映画コラム

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2020年10月29日

『ウルフウォーカー』ぬまがさワタリとビニールタッキーの特別対談!これは動物と女性の解放の物語だ! 

『ウルフウォーカー』ぬまがさワタリとビニールタッキーの特別対談!これは動物と女性の解放の物語だ! 




10月30日より、アイルランド・ルクセンブルク合作のアニメ映画『ウルフウォーカー』が公開されます。

本作は、『ブレンダンとケルズの秘密』や『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』などを製作し、長編すべてがアカデミー長編アニメーション部門にノミネートされた、トム・ムーア監督およびアニメーションスタジオ“カートゥーン・サルーン”による最新作。

題材としているのは、眠ると魂が抜けだしオオカミになるというアイルランドの伝承“ウルフウォーカー”。街に暮らす少女ロビンが、森の中でウルフウォーカーのメーヴと友だちとなり、勇気を持って自らの信じる道を進もうとする物語が紡がれています。

ここでは、イラストレーターであり生き物や海外アニメや百合(女性同士の関係性)を愛するぬまがさワタリさんと、“映画宣伝ウォッチャー”という肩書で人気のビニールタッキーさんとの対談の内容をお届けします。

※以下は核心的なネタバレはしていませんが、少しだけ本編の内容に触れています。予備知識なく映画を観たいという方はご注意ください。

『ウルフウォーカー』が
生涯ベストの映画になった理由





ぬまがさワタリ:『ウルフウォーカー』の存在をビニールタッキーさんから教えてもらったのは1ヶ月くらい前のことでした。そのビジュアルを見た時点で「今年1位だな」と思ってたんですが、実際に観たら生涯ベスト級の映画になりました。

ビニールタッキー:その話をした時「まだ本編を観ていないけど今年1位です」っておっしゃっていましたね。

ぬまがさワタリ:動物にまつわる物語であり、さらにガールミーツガール(広義の百合)の物語という、もはや私の「人生」みたいな映画ですからね。私のために作ってくれたの?と妄言を言いたくなるレベルです。好きなところを挙げればキリがないですが、動物描写とガールミーツガール描写こそ、本作の2大「大好きポイント」なのは確実ですね。

ビニールタッキー:カートゥーン・サルーンの映画は、ずっとお好きでしたよね。

ぬまがさワタリ:本当に素晴らしい作品を作るスタジオです。本作は“ケルト3部作”と銘打たれたシリーズの最終作ですね。最初に劇場で観たのがその2作目の『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』だったのですが、物語も美術もハイレベルで大好きな映画になりました。
今回の『ウルフウォーカー』は過去作の美点を継承しつつも、物語のテンポや絵の見せ方など、現代の観客にさらに強く訴えかけるものがあります。AppleTV製作なのも大きいのか、万人に向けられたエンタメ性もより際立っています。客観的に見ても、カートゥーン・サルーンの最高傑作と言わざるを得ません。

ビニールタッキー:僕もカートゥーン・サルーンの作品が大好きです。この『ウルフウォーカー』はメッセージがシンプルかつ深くなっていて、集大成的な作品であるとも思いました。

ぬまがさワタリ:本当に、今までの集大成ですよね。
いきなり核心に突っ込んでしまいますが、『ウルフウォーカー』のキモを理解するには、「オオカミが何を象徴しているのか」を観た者が考えることが大切だなと。もちろんそのまま「動物/自然」の象徴として解釈することもできますよね。一方で、現実社会におけるマイノリティ…つまり多数派の人間が作り上げた社会から除け者にされた者たちの姿が、オオカミに投影されているという解釈もできる作品です。そのマイノリティ属性のひとつが(本作の主人公である)「女性」だと思います。さらに踏み込めば、動物を解放するということと、女性を解放するということは、根本的には地続きなんだというメッセージを私は受け取りました。それらについて、じっくりと話してみます。

