猛龍生誕80周年 ブルース・リー4Kリマスター復活祭2020
日本における
ブルース・リー映画の流れ
それまで日本にも柔道や空手などの武道映画はありましたが、己の肉体を極限まで鍛え上げての壮絶な武闘アクション映画『燃えよドラゴン』は日本でも前代未聞のブームを巻き起こしました。
そしてその主演スター、ブルース・リーがもうこの世にいないということで、さらにブームは盛り上がり、彼の過去作品群が続々と日本上陸していきます。
まずは『ドラゴン危機一発』(日本公開は1974年4月13日)。
(C)Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
もっともこの作品は『燃えよドラゴン』で革命的なまでに印象深く用いられた武器ヌンチャクや、あの怪鳥音もまだ発していない作品ということもあって(現在は怪鳥音を後から入れ直した広東語版が普及)、当時は『燃えよドラゴン』に比べるとどうしても見劣りするといった感想も見受けられました(今ではかなり再評価されていますが)。
『ドラゴン怒りの鉄拳』(日本公開は1974年7月20日/ちょうどリーの命日の一周忌にあたります)は戦時下の日本人が悪役ということで、初公開時はそこをぼかした翻訳がなされましたが(今はもうきちんとしています)、そんなのは見れば一目瞭然で、しかしながら当の日本人ですら興奮せざるを得ない壮絶アクションの数々により、これをブルース・リー映画の筆頭とするファンが多いのも事実です。
(C)Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
『ドラゴンへの道』(日本公開は1975年1月25日)は、それまでどちらかといえば寡黙でストイックなブルース・リーのイメージを一転させ、明るい笑顔を基調としたコミカルなテイストに女性ファンも急増(リンダ夫人曰く、この作品の彼が一番実像に近いとのこと)。
(C)Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
この時期、ブルース・リー人気は世界中で神話的な域にまで高まっていき、こうなると未完の『死亡遊戯』を完成させられないものかという気運が香港映画界の中で高まっていき、ついにリーが生前撮り残していたシーンをクライマックスに据え、そこまでのドラマをユン・ピョウやユン・ワーなどを代役に据え、過去出演作フィルムも流用しながら構築した『ブルース・リー 死亡遊戯』が『燃えよドラゴンのロバート・クローズ監督のメガホンで完成し、全世界で公開されました(日本公開は1978年4月15日)。
(C)Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
1980年代に入ると、さらなる未発表フィルムを用いて(といっても、ほんの数分くらいですけど)、ブルース・リー扮する兄の仇を弟(タン・ロン)がとるといった設定の『ブルース・リー 死亡の塔』(日本公開は1981年6月20日)も作られています。ほとんどマガイモノの作りではありますが、見るとそれなりに楽しい作品です。
また時を経て2000年に製作された香港と日本の合作映画『BRUCE LEE in G.O.D. 死亡的遊戯』(日本公開は2001年1月13日)は、ブルース・リーのファンを驚愕させました。
“死亡的遊戯”とはもともと『死亡遊戯』の原題で、この作品は前半をリーが作ろうとしていた“死亡的遊戯”制作時の再現ドラマと当時を知る関係者の談話で構成され、後半はリーが残した“死亡的遊戯”撮影分およそ40分をとくと見せるという趣向なのですが、これを見ると78年に公開された『死亡遊戯』と、ブルース・リーが本来意図していた“死亡的遊戯”がまったく別ものであったことが発覚し、多くのファンを驚愕させるとともに、断片ではありながらも、ようやくブルース・リーの武術家&映画スターとして作品に込めようとした真の想いに近づくことができたのでした。
無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。
無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。