映画コラム

REGULAR

2017年01月27日

『耳をすませば』はなぜ“恥ずかしい”のか? 宮崎駿が目指した“現実”から読み解く

『耳をすませば』はなぜ“恥ずかしい”のか? 宮崎駿が目指した“現実”から読み解く



2:宮崎駿が目指したのは、“あこがれのラブストーリー”でなく“タイムリミットのある現実の青春”だった!


本作の原作は『りぼん』に掲載された少女漫画です。宮崎駿が山小屋でたまたま連載の第2回目を読み、鈴木敏夫プロデューサーと「この物語の最後はどうなるか」「バランスの良い作品だな」などと話しあったことが、映画化のきっかけになったそうです。

ところが、宮崎駿は企画を立ちあげるとき、完結した原作に「ごくありふれた少女漫画のラブストーリーでしかない」という印象を持ったそうです。というのも、原作では2人の主人公の恋が主体であり、物語として双方の気持ちだけが大切にされている、そこには不理解な大人などの“邪魔をする要素”もない、と考えたのだとか。

その結果として映画には、以下のような原作漫画からの変更点が加えられることになりました。

(1)主人公たちが中学1年生から3年生になった

(2)主人公・雫が恋する少年・聖司は、原作では絵描きを夢見ていたが、映画ではバイオリン作りをするために留学するという明確な目標を決めている。

(3)雫の姉・汐は原作ではほんわかした雰囲気の恋する女子高生だったが、映画では気の強い大学生になり、映画後半では家を出ていくとも言っている。

こうした変更点から、受験や進路といった誰もが通るであろう“これからの現実”が、原作よりもさらにはっきりと見えてきます。雫は夢がちな少女だけど、時間はその夢を夢のままにさせてはくれない、“決めなければいけないという焦り”が作品の中に表れているのです。

そして、雫は自分自身で小説を書き上げる期間を決めて、聖司のおじいさんに読ませようとしています(この描写も原作にはありません)。本作が青春物語として魅力的なのは、原作にあった恋愛要素だけにとどまらず、こうした“タイムリミット”があり、“今だけしかない時間”を切り取ったおかげでもあるのでしょう。

そして、生き急ぐように小説を書き上げた雫に、おじいさんは「雫さんの切り出したばかりの原石を、しっかり見せてもらいました。よくがんばりましたね。あなたはステキです。慌てることはない。時間をかけてしっかり磨いて下さい。」と言ってくれるのです。

時間は確かに有限だけど、君たちはまだ若い、勉強する時間くらいならたっぷりある。だから、これから自分の魅力をしっかり磨き上げてください……。決して押し付けがましくない、この若者に向けたメッセージの、なんと尊いことでしょうか(これも、年を取ってしまうとむずがゆく感じてしまうのですけどね)。

個人的に痛烈な印象を残したのは、雫が夢で見た物語において、「早く!」と急かされる中で“本物の鉱物”を探そうとするも、いざそれを手に取ると“ヒナの死骸”になってしまうというシーンでした。これは雫が早く小説を書き上げることに執心するあまり、勉強をおろそかにして、家族に心配をさせてしまう現実ともシンクロしています。生き急ぐあまり、“自分を殺す”ようなことをしても、何にもならないですからね。

また、時おり登場するでぶ猫のムーンは、この雫の“焦り”と対になった存在です。ムーンはいろいろな家を渡り歩いて、それぞれで名前をもらって、気ままに楽しく生きているのですから。決まりきった努力や精神論だけでなく、「こういう生き方もあるかもよ」と提示してくれる本作が、より好きになれました。



© 1995 柊あおい/集英社・Studio Ghibli・NH


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