インタビュー

2022年10月14日

『もっと超越した所へ。』根本宗子、自身原作の演劇を映画脚本に「小説ならではのメタ構造が楽しかった」

『もっと超越した所へ。』根本宗子、自身原作の演劇を映画脚本に「小説ならではのメタ構造が楽しかった」


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劇作家・根本宗子。19歳で劇団・月刊「根本宗子」を旗揚げし、すべての作品の作・演出を担ってきた。岸田國士戯曲賞の最終候補作に4度ノミネート。名実ともに、日本の演劇界をリードする若手劇作家だ。

そんな彼女は、2015年初演の演劇『もっと超越した所へ。』を映画化するにあたり、脚本を担当。根本は、同作を演劇、映画、そして小説という形で、物語ることになった。

今回は、それぞれのジャンルで同じ物語を描くことで得た気付きや、映画版ならではの創作秘話、そして映画と演劇の宣伝の違いなど、多岐にわたって話を聞いた。

7年の時を経てリライトした『もっ超』



──2015年上演の『もっと超越した所へ。』の脚本を映画化のためにリライトして、いかがでしたか?


根本宗子(以下、根本):7年前とはいえ同じ人間なので、根底は変わらないんです。でも、今よりもエッジの効いた表現を好んでいたんだな、と感じました。セリフの切れ味もすごいんですよ。当時のような書き方は良くも悪くも、もうできない。今回はかつての自分にかなり鍛えられました(笑)。7年前の作品は、すべてを書き尽くしてやるという気合がすさまじいんです。演劇を通して今の自分が思っていること、言いたいことを全部言いたい欲望が迸っているというか……。本作だと、それがある種のユーモアに結実していたり、かゆいところに手が届く「恋愛あるある」になっていたりするので、懐かしくも圧倒されましたね。「ねもしゅーやってんねー!」と自分で思いました(笑)。今回、この脚本を書いて映画を世に出すにあたって唯一懸念があるとすれば、この作風でオファーが増えたら困るなということですかね、過去の私なので(笑)。

──それは当時とは創作の興味が変化しているから?

根本:そうですね。もちろん作品自体にはすごく思い入れがあるからこそ、近藤(多聞)プロデューサーの映画化オファーも受けました。でも改めて振り返ってみると、やはりこの作風はやり尽くしたなと思ったんです。『もっと超越した所へ。』が映画として広く観てもらえるのはうれしいですが、劇作家の根本宗子は今、ここを経て、演劇表現はまた別のフェーズにいる。でも小難しいことは気にせず映画を好んでくれた方は是非、今の私の演劇にも足を運んでほしいです。



──根本さんは『もっと超越した所へ。』を、舞台、映画、小説と様々な手段で描かれましたが、それぞれのメディアにおける表現の可能性と制約をどのように感じましたか?

根本:映画の場合、ディテールを見せることを意識しました。例えば、お弁当を食べるシーンで、真知子(前田敦子)が渡したウェットティッシュを怜人(菊池風磨)がひとつまみしてクシャッと丸めてゴミ箱に捨てちゃう描写。演劇ではああいう小さい動作は、後ろの人まで見えないので省きます。今回は映画だからあえて細かい描写はしたくてたくさん書きましたが、監督もその意図を感じ取ってくれました。あと演劇と映画は役者やスタッフがいますけど、小説はマジで孤独なんですよ(苦笑)。そのことを今年「今、出来る、精一杯。」と「もっと超越した所へ。」の2冊を出して痛感しました。特に本作のカタルシスは、役者の熱量と演出の力によるところが大きい。だからノベライズの際は、紙と文字だけでどうやって表現するか、いろいろと悩みました。その工夫について一つ言うと、小説では登場人物が「作者」に語りかけてくるんです。これって映画や演劇だと、作家の書いた自己言及のセリフを、演者に読ませるという構造上、かなり寒い印象になると思う。でも、小説だと読み手の人のテンションで読んでもらえる。小説でこういうメタ構造にチャレンジできたのは楽しかったですね。



──ちなみに、根本さんはどのカップルに最も愛着がありますか?

