映画コラム

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2017年09月29日

なぜ『天空の城ラピュタ』は飛び抜けて面白いのか?キャラの魅力と宮崎駿の作家性から理由を探る

なぜ『天空の城ラピュタ』は飛び抜けて面白いのか?キャラの魅力と宮崎駿の作家性から理由を探る



5:“描かなかった”こそ生まれた“想像”に感動があった!




(C)1986 Studio Ghibli


こうして振り返ってみると、パズー、シータ、ドーラ、ムスカという主要キャラクターの立ち位置や性格、どのような価値観を持っているか、ということははっきりと表れています。それを長々と説明したりはせず、ワクワクする活劇の中に溶け込ませている、というのも『天空の城ラピュタ』の面白さの根源なのではないでしょうか。

さらに、本作はファンタジックな世界の“実在感”も特筆に値します。イギリスのウェールズ地方をモデルにした自然の美しさもさることながら、ついに降り立ったラピュタの壮大さ、幻想的な光景には言葉にできないほどの感動があります。そのラピュタについて、くどくどと歴史や経緯を説明せず、“そこにある”とだけ示すことも、ミステリアスな雰囲気に浸り、想像力を喚起させるという面白さにもつながっているのでしょう。

実は宮崎駿自身、ラピュタはどのような構造になっているか?と問われると、「どんな理屈でもくっつくから特に考えてはいない」「なんで浮いているかといったって、浮いているんだから(笑)」「ものごとに何か理由をつけないと落ち着かないというのは、想像力の領域に対する自信のなさだと思います」と答えるなど、作中の設定を説明することにうんざりしているところがあるようです。確かに、絵で見ると“確かにラピュタは浮いている、そこにある”という理屈ではない実在感があるのですから、それに何かと設定を付け加えたりするのは野暮というものかもしれませんね。


(C)1986 Studio Ghibli


その一方で、宮崎駿は設定段階で「いろいろとうじうじと考えてある」こともあったと語っています。例えば「ラピュタの木が巨大化したのは、飛行石のもとが山の上に木を生やす力を持っているため」だとか、「幼いシータが1人で生活を営めたのは、家の暖炉に隠してあった飛行石のおかげで畑がよく実ったから」だとか、「なぜラピュタは雲に隠れているか」や「ラピュタではなぜ風が逆に吹いているか」といったことまで……そういった映画本編にはない設定があったとしても、宮崎駿は「そういう理由づけは、しょせんでっちあげなので、言ってもつまらなくなる」、「絵コンテ作業に入るとそういう設定がぜんぜん入らなくなるので、一気呵成に物語を進行させるしかない」などと語っており、やはり「映画に入り切らないところは、語らなくても良い」という信条があるようです。

『天空の城ラピュタ』を初めとした宮崎駿作品に、「いろいろなことに想像が膨らむ」「何回観ても新しい発見がある」という魅力があるのは、これが理由なのではないでしょうか。


(C)1986 Studio Ghibli


わずかなセリフや描写から、映画で描かれていない“行間”にも「こういうことじゃないか」「もしかするとこうかもしれない」と観る人それぞれの想像が広がり、それでいて一本の筋が通ったワクワクする活劇があり、圧倒的な絵の力によりファンタジックな世界の実在感がある……これが名作と言わずして、何だというのでしょうか!

さらに本作のラストは、ラピュタが(途中まで)崩壊し、そして宇宙へ飛びだっていくという、「もう戻ってこない」という喪失感もあるものでした。それは、「もう終わってしまう……」という、ワクワクする物語の終焉を見届ける時の寂寥感にもリンクしています。この“ハッピーエンドにほんの少しの哀しさもある”というのも『天空の城ラピュタ』が観客の心を掴んで離さない、何度でも観たくなる理由の1つなのではないでしょうか。

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