「ホーム・アローン」で家族のあり方を考えさせられたのは、私がゆとりだから?
こんにちは、ながちです。冬の日の1993年に生まれました。
今年も早いもので、もうすぐクリスマス。聖なる夜にまつわる映画は数あれど、名作となるとやはり「ホーム・アローン(1990年公開)」ではないでしょうか。
ファミリーコメディ映画のド定番と評され、インターネットに溢れるどのレビューを観ても「笑える」「傑作」と絶賛の嵐。
毎度のことながら作品名は聞いたことはあるのですが、観たことはありません。全世界の注目を浴びたケビン役・マコーレ・カルキン、ゆとりの私にも刺さるのでしょうか。
家族の描かれ方が、今となんとなく違う気がする
クリスマス休暇に家族旅行でパリへ行くはずが、ひとり置いてけぼりになってしまうケビン。家族はケビンの不在に気づき、パリでものすごく心配をします。ママは空港に泊まり、チケットを得るために他の乗客に交渉し、飛行機を乗り継ぎ、行きずりの車に乗せてもらい…。
心配なのは分かるのですが、それまでの家族のケビンへの対応がなんとなく「いじめ」っぽくて、私にとってはちょっとつらかったです。兄も姉もケビンに優しくなく、ママ・パパすら味方ではありません。ケビンは悪ガキではなく、至ってふつうの「ひとりじゃまだ何もできない末っ子」でした。
ケビンは家族に嫌気が指し「こんな家族なんて要らない」となってしまいます。そりゃそうだよね、なんて思ってしまったり。
もしもケビンが悪ガキだったら、いち視聴者としても「置いてかれてかわいそう」よりも「悪い子にしてたからクリスマスにこんな目にあうんだ」と思うのです。しかし残念ながら、作中ではそうじゃない。
映画が公開されたのは26年前のことです。ケビンの家族の描かれ方は明らかに「ふつう」っぽくて、異常ではなさそうでした。むしろ賑わっていて家族は幸せな様子。今とは随分「家族との距離感」や「思いやる態度」が違うんだなあと思い知らされました。きっと今より、家族はずいぶん近しい存在だったのでしょう。
ケビンのキュートさも賢さも、健在
ケビンは「ひとりじゃまだ何もできない末っ子」から、驚異的なスピードで成長を遂げます。
怖かった地下室でひとり洗濯をこなし、買い物へ行き、終いには泥棒を退治するまでになります。その姿を見ていると、子どものいない私でも「元気も勇気も湧いてくるなあ」「子どももひとりの人間なんだなあ」なんて思うほど。
ケビン役をつとめたマコーレ・カルキンはそれから波乱の人生を辿るようですが、当時からしたら「大スターの誕生だ!」と騒がれても仕方なしだなあと。ケビンはまっすぐで、瞳がきれいで、まさに隣に住んでいる子のようなふつうさがありました。可愛らしいだけでなく、ひとりの寂しさも言葉にせずとも読み取れます。
今の彼の情報はネットでわんさか出てくるからこそ、刹那的だなあと感じてしまいました。
「メリークリスマス」の魔法は、老人の腕の中に
物語の鍵を握る、除雪作業をする老人・マーリー。周囲からはその怪しげな風貌で「シャベル殺人鬼」と言われていますが、実は心優しい人でした。ケビンの危機も救ってくれる恩人でもあります。
マーリーとケビンがクリスマス・イブの夜に教会で会話を交わすシーンは、聖なる夜らしくとっても道徳的でした。
「大人でも喧嘩をするし、怖いものもある」ーーそんな当たり前のことを、イブの夜ではっきりと気付かされます。
ケビンがママと再会できたクリスマスの朝、マーリーもまた、息子との仲直りに成功します。そのとき、マーリーが窓の向こうでケビンに手を振るのです。きみの言った通りだったよというように。
物語の中で、クリスマスの魔法はマーリーにかかっていたのだなあ…としみじみ思い知らされました。ケビンは魔法にかかったのではなくて、しゃんと自分の頭で考え、手と足を使って家を守っていたのですから。
つまるところ「ホーム・アローン」は、大人がクリスマスによって何かを気付かされる物語でした。
ゆとりなので斜に構えすぎかもしれません
ハッピーなクリスマスコメディ映画「ホーム・アローン」は、私にとってちょっと違うようにうつりました。斜に構えたことを書いてすみません…。みなさんのご意見をいただければ嬉しいです。
次回もクリスマスの名作に挑めればと思います!ながちでした。
(文:ながち)
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