映画コラム

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2019年02月14日

だいたいの作品で使える映画レビュー|映画の感想を書くのが面倒なあなたに

だいたいの作品で使える映画レビュー|映画の感想を書くのが面倒なあなたに




※本記事は楽しく読んでいただく目的の元執筆をしています。

SNSやレビューサイトで気軽に「映画の感想」が書けるようになった今、そして誰しもが世界中に「意見」みたいなものを発信できるようになった現在では「俺も何か言いたい」といった欲求を抑えるのは至難の業であると言えます。

しかし「なんか書きたいけど、書くのが面倒くさい」方もいらっしゃるでしょうし、趣味ならまだしも何かしらの課題で書かなければならない、なんていう人もいるでしょう。

本コラムでは、そんな方たちのために「映画館で映画を観たあと、だいたいの作品でそのまま使える感想文」を考えてみました。

私腹を肥やす以外であれば、SNS、レビューサイト、自身のブログなどでご自由にお使いくださいませ。ちなみに、本文章を使ってクソリプをもらうなどの不利益を被った場合、当方は一切の責任を負いませんので予めご了承くださいませ。

以下、本文に入りますが、アレンジなどはご自由にどうぞ。




だいたいの作品で使える映画レビュー


頭部の大部分が弾けきった穀物に占領された化物は、現代日本社会の戯画化なのか。

冒頭、陽気なコンピューター・ミュージックが流れるなか、映画館を舞台として頭部がカメラと化した異形と、これまた頭部がパトランプと化した化物が、奇っ怪なダンスを踊りながら取っ組み合いをはじめる。

おそらく、この物怪は、何らかの理由で人ならざるものに変容したのであろう。人が人ではないものになってしまうという設定は、古くは神話、あるいはカフカの『変身』、我が国では塚本晋也の『鉄男』など、例を挙げればキリがない。

どうやら頭部がキャメラと化した痩身のスーツ野郎は、映画を盗撮した咎で、警察官のような制服を着た頭パトランプの男に羽交い締めにされているようだ。彼等の後ろでは、頭部がドリンクやポップコーンと化してしまった、これまた異形の者たちが囃し立てている。脳がドリンクのように液状化し、ポップコーンのように軽いばかりで中身が無いモワッとした食感の彼等を、現代社会に蠢く魑魅魍魎たちの戯画化と見るのは容易い。

マイルス・デイヴィスの例を持ち出すまでもなく「自分が好きなものに移入した結果、そのもののように振る舞ってしまう」のはよくあることで、キビキビと動く細身スーツカメラ男は、かつて映画が大好きだったのであろう。シネフィルとして毎日のように映画館に通い、専門誌を読み漁り、モンタージュ理論だスタニスラフスキー・システムだマイケル・チェーホフテクニックだなどブツブツいいながら、膨大な数の作品を観続けた結果、いつの間にやら頭部がカメラと化してしまい、観る側から撮る側へと変貌を遂げてしまったに違いない。

さて、頭カメラが悪であれば、取り締まる側の頭パトランプ野郎は善である。かつては彼も人間だったはずだ。罪を憎んで人を憎まずとよく言うが、なかなか出来るものではない。溢れる正義感と同居する悪を憎む心が肥大化してしまい、頭部が公権力の記号であるパトランプと変化してしまったのだろう。人ならざるものになってまで、職務をまっとうせんとする姿勢は頼もしくもあり、同時に哀しさもレンズの向こうから覗かせる。

しかし、ここでひとつの疑問が立ち上がる。確かに頭カメラ君は側頭部にあるモニタらしきものを引き出し、録画ランプのようなものも点灯している。だが、それだけで盗撮しているというのは、証拠としては乏しいのではないだろうか。確かに館内でいきなり立ち上がり踊りだしたら果てしなくウザいのは間違いないが、映画館に入った瞬間に漂うキャラメルポップコーンの香りのように、冤罪の匂いが鼻をかすめる。

というか、むしろ怪しいのは頭ポップコーンと頭ジュースのほうで、実は奴らが黒幕で頭カメラを使役しているのではないか。映画は頭ポップコーン(おそらく塩味)が自分の頭からポップコーンをゆっくりと一粒摘むシーンからはじまる。頭カメラ(推定32歳)が踊りだすと、ポップ男は頭に積載されたポップコーンを飛び散らせて怒りを顕にし、頭ドリンク(コールドドリンクなのは間違いない)も呼応して腕を振り上げるが、おそらくこれはポーズである。