暴力や戦争に抗おうとする、
カートゥーン・サルーンに共通しているメッセージ





ぬまがさワタリ:まずは過去作について少し話しましょう。『ウルフウォーカー』は、カートゥーン・サルーンが「ずっとやってきたこと」を改めて確かめるかのような内容ですから。
例えば、『ブレッドウィナー』(Netflixでは『生きのびるために』というタイトルで配信中)は暴力的/性差別的なタリバン政権下で、自分の性別を偽って生きる女の子の物語でした。同様に『ウルフウォーカー』も、暴力や差別を辞さない人間/男性(英語で共にman)中心主義の世界で生きる女の子の話です。

ビニールタッキー:僕も過去作を見てきて、カートゥーン・サルーンのやりたいことがはっきりとわかりました。僕が感じたのは、戦争による文化の破壊ということが頻繁に出てくるということです。美しい文化に類するものが、暴力や侵略といった行為のためになくなってしまうという恐怖を描いていて、だからこそ文化を大切にしようというメッセージが込められています。しかも、それを子ども目線で語っているんです。「子どもにとって、文化ってあまりピンとこないかもしれないけど、実は身の回りにあったりするものなんだよ」という教えが、すべての作品に通じています。

ぬまがさワタリ:戦争、暴力、侵略によって、築き上げた文化を破壊されてしまうという悲劇は現実にあり、そうした人間の愚かさや残酷性をカートゥーン・サルーン作品は直視します。『ブレッドウィナー』はストレートにそのことを描いていますし、ケルト3部作の1作目『ブレンダンとケルズの秘密』もファンタジックで美しい子供向けの物語なのに、バイキングが攻めてくるシーンは心から恐ろしく、戦争の怖さを隠していません。それでいて、例えば「外敵を凄い力でやっつけた!」とか「魔法を使ったら全部解決した」というご都合展開もありません。なぜかと言えば、それこそが現実だからですよね。
カートゥーン・サルーンの作品は、現実に人類の歴史で数多く起こった悲劇に対して、抗おうとしているのでしょう。破壊や暴力は本当に恐ろしいし、実際に色々なものを消し去ってしまうのですが、「でも、それだけじゃないんだよ」「人間が生きて文化を残そうとする限り、消えないものがあるんだよ」と。現実の残酷さを隠さず描いたからこそ、抗う力も強く輝いて見える。それが第1作『ブレンダンとケルズの秘密』で描かれていたことでした。

ビニールタッキー:確かに、人間の愚かさと、それによる文化の破壊は、『ブレンダンとケルズの秘密』でも今回の『ウルフウォーカー』でも描かれていますよね。そして、物語を語り継ぐことによって、文化というものは続いていくことができます。戦争も、物語にすることによって語り継がれていますよね。カートゥーン・サルーンの今までにやってきたことが、はっきりと共通している。だからこそ、誠実であると思います。

ぬまがさワタリ:物語の力によって現実の残酷さに立ち向かったり、傷ついた人が癒されたりするという、一貫したテーマがありますよね。

ビニールタッキー:そう言えば、カートゥーン・サルーンの過去作を観た方にとって嬉しい“小ネタ”もありましたよね。例えば、ロビンが話している「ドラゴンなどの想像上の動物の話」中に、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』にも登場したセルキーという妖精の名前が出てきたりとか、あとはメーヴがロビンの荷物を漁るときに『ブレンダンとケルズの秘密』に登場したあるアイテムが一瞬出てきたりしているんですよ。

市井の人々の残酷性と、差別の構造





ビニールタッキー:人間の残酷さという点で、今回の『ウルフウォーカー』に関して象徴的なものがあります。それは「オオカミを殺せ」などと歌われている歌です。序盤ではみんなが楽しく歌っていて、ロビンでさえもお父さんと一緒に歌っていましたよね。そこでは観ているほうとしても楽しいんですけど、後半でその歌が出てきた時の恐ろしさと言ったら…。

