『ある少年の告白』世界の見方が変わる「5つ」の理由



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2019年4月19日より『ある少年の告白』が公開されます。

まず、本作は悪しき歴史という言葉でも足りない、信じ難い“実話”を描いているということを訴えたいです。誰もが怒りを覚える問題が提示され、それを取り巻く鮮烈なドラマが展開し、それは決して “他人事ではない”ことも突きつけられます。この映画は世の中の見方をガラリと変えさせてくれるかもしれない、だからこそ一人でも多くの人に観て欲しいと心から願える素晴らしい作品であったのです。その内容と魅力を、大きなネタバレのない範囲で以下にお伝えします、

1:同性愛を“治す”おぞましい矯正治療の実態を暴いた作品だった!



本作で描かれるのは、同性愛および性的指向やジェンダー・アイデンティティを“治す”という矯正治療(コンバージョン・セラピー)です。本人の意思を尊重することなく、閉鎖的な環境にて複数人での問答を繰り返し、はたまた“神様”の教えをも借りて、それらを“間違ったもの”と信じ込ませようとしていたのです。

例えば、少女をビデオ撮影しながら同性愛の行いを告白させ「罪深い行動をやめて神に赦しを求めます」とも言わせたり、少年に“男らしさ”を徹底的に叩き込むために豪速球が飛んでくるバッティングセンターに立たせたり……言うまでもないことですが、同性愛および性的指向やジェンダー・アイデンティティを、まるでアルコール依存症や麻薬中毒などと同列に扱って“治す”という考えが根本的に間違っています。それは信仰でも思想でも欠点でもなんでもない、誰かを愛したいという純粋な気持ち、またはその人が守るべき人となりであるのに! 劇中の矯正治療では、そのように徹底して少年少女に罪悪感も与え、根源的な愛情や“生き方”も否定し、“異性を愛することが正しい”と信じ込ませようとします。これは明らかに洗脳、あるいは人格否定に他なりません。

そして、この矯正治療は宗教的な価値観にも基づいています(他にも同性愛を禁止する論拠はいくつかあります)。というのも、聖書の中には同性愛を戒める(と解釈できる)言葉があり、キリスト教の中でも特に保守的な“福音派”の人々は聖書を字義通りに読み、それを事実と受け止めることを基本とするため、現代の状況や世相などを鑑みることなく同性愛を神に対する罪だと考えてしまうそうです。実例として、2017年8月には福音派の指導者らが性的指向やジェンダー・アイデンティティに関して保守的な神学的立場を支持する“ナッシュビル声明”を発表しており、性愛や同性婚などを非難する14組の肯定と否定から成るその内容は、LGBTQの人々を深く傷つけるものでした。

劇中の矯正治療を運営しているのがその福音派の人間であることはもちろん……実は主人公である少年の両親も福音派で、しかも父は牧師の資格も取得しているのです。つまり両親にとって、同性愛を告白した息子に矯正治療を受けさせることは福音派のキリスト教徒として(実際の治療の内容を知らないせいでもあるのですが)“正しい”ことだったのです。あまつさえ、その主人公も「自分を変えたい」と、形式上は自ら矯正治療を受けることを望んでしまうのです。

なんという恐ろしい実話でしょうか。周りの人間どころか両親も正しいと信じている価値観のおかげで、客観的にみれば間違ったことをも“正しい”とされ、当事者もそれを(初めは)受け入れてしまい、結果として人を愛する気持ちを徹底的に否定されてしまうのですから。その矯正治療のおぞましさ、精神的な苦痛がどれほどのものなのか……それを映画という媒体でしか成し得ない方法で教えてくれるのが、この『ある少年の告白』なのです。



2:『ザ・ギフト』の監督が“不穏でイヤな空気”を充満させていた!


