『バーニング 劇場版』は村上春樹原作を大幅に改変!気になる評価とは?



※ここからは映画本編のネタバレを含みます。
 映画鑑賞前の方は、鑑賞後に読むことをおすすめします。

散りばめられたヒントから浮かび上がるベンの正体


気になるヘミの行方やベンの正体について、ネットの記事や劇場パンフなどには、連続殺人を示唆する記述が多く見られたが、実はここで注目して頂きたいのが、ジョンスとヘミの実家の近くにあった井戸に対しての証言の食い違い、そして二人の実家が北朝鮮との国境近くにあったという点だ。

更に、ベンのパーティーに集まった友人たちや、突然現れたジョンスの母親の不自然さ。そして、ベンの新しい恋人にも繰り返される、ルーティーンワークの様なベンと友人たちの会話や巧みな心理操作などを踏まえて考えると、そこにはやはり“政治的な拉致”の可能性を思わずにはいられなかった。

そう考えれば、「仕事は何を?」と聞かれて、「遊んでいます」と答えたベンの優雅な暮らしぶりも、納得出来るというものだ。

もちろん、全てがジョンスの単なる嫉妬や羨望による思いこみだったと解釈しても、ラストの悲劇性がより強調されることになる本作。果たしてあなたは、この映画の真相について何を思われただろうか?

最後に


今回のタイトルに『劇場版』とある理由、それは昨年末に先行して95分バージョンが日本でもテレビ放映されているため。ちなみに今回の『劇場版』の上映時間は148分と、テレビ放映版よりも50分以上長い完全版での公開となる。



©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved


今回の映画版が原作小説と決定的に異なるのは、やはりジョンスがヘミに抱く感情や熱量の差だろう。

原作小説での僕は、他人との関係には深入りしないように見え、本当に彼女を好きかも分からないし、消えた彼女の行方を必死に探すこともない。だが、納屋を焼くという行為には心を奪われ、彼女が消えた後も自分の近所にある5つの納屋が燃やされていないか、確認し続けることになる。

つまり僕にとっては、彼女の存在や思い出よりも納屋を焼くという行為の方が大事とも取れるのだ。

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)



それに対して映画の主人公ジョンスは、ヘミへの想いと幸せだった日々の思い出に執着し、事件の真相に深く関わりを持とうとする。確かにここは、原作ファンには意見や好みの分かれる部分だが、個人的には日本と韓国の違いを見事に表現した、素晴らしいアレンジだと感じられた。

既に多くの評論で分析されている答えとして、原作に登場する“納屋”が、実は女性のメタファーであり、“焼く”という行為=殺人のメタファーとの解釈を、一般的に目にすることが出来る。

更には、映画や原作に登場する「近すぎて気が付かない」や「君の家の近くにある納屋を焼いた」との記述からも、“納屋を焼く”という行為が、他人の恋人を自分のものにすることの比喩という解釈も出来るようだ。

つまり、原作では自分の彼女で一番近いはずの女性=納屋を、自分の知らないうちに焼かれた=奪われた、との意味に取れるのだが、彼女と新しい恋人が消えてからも、呪いの様に自分の近所にある納屋を見回る主人公は、最後まで女性の心が分からなかった、そんな風にも解釈出来るのだ。



©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved


ところが映画版では、ヘミの失踪後も次の女性と親密な関係になるベンの姿や、ヘミの失踪とベンとの関係を示す決定的なある証拠の登場をきっかけに、第一級のミステリー映画としての展開をみせることになるが、やはりその真相が明らかにされることはない。

そのため、映画の中に巧妙に配置された手掛かりや伏線から、観客が自分なりの結論を導き出す必要があるのだが、確かにこの点が鑑賞へのハードルを若干高くしているのも事実。だが、苦手意識を捨てて挑戦してみる価値は十分過ぎるほどある! そう断言しておこう。

単に人物と舞台を韓国に移しただけでなく、原作小説で描かれなかった3人の物語のその後を描くことで、一つの可能性を観客に提示してみせた、この『バーニング 劇場版』。

村上春樹の原作小説にリスペクトを捧げつつ、独自の解釈と世界観で観客の想像力を刺激する極上のミステリー映画なので、全力でオススメします!

(文:滝口アキラ)

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