『ランボー ラスト・ブラッド』レビュー:第1作への回帰を図った完結編!

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ヴェトナム戦争の英雄にして帰還後はアメリカ国民から迫害を受け、やがては国家に翻弄されながらヴェトナム、アフガニスタン、そしてミャンマーといったアジア各地を鮮血の戦場色に染め上げていくジョン・J・ランボーの運命を描いたシルヴェスター・スタローン主演のバトル・アクション映画『ランボー』シリーズが第5作『ランボー ラスト・ブラッド』(19)にてついに完結!

正直、前作の第4作『ランボー 最後の戦場』(08)が事実上のファイナルかと思われていましたが、さすがは肉体派スター、スタローン。その後の『エクステンダブルズ』シリーズ(10~14)などでまだまだアクションをやれると自信をつけたか、今回ついに長きにわたるランボーの戦いの人生にピリオドを打つべく、老いてますます盛んな壮絶ヴァイオレンス・アクションをとくと披露しながら、真のシリーズ完結へ導いてくれているのです! 

が……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街479》

その前にまずはシリーズをざっとおさらいしていくことにしましょう!

生身の戦闘マシーンと化した
ランボーの壮絶バトル人生!

シリーズ第1作『ランボー』(82/テッド・コチェフ監督)は、当時『ロッキー』(76)で一躍スターダムにのし上がったシルヴェスター・スタローンが次なるヒット作を模索していた時期の作品で、結果としては『ロッキー』と並ぶ彼の大人気シリーズとなっていきました。

原作はデイヴィッド・マレルの小説『一人だけの軍隊』“FIRST BLOOD”。

映画の内容はヴェトナム戦争の帰還兵ジョン・ジェームズ・ランボー(シルヴェスター・スタローン)が、かつての戦友に会うべく山間の田舎町を訪れるも、友人は戦場で浴びた自軍の化学兵器の後遺症でガン死していました。

その帰りに寄った街で、ランボーは排他的思想の保安官らに拘束されて迫害。その手ひどい扱いを受けつつ、ランボーはヴェトバム時代の敵軍からのリンチを思い出して暴れ出し、逃走。

かくしてランボーは州警察&州兵を相手に、アメリカ国内をヴェトナムの戦場に見立てたかのような孤独なサバイバル・バトルを開始していきます。

そう、実はこのランボー、ゲリラ戦を得意とする戦場の猛者なのでした!

本作には当時のアメリカ社会を反映させた様々なメッセージが込められていますが、その中には差別されるヴェトナム帰還兵の問題と彼らの抱える孤独や心の傷(PTSD)なども含まれています。

そして祖国を信じて戦ったランボーは、結果として祖国の民衆に裏切られ、居場所すらなくしていく悲劇が壮絶なアクションと並行しながら描かれていきます。

ここで重要なのが「私がランボーを作り上げた」と言い放つ、ヴェトナム時代の彼の上官だったトラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)の存在で、まさに彼こそはイコール国家としてランボーという生身の戦場兵器を作り上げた張本人でもあるのですが、皮肉にもこの後もランボーとトラウトマンは数奇な絆で結ばれていきます(いわば孤独なランボーの唯一の理解者として、そしてメフィスト的存在としても……)。

本作の好評を受けて続編『ランボー2 怒りの脱出』(85/ジョージ・P・コスマトス監督)の製作が決定。ランボーはトラウトマン大佐の命を受けてヴェトナムの戦場から未だ帰還できていない米軍兵士(MIA)の救出作戦に臨みます。
(ちなみに第1作の監督テッド・コチェフは、この第2作よりも一足先にMIA問題を扱った『地獄の7人』を手掛けています)

ここでのランボーは戦友を救うべく戦闘マシーンと化して、敵をフルボッコにしていきますが(ちなみに第1作の彼は誰も殺していません。ひとりだけ事故死するだけです)、そのさなかにアメリカという国家そのものの裏切りに遭い、さらには戦闘のさなかで芽生えた淡い恋の感情すらも無残に奪われてしまいます。
(それでも「国を恨むな」と問いかけるトラウトマンに対して「命を捧げます」と即答するランボーの痛々しさよ……)

第3作『ランボー3 怒りのアフガン』(88/ピーター・マクドナルド監督)では、当時アフガニスタンのタリバンに協力しようとしていたトラウトマンがソ連軍に拉致され、彼を奪還すべくランボーが現地に乗り込み、まさに不死身のヒーローとでもいうべき大活躍を見せます。

さらにはここでトラウトマンとの共闘を経て、どこかしら両者の友情みたいな人間的感情ももたらされていきますが、それでもトラウトマンがランボーという名の戦闘マシーンを作り上げた張本人であることを忘れてはいけないでしょう。

また本作が公開された10数年後、ランボーと共に戦ったタリバンはアメリカの敵となり、9・11の惨劇を引き起こします。

つまりここまでのシリーズ3作は、裏切りに次ぐ裏切りに心傷ついていくランボーの悲劇を描いたものと捉えることも大いに可能でしょう。

1980年代はレーガン政権による強きアメリカの復権が強く訴えられていた時代で、『ランボー』シリーズはその風潮とも巧みに呼応し合いながら支持を得てきた節もありますが、時を経て振り返ると、必ずしもそれだけではない玉虫色の魅力もうかがえるのではないでしょうか。

事実、9・11以降に作られた第4作『ランボー 最後の戦場』(08/シルヴェスター・スタローン監督)では、争いに暮れる世から逃れるかのようにタイで世捨て人となっていたランボーが、政府軍に囚われたNGOの人々を救出すべくミャンマーに乗り込みます。

そこでは当然ながら一大バトルが繰り広げられるわけですが、それらは前3作とは打って変わって、まるでスプラッタ映画でも見せられているかのような残虐非道かつ冷酷無比な殺戮描写のオンパレードで、そこには「いかに大義名分があろうとも、戦闘行為は暴力でしかない」「戦場に英雄など存在しない」とでもいった、およそ20年の時を経て、もはやトラウトマン大佐もいなくなった状況下でのランボー=スタローンの心境の変化を物語っているかのようでもありました。
(一方でランボーに助けられることになるNGOの連中、なかなかに安易でハンパな平和思想の持主ばかりで、それゆえに地獄を味わうことにもなるわけですが、そうした「生半可な覚悟で平和を語るべからず」といった劇中のメッセージもまた痛烈です)

そしてランボーはようやく祖国アメリカに帰る決心を固め、アリゾナの自宅に戻るところで第4作は終わるのでした。
(ここでのラストは第1作のオープニングを彷彿させるものもあります)


    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画レビュー・コーナー『戯画日誌』を連載中。近著に『映画よ憤怒の河を渉れ 映画監督佐藤純彌』(DU BOOKS刊)がある。

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