このようなおぞましい実話を描いた作品に使う言葉としては適切ではないのかもしれませんが、本作はサスペンスやドラマとして確実に“面白い”と思える内容に仕上がっています。専門用語が飛び交ったりする小難しい内容ではなく、誰しもが登場人物に感情移入しその行く末を見届けたくなる、1本の映画として恐るべき完成度を誇っていると言っていいでしょう。

その立役者となったのは、間違いなく監督・製作・脚本・出演までを手がけたというジョエル・エドガートンです。彼はスリラー映画の『ザ・ギフト』でも良い意味での“不穏でイヤな空気”を作中に充満させており、いきなり映画作家として卓越した手腕を見せつけていましたが、2作目の今回はそれ以上。緩急のある演出でグイグイと観客の興味を引き、フラストレーションを溜めさせ続けることでよりカタルシスを際立たせるといった構成力は、もはやベテランの域に達していました。

出色なのは、劇中の矯正施設のカウンセラーを演じているのがそのジョエル・エドガートン本人であり、本気で生理的な嫌悪感を抱かせるということ! 表情といい態度といい、まともに話を聞いてくれそうもない”非人間的な印象さえある怪演を見せています。前述の『ザ・ギフト』だけでなく、ジョエル・エドガートンは『ブラック・スキャンダル』や『イット・カムズ・アット・ナイト』などといいイヤな役を引き受けすぎです(褒めています)! 逆に言えば、こんな最悪な(しかし本人はおそらく良いことをしていると信じている)人間を自ら買ってでて、完璧に演じてみせるジョエル・エドガートンは本当に良い人なのでしょう。

※『ザ・ギフト』の紹介記事はこちら↓
□『ザ・ギフト』は超イヤな気分になれる秀作スリラー!その5つの魅力とは?



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ジョエル・エドガートン監督 



3:豪華実力派俳優が勢揃い! 
ニコール・キッドマンとラッセル・クロウの“普遍的な両親の姿”にも注目!


前述したジョエル・エドガートンだけでなく、本作には若手からベテランまで実力派の俳優が勢揃いしています。例えば主人公の少年を演じたのは『マンチェスター・バイ・ザ・シー』で弱冠20歳にしてアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたルーカス・ヘッジス。『スリー・ビルボード』や『レディ・バード』など話題作に立て続けに出演し確固たる地位を築いている彼は、今回も繊細さと内に隠した激情を併せ持つ複雑な役を見事に演じきっています。

出色は、ニコール・キッドマンの“母親”とラッセル・クロウの“父親”です。この2人がゲイであることを告白した息子とどう向き合い、そしてどのような心境の変化が訪れるか……ということはネタバレになるので書けないのですが、とにかくそれぞれが “普遍的な両親の姿”を完璧に体現していることを訴えたいです。2人が劇中で示すのは、子供を持つ母親または父親が持ちうる、良いところも悪いところもないまぜにした“よくわかる”行動および感情であるため、共感できることは間違いありません。それでいてステレオタイプにはならないキャラクターの奥行きをも感じさせることに、(脚本の完成度はもちろんのこと)アカデミー賞俳優の力をまざまざと思い知らされました。

さらに、脇を固める面々も個性的です。直近では『女王陛下のお気に入り』や『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』にも出演したジョー・アルウィン、映画監督としても熱狂的なファンを獲得しているグザヴィエ・ドラン、世界的YouTuberでもあり本作へ楽曲提供(シガー・ロスのヨンシーとのコラボ楽曲)もしたシンガーソングライターのトロイ・シヴァン、ロックバンドのレッド・チリ・ペッパーのオリジナルメンバーの1人であるフリーなど、それぞれが“客寄せ”のための短絡的なキャスティングではない、本人の持ち味を生かした役柄にハマっていることも賞賛すべきでしょう。

そのトロイ・シヴァン本人はゲイであることをカミングアウトしています。役を演じるにあたっての意気込み、そして映画の意義について語っている以下の動画も、ぜひ観てみてほしいです。




4:決して遥か昔の話ではない! 
映画が世論を動かす事例もあった!


本作は2016年に出版されたベストセラー本を原作としています。著者のガラルド・コンリーが劇中の矯正治療を受けたのはなんと2004年の19歳の時、決して遥か昔の話というわけではないのです。

そして、この矯正治療は科学的根拠がないだけでなく、鬱や深刻なトラウマをもたらし、自殺率の高さも指摘されたため、実際に規制もされています。2014年には17歳の少年が自殺したことを受け、オバマ大統領が矯正治療をやめるように声明を発表し、アメリカの一部の州で禁じる法律も成立されていました。しかし、現在も34の州では禁止されておらず、これまでに矯正治療を受けたLGBTQは約70万人(未成年のうちに受けたのはその半数の約35万人)にものぼっているそうです。

