2021年09月02日

『ミス・マルクス』レビュー:思想家マルクスの娘が実践した社会運動、実践できなかった“男女の同等”

『ミス・マルクス』レビュー:思想家マルクスの娘が実践した社会運動、実践できなかった“男女の同等”



■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT

カール・マルクスといえば19世紀を代表する哲学者・経済学者・思想家として知られる存在で、2018年にはマルクスと友人フリードリヒ・エンゲルスの友情と確執を描いた『マルクス・エンゲルス』(17)が日本でも公開されたのも記憶に新しいところです。

そして本作は、マルクスの影響を大きく受けて育った四女エリノア・マルクス(ロモーラ・ガライ)の波乱の人生を描いたもの。



彼女は社会主義とフェミニズムを結び付けた運動に心血を注ぎつつ、当時の階級社会を激しく批判していきますが、そこに熱中していけばいくほど、忸怩たる想いに囚われていきます。

それは、女もまた男という「支配階級」の下にあるという差別の構造であり、実は彼女自身も愛し続ける男性エドワード・エイブリングの不実さ(要するに女たらし)に悩まされ続けながら、かといってきっぱり別れることもできないままズルズルと泥沼に沈んでいくのでした。



エイブリングを演じるパトリック・ケネディの一見分別ありげな風情が、逆に男の醜さそのものを巧みに醸し出しているあたり、同性として心が痛むところですが、エリノアの苦悩はそんなレベルではなかったであろうことも想像はできます。

(さらには信頼していた父マルクスの、とある所業までも知らされ……)



そして本作はそんな彼女の激しい感情を代弁すべく、劇中のあちこちにパンクロック音楽を配し、一方ではクラシックのピアノアレンジなどの静謐さによる彼女の高潔さと巧みに対比していきます。

いわゆる伝記映画ではありますが、こうした大胆な手法をスムーズに実践し得たスザンナ・ニッキャッレッリ監督のキャメラアイはエリノアの生涯を見せつけることによって、現代を生きる女性たちに(もちろん男たちにも)、今なおはびこる社会の歪みを、男女の関係性のいびつさを訴えていきます。

エリノアが劇中で遭遇するさまざまな事象がもたらす苦しみは、決して過去の歴史ではなく、今の時代こそ考え、改革していくべきという熱いメッセージは、やはりパンクロックこそが似つかわしいのでしょう。

(文:増當竜也)

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

(C)2020 Vivo film/Tarantula

RANKING

SPONSORD

PICK UP!