ぬまがさワタリ:市井の人々の残酷さを描く洞察力がすごいですよね。オオカミのマイノリティ性というものに着目すると、それに対するマジョリティの恐ろしさ…つまり「普通の人々」が本質的に持っている残酷性を赤裸々に描いているなと。今おっしゃった歌もそうだし、この映画でいちばんキツいと感じたのが、終盤でメーヴと護国卿が繰り広げる一悶着に対して、民衆の反応が“嘲笑”だったことです。あの嘲笑う声が巻き起こる場面を描ける、作り手の洞察力は本当に鋭い。「マイノリティを弾圧する権力者、せめてもの反抗をするマイノリティ、それを嘲笑/冷笑しながら見ている”普通の人々”」という…。「現実じゃねーか!」という構図を強く感じて、背筋が寒くなりました。

ビニールタッキー:ロビンたちがイギリスから来たと言っていたこともすごく重要だと思います。あの町に住む人は、キルケニーというアイルランドの地方の人たちなんですよね。字幕版を観た時、地元の子どもたちの言葉が独特で驚きました。アイルランドはイギリスから侵略されていて、差別されているか、見下されているんですよ。さらにその人たちがオオカミだとかウルフウォーカーを下に見ているという、負の連鎖のような構造がある。その「みんなが嫌いあっている」感じがとてもイヤでしたね。ロビンも、「イギリス女」と呼ばれて差別されていましたから。

ぬまがさワタリ:ブルーハーツの『TRAIN-TRAIN』の歌詞にある「弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく」のような構図がありますね。そうした連鎖も人類の歴史上、何度も起こってきたことなのだと思います。

主人公2人の子どもらしい可愛らしさ





ビニールタッキー:『ウルフウォーカー』の元々の構想では、ロビンは男の子という設定だったんですよね。今までトム・ムーア監督が撮った『ブレンダンとケルズの秘密』と『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』の2作が、両方とも男の子が主人公の話だからということもあり、女の子2人の物語に変えたそうです。

ぬまがさワタリ:この変更は大正解だと思います。『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』は大好きなんですが、妹のシアーシャが後半ずっとションボリしてて(笑)ちょっと寂しいんですよね。『ウルフウォーカー』が、女性の解放の物語としても解釈が可能なのは、紛れもなくロビンが女性だからです。シスターフッド物語になることで、作品の強度が跳ね上がりました。

ビニールタッキー:ロビンとメーヴという2人が知り合えたからこそ、あの素晴らしいラストがあった、ということをすごく感じます。彼女たちの出会いのシーンも大好きで、ロビンはボウガンを地面に忘れたままメーヴを追いかけていき、その後も防具や武器が剥がれていく、心の攻撃性がどんどん解かれていく感じがしたんです。
その他でも、ロビンとメーヴのやり取りはものすごく可愛いんですよ。例えばメーヴがすみかに来たロビンを脅すときにオオカミたちに「ほらほら、早く追いかけて!」みたいな動作をしていて、すっごく可愛かった。「そのボウガンを何に使うのさ?」とメーヴに聞かれて、ロビンがオオカミに使う、と言うのをやめたというのも…ああ、可愛いかった!

ぬまがさワタリ:メーヴのキャラクターもすごく良いですよね、豪放磊落な性格のキャラクターなのですが、ロビンを待ちぼうけするシーンとか、「お母さん、どこにいるの…?」のシーンでは、年相応の子どもとして密かに抱えていた孤独が、しみじみ伝わってきますよね。キャラクターデザインも秀逸で、まん丸な目と周囲の黒い模様とか、「オオカミの可愛さだ!」と思います。