根本:自分で書いたので、どのカップリングも愛着はあるんですが……。あえて言えば、美和(伊藤万理華)と泰造(オカモトレイジ)のカップルは自分が書いてきた全カップリングの中で、一番好きです。美和の自分をちゃんと持っているように見えるんだけど、好きな人に言われたことを気にしちゃったり、「自分のことばっかりじゃなくて、私のことも心配してほしい」って恋人に甘えたりしたくなる感情は、若い頃の自分にもかなり身に覚えがあります。泰造は、美和のことをちゃんと好きなんだけど、器が小さくて、キャパオーバーになっちゃって、悪気なく本音を言ってしまう。あの弱さが人間らしくて好きなんです。こういう役はあんまり書かないので思い入れがあるし、レイジさんがやってくれてうれしかったです。あのキャラクターって本当にイヤな人が演じると、観てられないじゃないですか。その点、レイジさんは愛嬌があるから笑える。

今回感じた映画宣伝の難しさとは?



──今回初めて映画製作に携わって、新たに感じたことはありますか。


根本:制作そのものよりも、演劇と映画の宣伝の違いを実感しました。極端な話、演劇の宣伝って、内容は何も説明しなくてもいいんです。実際、私はチラシにあらすじも書いてなくて。演劇は稽古中にチケット販売がはじまります。もちろん私たちにビジョンはあるけれど、最終的にどういう作品になるかはわからないまま宣伝をしているわけです。一方で映画は、完成品を引っさげて、告知をするじゃないですか。そうすると、だいたいのことは説明できてしまうから、宣伝の際には、見どころや内容を伝えすぎてしまう。個人的には、演劇であれ映画であれ、本当はあらすじはもちろんキャストもほとんどわからない状態で観に来てほしいんですよね。何が起きるかわからない場所でとんでもないものを見たときの衝撃ってすごいじゃないですか。



──根本さんは何を参考にして観に行く作品を選ばれますか?

根本:ポスタービジュアルだけ見てとか、信頼してる人の「面白かったよ!」の一言で気になって、劇場に足を運ぶことはよくあります。個人的には「なんだかわけのわからないもの」を観たいから、極力知りたくないんです。海外で作品を見るのが好きなのもそこだと思います。説明を聞いても英語だから半分くらいわからないので。その点、本作のキャラクターポスターは情報量がちょうどいいなと思ってます。各キャストのクローズアップとセリフが一つ。これなら作品の雰囲気を伝えながら、役者が出ていることもアピールできているなって。例えば「衝撃のラストを見逃すな!」みたいな宣伝ってよくありますけど、本当は「ラストに何か起こる」って知らないまま、その衝撃を味わったほうが絶対にいいじゃないですか。ラスト見逃すな!って当たり前だし、そこまで見たならもう見逃さねーよと思いますし(笑)。でも、自分が映画を宣伝して思うのは、なにかしらのフックを作らないと多くの人に観てもらうのはやっぱり難しいということで……。クリエイターとしてのポリシーと、多くの人に観てもらうためにある程度妥協しなきゃいけないというジレンマはありますね。


映画『もっと超越した所へ。』は、大胆なストーリー構成や個性的なキャラクター、そしてクライマックスのカタルシスに見どころがあるのは間違いない。しかし、このインタビューで根本自身が語ってくれたように、あらゆるディテールにも、息吹がこもっている作品だ。あらすじや予告ではすくいとれない豊かな人間模様をぜひ劇場で目撃してほしい。


インタビュー全文は10月17日(月)発売の『CINEMAS+MAGAZINE』にて掲載!

(ヘアメイク=小夏/スタイリスト=田中大資/撮影=西村康/取材・文=安里和哲)

<衣装協力=tanakadaisuke>

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