映画コラム

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2021年04月04日

昭和を壮麗に彩った名女優たちと富司純子、そして令和の新作『椿の庭』

昭和を壮麗に彩った名女優たちと富司純子、そして令和の新作『椿の庭』


任侠映画スター藤純子から
邦画界のレジェンド富司純子へ

さて、戦後の日本映画黄金時代は1960年代に入ってTVが一般家庭に浸透していったことから、一気に斜陽の時代へ突入していきます。

しかしその中で東映は時代劇から任侠映画へ路線をシフトしていくことで経営を保持。

そこから高倉健、鶴田浩二らが任侠スターとして熱い支持を得ていきますが、そうした傾向の中で女性を主人公とした任侠映画も作られるようになっていきました。



藤純子主演の『緋牡丹博徒』シリーズ(68~72)です。

藤純子は映画製作者・俊藤浩滋の愛娘で、1963年にマキノ雅弘監督にスカウトされて東映に所属し、映画デビュー。

当初は主人公の相手役的スタンスの10代の娘役が多かったものの、1967年、出演映画55本目の『尼寺㊙物語』で初主演を務め、その翌1968年、明治時代半ばの女侠客“緋牡丹のお竜”こと矢野竜子が諸国を旅しながら義理と人情を踏みにじる輩を成敗していく『緋牡丹博徒』シリーズの主演に抜擢されます。

これは当時の任侠映画ファンから喝采をもって迎え入れられ、大ヒット・シリーズとして全8作が制作。

藤純子としては、背中に掘った緋牡丹の刺青を見せるシーンが当時の若い女性として肌を見せる行為に対する抵抗感もあったようですが、そこを度胸をもってクリアし、堂々たるタンカと壮絶な殺陣、それでいて普段の凛とした美しい佇まいのギャップも大いに魅力的でした。



その後、彼女は『日本女侠伝』『女渡世人』など主演シリーズを連打していき、瞬く間に東映の屋台骨を背負う看板スターとして台頭していきます。

しかしNHK大河ドラマ「源義経」で共演した四代目尾上菊之助(現・七代目大江菊五郎)と結婚し、『関東緋桜一家』を最後に引退を表明。

以後、1974年より“寺島純子”の本名でフジテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会を務めるなど、お茶の間で活躍。

そして1989年、富司純子(ふじすみこ)と芸名を改めて、高倉健主演映画『あ・うん』で女優として復帰したのでした。

以後の活躍は映画ファンならご承知の通り、1998年には『おもちゃ』で26年ぶりに東映映画に出演してその年の助演女優賞を多数受賞。また2006年の『フラガール』も絶賛されました。

老舗の映画雑誌「キネマ旬報」で2000年に組まれた「20世紀の映画スター・女優篇」で彼女は日本映画女優第10位、2014年度の同誌ムック「オールタイム・ベスト日本映画男優・女優」では日本女優第3位となっています。

まさに日本映画世界を代表するレジェンドとして、富司純子は常に美しく佇み続けているのでした。

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