子ども描写という意味では、もちろんロビンも素晴らしい。ロビンがお父さんの帰りを待っている間、自分と「物わかりのいいお父さん」の役を交互に演じて、都合の良い妄想シミュレーションをしてたシーンも大好き。でも実際にお父さんが帰ってきたら、会話が一瞬でうまくいかなくなって超怒られるっていう…。子どもの無力さにしみじみ胸が痛くなりましたし、誰しも「こんな頃あったよなあ」と共感できる名シーンです。

男性社会の象徴のような護国卿と、
女性とオオカミたちが抑圧されてきた構図





ぬまがさワタリ:悪役の護国卿も(嫌な野郎ですが)興味深いキャラクターです。ド直球に権威主義的な、暴力と支配によって築かれた男性/人間(man)社会の象徴のような存在。言うまでもなく動物や自然にも冷淡で、当然のように女性差別的です。そんな彼が敬虔なキリスト教徒でもあるという事実には、宗教に対する作り手の鋭い批評性を感じます。
オオカミや女性というマイノリティを多数派の世界から「除け者」にしている護国卿が、宗教を拠り所にしているという描写は、例えば今のアメリカ社会の状況を考えればかなり強烈なパンチですよね。(10/27追記:ちょうどアメリカ最高裁に宗教保守派の判事が就任し、マイノリティの権利が脅かされる危惧の声が強まる…。)

ビニールタッキー:僕が特に印象的だったのは、護国卿が「なんでこの娘がここにいるんだ。調理場に行かせろ」とロビンに言うことです。しかも、ロビンはお父さんにまで「お前を守るためなんだ(だから家にいろ、調理場で働け)」と言われていました。ロビンが全く自由ではないということが映画の全編で描かれています。この時代の考え方だと当然のことですが、現在でもそんなことを言う人はいますよね。

ぬまがさワタリ:まさに現実社会の反映です。ロビンは(男性中心主義的な価値観に染まった)父親によって「お前のためだ」と閉じ込められてしまうのですが、そんなロビン自身も終盤にメーヴに「あなたのためなのよ」と告げて、同じことをしてしまうのが悲しいんですよね。セリフの繰り返しも実に巧みです。

ビニールタッキー:他にも印象的だったのは、調理場に先輩となるおばあちゃんがいることですね。ロビンに全く同じ格好させて、「私はあなたくらいの年から奉公に出たのよ」みたいな話をしていて、そのおばあちゃんを見ながらロビンは掃除や洗濯をします。「ここにいたらあんな風になっちゃうのか」と背中が寒くなるような感じでした。もちろん、おばあちゃんはあの方なりにしっかり生きてきたとは思うんですけど、その構図が当たり前のようにずっと続いてきたということが描かれていて、恐ろしかったですね。

ぬまがさワタリ:メーヴが自由に暮らす自然の世界と、ロビンが閉じ込められている(護国卿をはじめ大人の男に支配された)文明社会という対比になっていますね。ドラマの『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』を連想するような、無機質で檻のような場所として人間社会が描かれています。

ビニールタッキー:細かい“反復”と言えば、“髪に差している花”がどのように扱われているかにも注目して欲しいですね。お父さんがロビンの髪に花を差して、ロビンはその花をメーヴに差してあげています。その後のシーンで、花がどのように扱われたり、誰が誰に花を差してあげるのかを考えてみると深いですね。

ぬまがさワタリ:「髪に花を差す」という行為の意味合いが変わってくるというのは面白いですね。反復で言うと「ボウガン」も要チェックです。ロビンの成長表現にもなっていて、「最後に何を撃つか」にも注目してほしい。

ビニールタッキー:ロビンは序盤で、オオカミの貼り紙に対してボウガンを撃つんですよね。お父さんはロビンを家に押し込めようとしますが、やはり優れたハンターでもあるのだと思います。

映像表現と美術のこだわり





ビニールタッキー:街の風景が黒を基調として版画のようだと思っていたら、実際に版画を想定して作られたそうです。一方で、森のほうは水彩画の柔らかい線で、躍動感のあるシーンは下書きの線まで見えるような、優しい絵になっています。直線的で堅い版画のような街と、水彩画のような曲線ばかりの自然という対比がはっきりしていて面白かったです。物語の中で違うタッチの絵が同時に存在しているのですから。

