音楽

REGULAR

2017年01月29日

「家、ついて行ってイイですか?」の発見

「家、ついて行ってイイですか?」の発見




オオツカヒサオ、今までの記事はこちら

またまたテレビ番組についてであるが、テレビ東京系で放送されている「家、ついて行ってイイですか?」という番組がある。番組のメインは繁華街で終電を逃した人たち(あえて逃した人たち含め)にインタビューをして「家までのタクシー代を支払う代わりに自宅について行く」という内容となっている(「YOUは何しに日本へ?」と同じくスタッフが汗をかけばかくほどという企画だ)。

インタビューされるのは、たいていは楽しく飲んでいたという人が多いわけだが、カメラが自宅に上がり込むと彼、彼女たちの楽しいだけじゃない部分が唐突に顔を出す。そのあまりの落差に思わず見入ってしまうのである。

たとえば、日暮里の彼女はガールズバーで働いているが以前保育士をしていて人間関係に悩み辞めたのにたくさんの保育に関する本をまだ捨てられずにいる。たとえば、西船橋の彼は家族と決定的にうまくいっていないが高校時代の部活の仲間を支えに牛丼屋でアルバイトをして借金を返している。

たとえば、六本木の彼女はハロウィンで派手な格好していたが実はもともと90キロ以上あった自分をダイエットで変えた経験を活かして美容インストラクターを目指している。たとえば、大宮の彼女は40歳で熟女キャバクラ勤務だが旦那は72歳で彼を看取らないことには次の恋なんてできないと笑う。たとえば、渋谷の彼女は男性経験豊富な肉食系ダンサーだが片思いの人が来るか来ないかわからないのに冷蔵庫に彼の夕食を用意して待っている。

みんなインタビューされたときには(周囲に仲間もいる場合は特に)「ぜんぜんいいっすよー」とか「え、どうしよ、マジこまるー」などと一様に楽しそうに見える。しかし、いざタクシーに乗ってディレクターとふたりきりになるとフッと憑き物がとれたような顔になる。

そして自宅に着くと見ている側が思いもよらぬ自分たちの人生を少しだけ見せてくれるのだ。もちろんそれは自分自身で語ることであるから脚色や背伸びもあると思う。でも明らかに街にいたときとは違う人になっている。この落差が番組の醍醐味だ。

多くの人にはきっとこの「落差」の経験があると思う。夜中まで楽しくすごした、終電を逃す、さっきまでいた人たちが急に理性を取り戻したかのように帰っていく、残された自分も数時間前の騒いでいた自分を遠い過去にしてひとり自宅に帰る。

若ければ「都会に来てなにやってんだろう」とか「このままでいいのかなあ」とか青い思いに駆られるかもしれない。大人であれば慣れている分そこまでは顧みないが「そういえばあのころ見てた夢って」とか「喧嘩して別れたけどあの人は元気かな」みたいなことくらいは思うかもしれない。

「家、ついて行ってイイですか?」はその瞬間を映している。そんな「健全な賢者タイム」だからこそ、ほんとうは少し恥ずかしい自分のことをみんな話しはじめる。そしてさらに、ここが実は大きいと思うのだけれど、話す相手が知らない人(ディレクター)だから話せるのだと思う。仲間と飲んでいるときにそんな話はできない。

SNSでそんなこと言ったって目の前で相槌はうってくれない。自分に興味を持ってくれた知らない人にイチから自分を説明する、そんな機会は怪しい勧誘でもなければ実はなかなかない。さらにディレクターも部屋の中を物色して「これなんですか?」「あれはこういうことですか?」と言葉は土足で踏み入っていく。すると彼、彼女たちも自分の部屋に痕跡として残っている、自分でも気にしていなかった人生の欠片をきっかけに「それは」「あれは」と話しているうちに、知らない人が自分に興味をもって話を聞いてくれることに少なからず高揚していき、いつのまにかカメラにはその人の「人間」がたしかに映っていくのだ。


ただ、そこに夢や希望があることはあまりない。「YOUは何しに日本へ?」のような「ハレやかなピーク」が映ることはない。その人たちの「今」でしかない。東京という大都会は実はそんな個人の「今」が1300万個も集まってできているのだなと、という当たり前のことを改めて感じる番組なのだ。そして同時に、それは当たり前だけど都会ではとことん分かりづらくなっているということにも気がつく番組なのだ。

人生の、毎日の、どの瞬間が「ほんとうのその人」なのかなんて街には関係ない。街を生かしているのは集団であり、流行であり、消費である。しかしそれは望まれたことでもあったと思う。ほんとうの自分なんてメンドクサイものを気にしなくていい瞬間だって人生には必要だからだ。誰かといっしょにいることだったり、分かりやすいヒエラルキーだったり、ステレオタイプなイメージだったり。「みんないろいろあるけどさ」と言いながら「いろいろってなんだっけ?」と似た者のように見えるみんなと笑える瞬間が必要だからだ。

しかしである。それでも拭い去れない「ほんとうの自分」は汚い部屋の片隅と深夜の心にこびりついていて、隠していたつもりでも手段は分からないけどそれを「見せたい」という衝動にかられるときがあり、そんなときのひとつがたとえば「終電をなくした夜」なのである。番組の発見がここにある。

つまりは「家、ついて行ってイイですか?」という番組タイトルにもなっているこの質問に「いいですよ」と答える人は「なんとなくそろそろ自分を見せたがっている人」であるという可能性が高く、この番組は偶然に見えて実は利害関係の一致があり、必然的に「面白い話」が聞けるという非常に巧妙な仕組みになっているのだ。

そしてカメラが家を出るときにかかる番組主題歌「レット・イット・ビー」が、君がそういう話をすることは分かっていたよと言わんばかりに「でもそんな今でいんじゃない?」と番組をしめている、などと歴史的名曲を拡大解釈してしまうくらいに私はこの番組が好きなのである。

(文:オオツカヒサオ)

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