では、ポーズと予想する根拠は何か。映画館内でのシークエンスが終わると、キャメラは鮮やかな手付きで室内へと切り替わる。頭飲み物と頭食べ物の飲食物コンビがソファでくつろいでいる。なんてことのない友人同士の、のどかな風景である。しかし、頭ドリンクが違法にアップロードされた音源をダウンロードしたところで、令状もなしに頭パトランプが突入してきて、頭部ドリンクヘッドホン付きを羽交い締めにする。部屋のなかは大騒ぎである。

頭にストローが突き刺さった違法ダウンロードドリンクメンは、あっけなくお縄になってしまう。なぜ自宅内で違法ファイルをダウンロードした瞬間に、タイミング良く頭パトランプのガサ入れが入ったかについては、頭カメラを止めるな!が取り調べの際に頭山盛りポップコーンと頭ドリンクが共犯であるとゲロってしまったとしか考えられない。あまりに手慣れた斜めストライプ頭ドリンクの違法ダウンロードっぷり、そして悪気のなさっぷりがさらに疑惑を加速させる。

もちろん、頭がコーラみたいなやつについては「他人の権利侵害を激しく糾弾しながらも、実は自分は漫画村読んでます」といった、非常に現代的なSNSの病とも言えるダブルスタンダードの戯画化であることを読み取ることも容易い。様々な解釈が可能であるが、筆者としては、やはり顔面カメラ男と自分で飲むことのできない矛盾を抱えた哀しきジュースメンは共犯であるとの見立てを提示したい。そして、真の黒幕は頭ポップコーンである。

劇中、とくに違法行為をおこなわない頭ポップコーンは、頭カメラちゃんに盗撮をさせ、三下ジュースに音源を違法ダウンロードさせて自分は手を汚さない点で、頭スッカスカのくせにかなりの知能犯であると言える。実際、部屋のなかでも羽交い締めにされて捕まっているのは頭がコーラみたいな男だけである。頭ポップコーンは揉める2人の後ろで両手を広げて驚いてみせるだけだ。頭ジュースが留置場の冷たい床に後悔の液体をストローから垂らしているとき、彼はハートが描かれたマグカップにコーヒーを淹れ、バランタイン30年を数滴垂らして「また次の身代わりを見つければいい。たくさんいるさ。そんな奴は。なにせ、今は全てが無料だ」とほくそ笑むのだろう。ドス黒い悪意のフレーバーに満ちたポップコーンは、生成りのように無垢なポップコーンを見せつけながら大通りを歩く。

こうして、最も裁かれるべき黒幕が捕縛されないまま「盗撮映像のDVD作成や販売、WEBでの公開も犯罪です。」といった文言をエンドクレジットとして映画は終わる。他人様が一生懸命作ったものを盗んで私腹を肥やしてはいけない。アップロードして「神」などと崇め奉られることで承認欲求を満たしてはいけない。正しい。正しすぎる。筋の通った完全なる正義。しかし、正しすぎる正義はどこか鼻につくのもまた確かである。当たり前で真っ当過ぎる正義は「ちょっとオチとして弱いんじゃないかな」と感じてしまうが、本作はそうさせない。

前述もしたが、最大の黒幕である頭部の大部分が弾けきった穀物に占領された化物は、逮捕されないままお天道様の下を歩いている。何という理不尽であろうか。真の悪は裁かれず、逮捕されるのは末端の構成員のみである。これは現代日本の権力構造の戯画化であろうことは、毎日のニュースを見ていれば容易に受け取ることができるだろう。

繰り返しになるが、この「かつて人であったものが人ではなくなってしまう」設定は、物語のクリシェではあるが、いろいろと感慨深いものがある。古来より受け継がれてきた「ベタな手法」も、まだまだ現在でも通用するし、やり方によっては新しい地平を切り開いてくれるものなのである。

と、ここでついに我々は、この作品が上映前の短編映像だということに気付く。終わったと思ったものが、まだ続いている。いや、はじまってもいなかったという事実に、筆者は興奮を隠せなかった。「いや、なかなか面白い作品ですなぁ。前情報と違うけど」と思って満足していたら、本編はこれからなのだ。こんな贅沢なことがあるだろうか。余りに手際のよい「騙し」に、作品への期待は高まるばかりである。

さて、この後上映された作品に関しては、ネタバレ防止のため何も書くことができない。ぜひ、劇場でご覧いただくことをおすすめする。

(文:加藤広大)

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