ぬまがさワタリ:カートゥーン・サルーンの今までの美術が、また新たな領域に行ったという印象ですね。トレードマークの平面的な美術は、これまでは素朴で伝統的な愛らしさを強調するものでしたが、今回はその延長線上として、恐ろしく無機質な世界を描くためにも活用していました。

ビニールタッキー:オオカミになった時の、「臭いが見える」という表現も面白かったですよね。

ぬまがさワタリ:あの表現をアニメで見たのは初めてかもしれないですね。最新の科学でも、「イヌは世界をどう認識しているのか」ということは、今すごく注目されているんですよ。オオカミもイヌ科であり、嗅覚で世界を判断していると言われているのですが、人間は光で世界を捉える生き物だから、犬が臭いで世界を判断するってどういうことなのか、想像しづらいですよね。『ウルフウォーカー』では、「オオカミと人間では見えている世界が違う」という前提に立ちながら、オオカミから見た世界を魅力的に描いているというのが良い。「視覚の動物」である私たち人間にも、オオカミの「見る(嗅ぐ)」世界をわかりやすく提示しています。こういうところが動物映画としても秀逸なのです。

ビニールタッキー:あのオオカミの視点は3D表現なんですよね。カートゥーン・サルーンの過去作を観なおすと、平面的な絵でキャラクターがデフォルメした動きをしているのが面白いのですが、今回の『ウルフウォーカー』は奥行きのあるアクションをすごく大事にしている、立体的な表現をしたいという意思を強く感じました。だからこそエンターテインメントとして面白くて、観ていて気持ちがいい、楽しいという気持ちがありました。

ぬまがさワタリ:今までは、観る人が違和感を持つような平面的な空間をあえて構成することで、特異な物語空間を生み出すという明確な目的意識を感じました。アート映画のような趣も強かったですよね。
そこにきて今回の『ウルフウォーカー』は、奥行きという次元が1つ増えて、空間の厚みが増したとも言えます。3Dを用いた表現にも違和感がない、そもそも3Dだと直感的には思わないというのも、すごいことです。
2Dアニメと言えば、最近ではNetflixのアニメ映画『クロース』もありましたよね。『ウルフウォーカー』のような映画を観ると、2Dのアニメは生き残るべきだなと思いましたね。どれほど技術が発達しても、こんな美術を3Dで描くのは不可能だと思います。

ビニールタッキー:今まではアート映画のようなところがあったからこそ、今回はエンターテインメント性とアクションの躍動感を大事にしているというのはすごく感じましたね。それでも、アイルランド風の装飾とかデザインは随所にあったりして、「カートゥーン・サルーンの作品だなあ」とちゃんと思えるんです。例えば、オオカミに変身する瞬間は、すごくアート的ですよね。渦巻き模様にも、アイルランドらしさを感じることができました。

ぬまがさワタリ:平明的な画やアイルランド文化に基づく装飾は過去作から地続きでありつつ、『ウルフウォーカー』ではまた全然違うものを打ち出してきている。3部作の中だけでもこれほど挑戦的な試みを続けている、作り手としての意識があまりに高いですよ。

AURORAの主題歌にあるメッセージ





ビニールタッキー:ロビンとメーヴの2人が仲良くなって遊ぶシーンも、すごく良いんですよね。ノルウェー出身の歌手であるAURORAさんの主題歌「Running With The Wolves」もものすごくマッチしています。

ぬまがさワタリ:監督が、ランニングをしているときにたまたま聴いた曲を「映画にめっちゃ合うじゃん!」と思って、主題歌に選んだという事実もすごいですよね。AURORAさんは1996年生まれと若く、この曲も19歳の時に書き下ろしているんです。

