2021年12月11日

<新作レビュー>『ベルーシ』もし彼が生き続けていたら、世界のお笑いはどう変わっていただろう?

<新作レビュー>『ベルーシ』もし彼が生き続けていたら、世界のお笑いはどう変わっていただろう?


日本における当時の
ジョン・ベルーシ人気



米NBCで1975年10月11日よりスタートし、今なお続くコント・バラエティ番組「サタデー・ナイト・ライブ」が日本でも話題になり始めた理由のひとつには、ジョン・ベルーシがサムライの恰好をして解読不能の言葉を喋りながら日本刀を振り回す“SAMURAI”シリーズも大いにあったと確信しています。

これは黒澤明監督の名作時代劇『用心棒』(61)の三船敏郎を見て感銘を受けた彼が、ギャグとして登用したものでもありました。

(後にベルーシは『1941』で三船敏郎と共演を果たします)

「サタデーナイト・ライブ」という番組そのものはなかなか日本津々浦々で見られる状況ではありませんでしたが、ジョン・ベルーシの“サムライ”映像はSNSのなかった当時でも比較的目に触れる機会はあり、また番組そのものの興味がアメリカン・コメディに対する興味へと直結していく多くのファンを育んでいったことも間違いのない事実。

(1981年よりフジテレビ系列で放送開始されたビートたけしや明石家さんまら当時の若手お笑い芸人が多数出演した「オレたちひょうきん族」も、明らかに「サタデー・ナイト・ライブ」を意識して構成された番組でした)

そんな中、ジョン・ベルーシが映画初主演したジョン・ランディス監督の『アニマル・ハウス』(78)が1979年に日本公開されたときの驚きもまた、異様に忘れられないものがありました。

大学の格式高いクラブとお下劣極まるクラブの諍いを、ドタバタどころではない超破壊的ギャグの連発で繰り出すこの作品、とにもかくにも観客はジョン・ベルーシのハチャメチャな存在感にひたすら圧倒されまくってしまったのでした。


配給:コロムビア映画

続けて彼は『JAWS』(75)『未知との遭遇』(77)で時の人となっていたスティーヴン・スピルバーグ監督の戦争コメディ映画『1941』(79/日本公開は80年3月)でも象徴的キャラクター、たったひとりで日本軍と戦おうとする米軍パイロットのワイルド・ビル・ケルーソを怪演。

真珠湾攻撃に伴う日米開戦直後のアメリカ西海岸を舞台に、もはやどこまで笑っていいものやらわからないほど破壊の限りを、アメリカ人も日本人もギャグとしてやり尽くすぶっ飛びまくったイカレポンチな内容は(しかも戦争映画なのに誰も死なない!)、今なおスピルバーグの大失敗作、もしくは黒歴史と揶揄されることもありつつ、2015年の『ガールズ&パンツァー劇場版』で大いにリスペクトされるなど、実は多くの隠れファンも得ています。

そしてベルーシがダン・エイクロイドと共に音楽的興味から結成したブルース・R&B・ソウルのリバイバル・バンド“ブルース・ブラザーズ”が全米で大評判になるとともに、その劇場用映画『ブルース・ブラザーズ』(80/日本公開は81年3月)が公開。



この時期がジョン・ベルーシの人気のピークだった印象もあります。(81年にはエイクロイドとともに来日し、吉祥寺のライブハウスで日本人バンドともセッション)

ただしベルーシ自身はこの時期、従来のイメージからの脱却に腐心すると同時に、ドラッグの魔力に苦しみ続けていたことが、映画『ベルーシ』を見ることで大いに理解できます。

それはベルーシが死去しておよそ半月後の1982年3月20日に日本公開されたジョン・G・アヴィルドセン監督作品『ネイバーズ』(81/ベルーシの遺作)の内容と出来栄えからも明らかでした。

狂気の隣人夫婦(ダン・エイクロイド&キャシー・モリアーティ)が引っ越してきたことから始まる神経衰弱的な騒動をブラックなギャグの連発で描こうとしつつ、全く笑えないコメディ映画。
しかも、その中で意外にもベルーシは狂気を仕掛ける側ではなく、仕掛けられて疲弊する側の主人公を演じていたのです。


配給:コロムビア映画

これを見たとき、ベルーシはイメチェンを図ろうとしていることを察知できたものの、あまりの中身のつまらなさに閉口し、さすがにこれが彼の最後の映画では可哀そうすぎる……などと長年思っていたら、映画『ベルーシ』の中でベルーシとアヴィルドセン監督とまったく息が合わなかったなどの舞台裏も語られ、やはり失敗作には失敗するだけの理由が絶対にあることを改めて痛感させられてしまいました。

さらにその後で日本公開された『Oh!ベルーシ絶体絶命』(81/日本公開は82年4月24日)は、敏腕記者(ベルーシ)とマスコミ嫌いな鳥類学者(ブレア・ブラウン)のロマンティック・ラブ・コメディでした(こちらは佳作)。

『ネイバーズ』よりも先に作られていたこの作品、マイケル・アプテッド監督はベルーシのことを映画『ベルーシ』の中で絶賛しています。



映画『ベルーシ』は、少なくともジョン・ベルーシが活躍し、嵐のようにこの世を去った時期のことをリアルタイムで知る身からすると、単なるノスタルジーを越えた人間の成功の裏側に潜む闇がもたらす哀しさもさながら、その苦難と対峙しながら今なお世に残る作品群を残し続けたエンタテイナーとしての誇りと執念みたいなものへの敬意を怠ることもできません。

今回、映画『ベルーシ』の中に登場する彼のさまざまなギャグの数々は、もうそれだけで大笑いで、それらのショットを見るだけでも、本作は今の日本のお笑いとは大いに異なるテイストを描出し得たものとして必見ではないかと思われます。

そして何よりもジョン・ベルーシそのものの、パフォーマンスを離れたところでの人間としての魅力!

もし彼が生き続けていたら、アメリカの、そして世界のお笑いは、エンタメはどう変わっていったのか?

本作を見ながら、ふと想いを馳せてしまった次第です。

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(文:増當達也)

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