2つのセックスは「生」と「死」を描く?岸井ゆきの主演『おじいちゃん、死んじゃったって。』
(C)2017「おじいちゃん、死んじゃったって。」製作委員会
11月4日から全国公開している『おじいちゃん、死んじゃったって。』
筆者も密かに今か今かと待ちわびて、ついに映画初主演を務めたのが、女優・岸井ゆきのさんです。
昨年の7月にも岸井さんを特集する記事を執筆しましたが、今回また新たな一面を発見できた気がします。
今回は、本作での岸井ゆきのさん、演じた吉子という女性について考えてみました。
『おじいちゃん、死んじゃったって。』あらすじ
自宅で彼氏とセックスしていたところに、祖父の訃報の電話を受けた主人公・春野吉子(岸井ゆきの)。慌ただしく通夜や葬儀の準備が進むなか、久しぶりに集まった家族たちからも悲しそうな様子は見られません。
離れていれば知るはずのなかった秘密やそれぞれが抱える出来事、家族、親戚の煩わしさが、祖父の死をきっかけに皆で顔を突き合わせることで表面化します。
自己中心的ともとれるそれぞれの言い分に釈然としない吉子でしたが、吉子自身も、祖父が死んだ時にセックスしていたことに罪悪感を抱いたまま、通夜や葬儀をただただ形式的にこなしていくしかありませんでした。
その過程で家族や親戚の本性、本音に触れ、吉子にも少しずつ心境の変化が見られるようになり……。
「ひとりの女性」を演じた岸井ゆきの
岸井さんが演じた吉子はこれといって特徴があるわけではなく、主人公らしくない、主人公です。他の登場人物に溶け込み、ひとりの女性として存在していました。本作は、この点にとても意味があります。今回は3つのポイントに分けました。
1:家の顔と、よそ行きの顔
まずは「女優・岸井ゆきの」についてです。
今回演じた吉子は、彼氏がいて、本音で話せる男友達(けーすけ・松澤匠)がいて、両親と弟がいて、旅行会社に務めるどこまでも「普通の女の子」という印象でした。
あえて言うなら、どちらかというとスパっとしていて快活なタイプの女性ですが、どこか鈍感なところや、涙を堪えるような場面、タバコを吸う一面から言葉にならない想いをお酒で誤魔化す様子まで色々な要素を持っていて、だからこそ振り切った特徴がなく「普通」なのでした。
その中で、家族に向ける顔と、親戚に向ける顔の表情にははっきりと違いがありました。いわゆる「よそ行きの顔」ってありますよね。頻繁に顔を合わせないと、血縁関係にあっても「よそ行きの顔」になってしまうものです。意識して演じたかはわかりませんが、それを見事に演じ分けていたのはさすがの一言です。
親戚に対しては「よそ行きの顔」なのに、気負いなく話せるけーすけを前にしたら、気の抜けた表情だったのもまた女性らしくて吉子に親しみを覚えました。
以前、トークバラエティ『A-Studio』(TBS)で笑福亭鶴瓶さんが「”普通”を演じるのが一番難しい」と話していたことがありましたが、まさにその言葉を、今作の岸井さんにも送りたい気持ちです。
2:「女性の一生」の一部を担う吉子
『おじいちゃん、死んじゃったって。』は、タイトルこそ「おじいちゃん」ですが、ストーリー的に重要だったのは「おばあちゃん」でした。だから、観る人によって「女性の人生の物語」とも「男性の人生の物語」とも取れる気がします。
岸井さんが「普通の女性」としての微細な変化を巧妙に演じ分けた一方で、「女性の人生」の一部を担っていた吉子は「女の子」であり「大人の女性」でもありました。それはとても曖昧な違いで、明確な答えはありません。
今作には、家族、親戚という形で様々な女性たちが登場しています。
*吉子の従姉妹にあたる高校生の千春(小野花梨)
唯一、完全に「女の子」の立場で登場したのが千春です。反抗期なのか親の言うことをまともに聞かず、タバコを吸ったりお酒を飲んだりするような”ワルさ”もありながら、制服からパンツが見えても気にしない、子どもらしさも持っていました。