ビニールタッキー:既存曲なんですよね。今回のためにアイルランド風のアレンジがされていて、ロックダウン中にリモートで新録されたそうですね。

ぬまがさワタリ:「Running With The Wolves」が主題歌というのは、偶然にしては出来過ぎで凄い。何しろ「自分の中の動物性を解放しよう」「オオカミと一緒に走り抜けよう」と歌う曲ですからね! 聴くとわかりますが、サビがオオカミの遠吠えのようにも聞こえて、自分の中の“動物性”をすごく肯定的に歌い上げているんですよね。神秘的ながら爽快感がある曲なので、オオカミになって駆け回るシーンにぴったりです。
ちなみに「Running With The Wolves」の歌詞には「Trick or Treat」のフレーズも登場します。『ウルフウォーカー』の公開時期と重なる、ハロウィンにもぴったりですね。
また、初期のAURORAさんは内面の壮大な精神世界を表現した曲が多かったのですが、近年の楽曲では社会的な意識が強まりました。環境破壊に対して警鐘を鳴らす曲(TheSeed)、まさに女性や動物など「抑圧される少数者」の誇りを高らかに歌う曲など(Queendom)、美しい楽曲はそのままに、より明確に社会的メッセージを打ち出すようになっているんです。新世代の歌手としてネクストステージに進もうとする彼女の姿勢は、カートゥーン・サルーンの方向性とも一致しています。
つい先日、カートゥーン・サルーンは肉食と環境破壊をテーマにした短編映画を発表しました。本スタジオにも、主題歌を手がけたAURORAさんにも、動物や自然に対する深い問題意識があり、それが最も直接的に反映された映画が『ウルフウォーカー』なのだと思います。人間による環境破壊がいっそう深刻になりつつある今、動物コンテンツの作り手としても背筋が伸びる思いです。



人間と動物たちの描写の間にある“線引き”





ぬまがさワタリ:本作が個人的にすごく興味深いのは、動物描写をするうえで、人間との動物の間に“線引き”をしていることです。人間と言葉で意思疎通ができるのはウルフウォーカーのメーヴとお母さんだけで、ハヤブサのマーリンや他のオオカミたちなどの動物は、“擬人化”がかなり抑えられています。
動物を尊重しながらも、安易に人間のほうに引き寄せず、動物を人間の都合の良い存在にはしない。それでいて魅力的に描くという誠実さを感じるんです。『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』のアザラシも、丸っこくて実に可愛いデザインなのですが、人間に媚びるようなデフォルメした動きはないし、言葉も喋らない。きっちり「野生動物」としての特徴を抑えています。

ビニールタッキー:『ブレンダンとケルズの秘密』に登場するネコも、「すごくネコ」でしたね。デザインはすごくデフォルメされているのに、動きは完全にネコっていう。

ぬまがさワタリ:『ウルフウォーカー』のハヤブサのマーリンも「すごくハヤブサ」でした。ファンタジックな、ディズニー作品のような擬人化もできそうなところ、現実にいる鳥だと認識できる範囲で描かれています。リアルさとチャーミングさを両立する驚異的な動物描写力は、ケルト3部作全てに共通しますね。

『もののけ姫』との比較でわかること





ビニールタッキー:カートゥーン・サルーンの作品では、ジブリ作品からの影響と、敬愛をすごく感じます。トム・ムーア監督は『もののけ姫』が大好きだと明言していますし、「オオカミを恐れ敬う」という気持ちが日本とアイルランドでこんなにも同じなんだということを、『ウルフウォーカー』を観て思いました。
また、アイルランドも日本も、オオカミが絶滅してしまったという共通点もあります。オオカミへの畏怖と、人間の手によっていなくなってしまったという気持ちは、日本人に深く理解できると思うんです。

