『ダーティ・ダンシング』レビュー:リバイバルされた1980年代青春ダンス映画の代表作とその軌跡!
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『ダーティ・ダンシング』レビュー:リバイバルされた1980年代青春ダンス映画の代表作とその軌跡!
『ダーティ・ダンシング』へ至る青春音楽映画の軌跡
『ダーティ・ダンシング』初公開時のクリーン・ヒットを目の当たりにしたリアル世代としては、そこに至るまでの青春音楽映画の流れにも想いを馳せてしまいます。
どのあたりをその起源にするかは人それぞれでしょうが、1960年代後半より勃興するアメリカン・ニューシネマの中では常に反体制的ロック音楽が鳴り響き、それらと呼応し合うかのように『ウッドストック 愛と平和と音楽の三日間』(70)のようなロック・ドキュメンタリー映画も数多く作られていきました。
そして1970年代、日本では『小さな恋のメロディ』(71)が大ヒットし、その音楽を担当したザ・ビージーズが再び映画主題歌などを担った『サタデー・ナイト・フィーバー』(77)が、当時の『スター・ウォーズ』(77)などサントラ盤ブームの波に乗って、世界的に大流行。
主演のジョン・トラヴォルタは続いてロック・ミュージカル『グリース』(78)で当時の人気アイドル、オリヴィア・ニュートン=ジョンと共演し、そのオリヴィアも『ザナドゥ』(80)でロックとオールディズ・ムードを融合させたミュージカルに主演(往年のミュージカル・スター、ジーン・ケリーの出演も話題となりました)。
その他、ブロードウェイの反戦ロック・ミュージカルの映画化『ヘアー』(79)や、ダンサーを目指す若者たちの熱気を描いた『フェーム』(80)などを経て、いよいよ1980年代、音楽に画を重ねてプロモーションしていくミュージック・クリップが大流行していきます。
ラジオやテレビの深夜音楽番組がこうしたアメリカの洋楽とその映像一色に染まっていく中、まさにクリップ感覚で作られた青春音楽ダンス映画が『フラッシュダンス』(83)であり、『フットルース』(84)でした。
これらの作品は当時音の性能を飛躍的に向上させたHifi機能を備えたビデオデッキの販売とも相乗効果をもたらし、かくして1980年代はミュージック・クリップ&ビデオ・ブームが到来していきます。
一方で80年代は若手スターによる『セント・エルモス・ファイアー』(85)『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』(86)『フェリスはある朝突然に』(87)などの青春映画が華盛り。
そしてケニー・オルテガは『ザナドゥ』を手始めに実はこれらの青春音楽映画にも携わっており、こうしたキャリアを経て『ダーティ・ダンシング』の栄光へと向かっていったのでした。
一方ではこのあたりの時期より、いわゆる映画音楽ファンとしては、発売されるサントラ盤に本来の劇中音楽(スコア)を担う作曲家による楽曲ではなく、主題歌はもとより劇中に流れたのか流れなかったのかも定かではない歌ばかりが収録されるようになり、どうにも忸怩たる想いを抱き続けていたのも事実ではありました(そして、その傾向は今も続いています)。
もっとも、『ダーティ・ダンシング』は脚本段階からオールディーズ・ソングを意識した音楽構成にのっとって作られているので、そのサントラ盤にもさほど違和感はありません。
また”MUSICAL SCORE”としてクレジットされている作曲家は、ジョン・モリス。
『ブレージングサドル』(74)などメル・ブルックス監督作品の常連で、メルが製作したデヴィッド・リンチ監督の出世作『エレファントマン』(80)の音楽も担当した名匠として知られています。
スティーヴィー・ワンダーの主題歌《心の愛》が大ヒットした『ウーマン・イン・レッド』(84)のスコアも彼の担当でした。
主題歌や挿入歌ばかりが映画音楽であると勘違いされがちな昨今、実は映画を音から支える真の功労者としての映画音楽作曲家の存在にも注目していただきたいと切に願う次第です。
(文:増當竜也)
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