*叔母・薫(水野美紀)
薫は容姿に恵まれ、仕事でお金と地位を手にしていて、結婚を選ばなかった女性です。吉子と薫がタバコを吸いながら語らうシーンがいくつかありましたが、本音をこぼす薫と、それを聞き入る吉子はとても印象的でした。
吉子が耳を傾けようとしたのは、親戚一同のなかで唯一祖父の死(薫にとっては父親)に悲痛な様子を示したからかもしれません。後半の吉子の決断は、薫の一言があってこそで、薫の母親(= ハル)に対して想いを吐露する場面も涙なしには見られません。
*吉子の母・京子(赤間麻里子)
夫・清二(光石研)と子ども二人がいます。泥酔した夫を見て愚痴をこぼす場面があったかと思えば、親戚の前で、失業を秘密にしている夫を立てたり、周りの出方を伺って気遣う場面もありました。さらには子どもの将来を案ずる姿や、義理の母親を慮って気持ちを顕にする姿も見られて、登場シーンは少ないながら、どんな女性なのかがよくわかります。
*義理の伯母・ふみ江(美保純)
噛み砕くなら、吉子の父親の兄(昭男・岩松了)の、元妻です。水商売で生計を立て、元夫とは関わろうとせず、義理にあたる祖父の葬儀も、子どもふたりの送迎をしたのみで参列はしませんでした。元夫と顔を合わせれば口喧嘩になり、「あの人は、あの家庭は」と裏で愚痴をいう……そういう女性もいますよね。
*祖母・ハル(大方斐紗子)
家族の顔すらわからないほどボケていて、夫(つまりタイトルにある、吉子の”おじいちゃん”ですね)の葬儀でも鈴をシャンシャン鳴らし続けたり、真夜中に起き出したり、お漏らししたり...、”おじいちゃん”が亡くなったことで、親戚が最も手を焼いているのがハルの存在でした。ところが、夫と本当にお別れする場面で......ここは本編でご覧ください!
それぞれの「女性の人生」を思うと、吉子もあくまでひとつの年代を生きるひとりの女性だと思わされます。まさに、主人公らしくない、主人公だと感じました。
(C)2017「おじいちゃん、死んじゃったって。」製作委員会
3:2つのセックスで見せた変化
最後に、吉子の「大人の女性」の部分で忘れてはならないのが、映画冒頭と、後半のクライマックスに出てくる2つのセックスシーンです。
これは大きなネタバレになってしまうので詳細は伏せますが、吉子のセックスには今作で「生」と「死」を描くにあたって大きな意味を持っています。
映画冒頭にベッドシーンが当てられることは決して珍しくはないのですが、今回はここから「おそらく吉子の彼氏だけど、吉子の様子を見るにさほど好きではないのだろう」ということがわかります。そんな相手とセックスをしている間に祖父が死んでしまった。それが罪悪感となってずっと吉子の胸にとどまり続けます。
後半まで何にそんなに引っかかっているのか(あるいはなぜこの設定が必要だったのか)、わからないままでしたが、親戚との諸々や僧侶との会話を経て、2度目のセックスシーンが出てきてやっと、なるほどと思わされました。
とはいえ決して過激なものではありません。特に、映像美の対比には目を見張るものがあって、その美しさが吉子の心の内を示しているようでもありました。
(C)2017「おじいちゃん、死んじゃったって。」製作委員会
まとめ
『おじいちゃん、死んじゃったって。』は、引きつけられる物語的な要素がないからこそ、これ以上ない物語として成立しています。観た人全員がきっと、誰かに、どこかの場面に共感し感動するでしょう。
吉子も主人公ながら、あくまで家族や親戚、誰かにとってのひとりの女性であり続けたことが、作品としての魅力を広げました。
これ以上ネタバレをしてしまうと初見の時の感動が薄れてしまいそうなので、ぜひ、劇場でご覧ください!
(文:kamito努)
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