ぬまがさワタリ:『ウルフウォーカー』と『もののけ姫』は、結末においては明確な違いも感じますね。『もののけ姫』のラストは宮崎駿監督の自然観が反映された、それはそれで誠実な結末だと思います。同じく「人間と動物」映画の名作である『ヒックとドラゴン』の結末にも私は感動しました。一方で、どちらに対しても「人間が自然のほうにもっと歩み寄る道はないの…?」と感じる部分も正直あったんです。なので『ウルフウォーカー』のシンプルながら斬新なラストは個人的に痛快でした。『もののけ姫』をはじめ、従来の「人間と動物」名作群へのアンサーになっていると思います。

ビニールタッキー:『もののけ姫』と異なるのは、女性の解放の物語になっているということにもありますよね。人間たちとオオカミたち動物たちの対立の問題という共通点はありますが、最終的な到達点は全く違います。

ぬまがさワタリ:『おおかみこどもの雨と雪』など、今までの動物やオオカミを描いた映画との違いを考えてみるのも面白そうですね。

日本版ポスターのカッコよさ


ビニールタッキー:日本版のポスターがすごくカッコいいんですよ。ロビンとメーヴが不敵な笑みを浮かべていて、「僕の知っている『ウルフウォーカー』はこういう話だ!」と思いました。




ビニールタッキー:海外のアニメ作品だと、本国ではアクション映画らしさを出したり、主人公の女の子が不敵な笑みを浮かべていたりするのが、日本では可愛らしい感じに変えられているパターンもありますよね。それはそれで宣伝の方向性はわかるのですが、『ウルフウォーカー』は女性の解放の物語であり、「やってやるぜ!」っていう感じが表れているから、このポスターが好きなんです。「Be fierce Be wild Be free」というキャッチコピーもカッコいいですね。

ぬまがさワタリ:動物映画・シスターフッド映画としての本作の熱さを象徴する絵面とフレーズですね。

解放される物語を語る意義とは





ぬまがさワタリ:私の考えですが、『ウルフウォーカー』は「動物と女性はどちらも権威主義的な社会に抑圧されている。だから共に解放されよう」という力強く現代的なメッセージを、エレガントに示した映画だと思います。
ここで『荷を引く獣たち』という本に少し触れたいんですが、その中で「動物の解放と、障害者を解放する動きは根本で通じている」と論じられています。これだけ聞くと「でも動物と(人間の)障害者は全然違うのでは?」と思う人も多いかもしれないんですが、ご自身が障害者であり動物を愛する著者さんが、動物と障害者の抑圧・解放の歴史的な関係をとても丁寧に語っていて、感銘を受けたんです。『ウルフウォーカー』の主人公は(障害者ではなく)女性ですが、差別されるマイノリティという意味でオオカミたちと根本でつながっているということを、『荷を引く獣たち』を読んで改めて思ったんですよね。

ビニールタッキー:僕も解放の物語であることを、つくづく感じましたね。中盤にメーヴが「人間よりオオカミのほうが楽しいじゃん」みたいなことを言って、その時のオオカミになって遊ぶロビンの楽しそうなことと言ったら…。カートゥーン・サルーンは毎回、躍動感のあるシーンが、例えば『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』のアザラシになって自由に泳ぐシーンや、『ブレンダンとケルズの秘密』の自由に絵を描くシーンなどが、気持ちがいいんですよね。抑圧から解放されている瞬間を本当に楽しそうに描き続けていて、今回『ウルフウォーカー』では特に解放の話を中心にしている印象ですね。

ぬまがさワタリ:『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』のアザラシになる瞬間は、人間の中に宿る自然や野生を解放することの尊さが伝わってきました。
『ブレッドウィナー』の辛く重苦しい世界でも、主人公の女の子が友達や弟に物語を語っている時だけは、本当に生き生きとしていましたね。世界が残酷であっても、想像の世界の中では、自由な子どもとして解放されることができる。その解放の尊さを突き詰めたのが、『ウルフウォーカー』のロビンがオオカミに変身するシーンなのではないでしょうか。

