俳優・映画人コラム

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2016年08月14日

リスペクトする映画人が後を絶たない大映時代劇の名女優・藤村志保

リスペクトする映画人が後を絶たない大映時代劇の名女優・藤村志保

■「キネマニア共和国」

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.37


現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

藤村 志保さん


 かつて大映時代劇は市川雷蔵と勝新太郎というに大スターを生み出しましたが、彼らとがっぷり組みながら、単に彩を添えるのみならず女の業や切なさ、愛しさなどを銀幕にぶつけていった名女優・藤村志保の存在も忘れてはならないところです。
“和”のイメージを大事にしながら日本女性の美を自然に醸し出し続けてきた彼女をリスペクトする映画人は昔も今も後を絶ちません。



大映映画における
着実かつ華やかなキャリア


藤村志保は1939年1月3日、神奈川県川崎市の生まれ。高校卒業時には花柳流の名取・花柳麗として日本舞踊を教える立場にもありました。

同時に演劇にも興味を覚え、61年に大映京都撮影所演劇研究所に入所し、翌62年市川崑監督の『破戒』ヒロインに、主演・市川雷蔵の勧めもあって抜擢され、映画デビューを果たしました。

このとき、当時の大映社長・永田雅一が原作者の姓と役名の名を採って、藤村志保と命名。新人ながらも熱っぽい演技と日本人女性特有の優しさと芯の強さを併せ持つ新人女優として高い評価を受けます。

さらにこの年、三隅研次監督『斬る』、田中徳三監督『鯨神』、山本薩夫監督『忍びの者』と作品にも恵まれ、またそれらでいかんなく才能を発揮し、結果としてホワイトブロンズ助演女優賞など、この年の新人賞を多数受賞しています。

以降、新鮮かつ古風なイメージ、また着物の似合う女優として、特に大映時代劇に欠かせない存在となり、『新選組始末記』(63)『昨日消えた男』(64)『大殺陣・雄呂血』(66)などの市川雷蔵主演映画、『雑兵物語』(63)『駿河遊侠伝・賭場荒らし』(64)『座頭市鉄火旅』(67)などの勝新太郎主演映画、また三隅監督の特撮時代劇『大魔神怒る』(66)などでも活躍。

67年には三隅監督の『古都憂愁・姉いもうと』で初主演。妹の恋人と関係してしまった姉を熱演し、翌68年の山本周五郎原作による三隅監督『なみだ川』、そして雪女を題材にした田中監督『怪談雪女郎』にも主演しました。

しかし、作品としてはこのように順調なキャリアを進めていた彼女ですが、大映自体が極度の経営悪化で不振に陥り、その後は作品に恵まれないまま、大映は倒産。

彼女は活躍の場をテレビに移します。

テレビや舞台を経て、
再び乞われ続ける映画出演


もともとNHK大河ドラマ『太閤記』(65)で秀吉の妻ねねを演じて以来、『三姉妹』(67)『天と地と』(69)と大河ドラマに出演して、お茶の間でも知られる顔になっていた藤村志保は、テレビドラマでも安定した活動を示すようになります。

一方、映画はめっきり本数が減り、77年『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』で18代マドンナを演じたほかは山本薩夫監督『不毛地帯』(76)、村野鐵太郎監督『遠野物語』(82)、井上昭監督『子連れ狼 その小さき手に』(93)など旧大映にゆかりのある監督作品に出演する程度でした。

しかし90年代後半になると竹中直人監督『東京日和』(97)や相米慎二監督『あ、春』(98)、塚本晋也監督『双生児』(99)など、大映映画の名女優としての彼女をリスペクトした監督たちのオファーに応えた映画出演が一気に増えていき、それとともに再び映画女優・藤村志保の輝きが増すようになり、ほぼ毎年映画出演を果たすようになっていったのは嬉しい限りです。

2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』ではナレーションを担当するも、背骨の圧迫骨折により降板を余儀なくされましたが、夏には全快。その後は芸能活動を控えているようですが、そろそろまた元気な姿を銀幕に見せていただきたいものです。

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(文:増當竜也)

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