊臣秀吉の茶頭となった古田織部の長きにわたる心の交流を通して、『利休』同様に戦国時代から江戸太平の世へと移り変わっていく歴史の流れの中、芸術とは何かを問うていくものです。

豪姫に扮した宮沢りえは、撮影時17歳で発表したヌード写真集『Santa Fe』(91)が155万部のベストセラーになるなど、当時はスキャンダラスな話題でマスコミの興味を集めていましたが、今回のおよそ40年におわたる“男なら関白の器”とまで称された女の気性を見事に演じ切り、彼女自身が女優として“関白の器”であったことを広く知らしめることになりました。
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一方、古田織部に扮した仲代達矢は、勅使河原監督の初期傑作『他人の顔』(66)に主演しており、ここでも静謐な佇まいの中から芸術家の頑ななまでの姿勢を堅持し続けることで、勅使河原監督の期待に見事応えてくれています。

実際、勅使河原監督の想いは豪姫よりも古田のほうに注がれている節も感じられ、そこが本作のバランスを今一つ崩してしまっているような感もありますが、それでも芸術とその美に対する執着の強さが薄れるところはありません。
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また『利休』『豪姫』のルネッサンス2部作を語るときに外せないのは武満徹の音楽でしょう。50年代からずっと勅使河原監督とともに芸術活動を行ってきた名作曲家の研ぎ澄まされつつも円熟した音の一つ一つの響きは、今ののっぺんだらりと垂れ流し気味な映画音楽とは一線を画した、まさにアートと呼ぶにふさわしい貫録がみなぎっています。
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そして、『豪姫』を遺作映画とし、勅使河原宏監督は2001年4月14日に74歳で世を去りました。

その翌年、米アカデミー賞授賞式で年度内に逝去した偉大な映画人を讃えるコーナーの中に勅使河原監督も含まれていました。
彼の名と写真が壇上のスクリーンに映し出されたとき、場内のハリウッド映画人たちから一斉に温かな拍手が沸き起こるとともに、日本が生んだ偉大なる“ルネッサンス人”の死を悼み、おくられました。

私自身、今回久々に勅使河原監督作品を見直しつつ、日本映画のルネッサンスを今一度期待したい気持ちになっています。

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(文:増當竜也)
(C) 1989 松竹株式会社 (C) 1992 「豪姫」製作委員会

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