ビニールタッキー:『ブレッドウィナー』と『ウルフウォーカー』は、女の子の友達が登場することも共通していましたね。

ぬまがさワタリ:女の子の友情も含め、実は『ブレッドウィナー』との共通点がいちばん多いとさえ感じました。『ブレッドウィナー』と同じように、過酷で不公平な世界で生きる(現実にも数多く存在する)女の子たちが、物語に慰めと解放を見出す話として『ウルフウォーカー』を解釈することもできます。『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』のファンタジックな旅路も、お母さんを失ったショックから立ち直るための、2人の空想の旅であったという見方もできますからね。それが切なくもあるし、美しくもある。
繰り返しになりますが、物語を語り、想像の翼を広げるということは、理不尽な喪失や暴力に立ち向かい、いつか本当に解放されるための、尊く力強い営みなのだと。カートゥーン・サルーンに通底するその思想は、『ウルフウォーカー』にもしっかり受け継がれています。

ビニールタッキー:改めて、カートゥーン・サルーンの作品の高い志を感じますね。

日本語吹き替え版の素晴らしさ





ビニールタッキー:字幕版と日本語吹き替え版、両方を拝見させていただいたのですが、どちらもすごくよかったです!

ぬまがさワタリ:ロビンを演じていた新津ちせさんは、私の2019年のベスト1のアニメ映画『ディリリとパリの時間旅行』でも主人公の声を演じていたんですよ。私の年間ベスト映画の主演声優が2年連続で新津さんという謎のジンクスが…(笑)。メーヴ役の池下リリコさんの演技もメーヴのワイルドな性格によく合っていましたね。

ビニールタッキー:吹き替え版ではお父さんを井浦新さんが演じられているのですが、優しい感じと怖さの両方があって、ものすごくマッチしていました。井浦新さんは、この映画の話をTwitterでされている時に「ぜひ全国のミニシアターで観てください」と言っていて、カッコいいなと思いましたね。



ぬまがさワタリ:井浦新さんの朴訥とした印象がすごく良かったですよね。そして、字幕版でお父さんを演じていたのはショーン・ビーンなんですよね。ショーン・ビーンといえば映画やドラマの中でしょっちゅう死ぬことで有名なので、今回も死ぬのではと心配な人も多いかもしれませんが(笑)、真相はぜひ劇場で確かめてください。

ビニールタッキー:字幕版を観た後に吹き替え版を観たので、違いがわかったところもありましたし、もともと吹き替え好きなので、スッと話が入ってきたという感じがありましたね。聞き比べても違和感が全くありませんでした。

ぬまがさワタリ:『ウルフウォーカー』は美術が素晴らしく、視覚的な情報がすごく多い映画ですから、ちゃんとした吹き替えで画面に集中できるというのはありがたいですよね。子どもにも観てほしい作品ですし、鑑賞の入り口が多いのは歓迎すべきことです。目指せ『鬼滅の刃』!…とまでは言いませんが、本当に多くの人に届いてほしい映画です!

【座談会参加者 プロフィール】


ぬまがさワタリ


生き物と映画と海外アニメと百合を愛するイラストレーター。(Twitter→@numagasa
著書に『図解 なんかへんな生きもの』『ゆかいないきもの㊙︎図鑑』『絶滅どうぶつ図鑑』『ふしぎな昆虫大研究』。雑誌「映画秘宝」にも何かと寄稿。

ビニールタッキー


映画宣伝ウォッチャーであり映画ファン。(Twitter→@vinyl_tackey
その年の印象に残った映画宣伝を勝手に表彰するイベント「この映画宣伝がすごい!」を主催。ブログ「第9惑星ビニル」、ポッドキャスト「ビニールタッキーの映画話」を不定期更新中。

(文・構成:ヒナタカ、イラスト:ぬまがさワタリ)

(C)WolfWalkers 2020

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