つまりは、この矯正治療のために苦しんでいる人は現在進行形でたくさん存在している、決して“過去に解決された問題”ではないのです。だからこそ、この『ある少年の告白』は作られる意義がある、多くの人が観るべき映画と言えるでしょう。まずは問題を知ってこそ、考えられること、コミットできることが生まれるのですから。この『ある少年の告白』は映画という媒体でしか成し得ない強い怒りをも観客に呼び起こす内容になっているので、さらに問題と真摯に向き合うきっかけになるはずです。

また、映画が世論を変えることは難しいと思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。例えば、聴覚障害を持つ児童への性的虐待(その隠蔽)の実態を描いた『トガニ 幼き瞳の告発』は韓国で社会現象を巻き起こすほどに多くの観客を動員し、それにより事件が再検証され、障害者の女性や13歳未満の児童への性的虐待を厳罰化し公訴時効を廃止する法律“トガニ法”が制定、加害者のモデルとなった人物が逮捕・起訴されたという事例もあるのですから。映画は、そのような力も持っているのです。



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5:“正しいことをしていると思い込んでいる”ことが恐ろしい! 
問題が他人事ではない理由はこれだ!


ここまで紹介した『ある少年の告白』の内容を読んで、特殊な環境で起こりうる、海の向こうの自分とは関係のない出来事とも思われるかもしれませんが……最初にも掲げた通り、問題そのものは日本であっても起こりうる、決して“他人事ではない”ことも強く訴えておきたいです。それがなぜかは、原作者のガラルド・コンリーの言葉でもよくわかります。

「重要なのは、この種の偏狭さが、心の底では愛し合っている人々の間でも絶えず生み出されてしまうということです。こうした社会的な過ちは、悪人によって行われるとは限らない。身近な存在や、信じていた価値観に裏切られてしまった悲劇的な存在によっても行われるのだ、ということを観客にも理解してもらいたいのです」

さらに、監督・製作・脚本・出演までを手がけたジョエル・エドガートンも以下のコメントを残しています。

「彼(原作者であり劇中の主人公)に対峙する人々は、誰一人悪い人物ではない。みんながみんな、正しいことをしようとしていたのです。」

まさにこの通りで、本作の恐ろしさは“正しいことをしていると思い込んでいる”ことにもあります。それこそ両親は“息子のため”に矯正治療を勧めていましたし、矯正治療を行うカウンセラーも“彼らに正しい人生を歩ませるため”に仕事をしているに過ぎないのでしょう。その“悪いことをしていない”という自覚、それを1人だけでなく周りの人間が同調してしまっていることが間違った価値観を存続させ、さらなる悲劇を生むことになるのです。

同様に、自分が正しいことをした、周りに流されて良かれと思っての発言が、結果として誰かを傷つけてしまった……という経験があるという方は、決して少なくはないはずです。これは劇中の矯正治療やLGBTQへの不理解に止まらない、普遍的かつ大局的な問題でしょう。

そして、ジョエル・エドガートンはこの物語(実話)が希望に着地することを踏まえ、以下の言葉も残しています。

「セクシャリティとは選択の問題ではないですし、治すものでも学ぶものでもありません。しかし幸いにも受け入れるということは、学べたり、やり直せるものなのです」

『ある少年の告白』はまさにこの“受け入れる”ことの大切さを教えてくれます。もし、自分の子ども、あるいは友達や恋人がLGBTQであると告白してきたら……どのように行動し、接するべきなのか、そのヒントを与えてくれるのですから。それは同時に、今の世の中に蔓延する様々な同調圧力や間違った価値観の存続への警鐘および解決にもなり得るのです。

また、ジョエル・エドガートンはこの物語において“アイデンティティと自由を見つけ出す主人公の意思”が重要であり、“愛は常に勝利する”ことを描いているとも語っています。クライマックスと美しいラストシーンは、まさにこの言葉を体現する感動とカタルシスに満ち満ちていました。

最後に、この『ある少年の告白』の最大の衝撃は物語が終わった後、エンドロール中に訪れるということを告げておきます。その内容はもちろん書けない、観てくださいとしか言えません。そして観終わった後には、きっと観た人それぞれが世界の見方を、もっと言えば自身の生き方をも変えることになり得る……それほどの力を持っている映画であると、断言します。全ての子を持つ親も必見、2019年ベスト候補の傑作でした!


(文:ヒナタカ)

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