映画コラム

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2017年03月24日

『おおかみこどもの雨と雪』賛否両論の理由を考える:なぜ狼の姿でベッドインしたのか?【解説/ 考察】

『おおかみこどもの雨と雪』賛否両論の理由を考える:なぜ狼の姿でベッドインしたのか?【解説/ 考察】


2:細田監督の“理想の姿”が表れていた



実は本作のアニメの製作現場では、前述のSEXの描写を省略したほうがいいのではないか、という声も挙がっていたのだそうです。それでも細田守監督が意思を曲げなかったのは、自身が作家として譲れない“こだわり”があったことが理由にほかなりません。

例えば、書籍「アニメスタイル001」にて細田監督は「いつも着想の根本にあるのは、その時に自分自身が抱えている人生の問題であったり、誰かに相談したりできないプライベートな問題なわけです。だから余計に、普遍的なものにしたいと思うのかもしれないけどね。自分個人の問題意識をそのまま映画にするんじゃなくて、自分がつまずいているところから飛び越えた地点にある理想みたいなものを見てみたい」と語っています。

そのほか、「アニメージュ オリジナルvol.4」では、「映画とは人生を描いた作品のことだと思うんです。人生をある角度から切り取って、ある種の価値観を表現することが、映画の命題だと考えています」とも話しています。

つまり、細田監督は自身の作品について“自分の人生経験を踏まえた理想を描きたい”、“何かの価値観を提示したい”と考えており、それでいて自分の問題意識をそのまま映画にはしない、と言っているのです。

本作『おおかみこどもの雨と雪』の主人公の花の“母親”としての姿も、細田監督のある種の理想とも言えるでしょう。しかし、この母親像こそが“あまりに身勝手である”や“母親を天使のような存在として描きすぎている”など批判を生む原因にもなっていました。

しかし、個人的には、この主人公が監督の“理想”であったとしても、冷静な視点からの“愚かさ”も描かれていたので、決してそれは作り手の価値観を押し付けるものではない、一概に否定するものではない、と感じました。次の項では、作中で提示された、その根拠を紹介してみます。

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(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会

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