『空母いぶき』超ド級の日本映画となった「5つ」の理由!



2:原作からの大胆なアレンジがあった!
“普通の人々”が重要になっている理由とは?


本作は『沈黙の艦隊』や『ジパング』などで知られるかわぐちかいじ氏の同名マンガを原作としています。主要登場人物の設定や前述した矛盾や葛藤は映画でも概ね踏襲されていていますが、かなり大胆なアレンジも施されていました。

もっとも原作と異なるのは、中井貴一が演じるコンビニ店長や、本田翼が扮する女性記者など、“一般人”の映画オリジナルの登場人物がいるということでしょう。彼らが具体的にどういう役割を果たすのか……ということはネタバレになるので書けないのですが、彼らの存在によって「観客の心境を代弁してくれている」「政府のお偉いさんだけの話じゃないことが示されている」「親しみやすさが増している」という効果を生んでいる、ということだけはお伝えしておきます。

原作でも、ネットの情報やテレビのニュースから「東京にミサイルが飛んでくるのではないか」ということを知り半ばパニックになる人々の姿や、コンビニから商品が無くなったり、高速道路が渋滞するなどの描写はあったのですが、あくまでも物語の外側にいる状況を示す程度、モブキャラクターとしての描写にとどまっていました。ほぼほぼ政府の人間と自衛隊員の選択や行動に絞って描いていることも原作の良いところではあるのですが、極端な性格をしている登場人物がメインに居座っていること(これについては後述します)もあり、個人的にはそこに少なからずや“とっつきにくさ”を感じたことも事実でした。

映画では、その“軍事とは全く関係のない”、“蚊帳の外に置かれていたはず”のコンビニ店長や女性記者などの一般人を、極めて庶民的に、観客の気持ちに寄り添うように描いているということが重要です。それは、現実では「政治や軍事衝突などに国民は直接的にはコミットできないという歯がゆさがある」けれど、「いや、私たち一般人にもできることがあるんだ」というある種の願望を描いている、それこそが尊いと思える作劇が追加されていると言ってもいいでしょう。

この「実際の戦闘や政治劇の外にいる“普通の人々”のことを描いている」というアレンジは原作のファンからは賛否両論があるかもしれませんが、個人的には大いに肯定します。より観客に近い立場の登場人物を配置したことで親しみやすさが増していることはもちろん、緊迫した戦況が続く中での“ほっと息がつける”清涼剤のような役割も果たしており、それがあってこその戦争についてもより親身に考えられる展開も終盤に用意されていました。何より、彼ら普通の人々の考えは誰もが持ちうるものであるため、原作よりもさらに“問題の当事者”として映画の内容に入り込めるような工夫にもなっているのですから。あらゆる意味で、「この映画には普通の人々である彼らの存在が必要だった」と思えたのです。

なお、映画の前日譚となる“映画『空母いぶき』エピソード0”を、原作者のかわぐちかいじ氏が描き下ろしています。こちらでは映画オリジナルの登場人物たちそれぞれの、映画で描かれる直前の姿が描かれているので、ぜひ映画の前に読んでみることをオススメします。一部書店で小冊子が置かれている他、以下のページから読むこともできますよ。

<エピソード0|映画『空母いぶき』公式サイト>

映画オリジナルの設定はそれだけではなく、劇中では“クリスマスイブ前夜(12月23日未明)からの24時間のみ”と時間経過が限定されていたりもします。クリスマスイブという“お祝いムード”になるはずの1日に、日本がかつてない脅威にさらされてしまうことは皮肉的でありながら、逆説的に終盤に提示されるメッセージに説得力を持たせることにも成功していました。

なお、原作は既刊12巻、現在も連載中という長編です。映画ではその原作をそのままトレースするのではなく、2時間弱の時間で収めるための取捨選択を十分に行っているため最後までダレることなく集中して観ることができ、しかも前述した映画オリジナルの普通の人々の描写も挟みつつ、原作の持つ真摯なメッセージも外していない……という誠実なまとめ方がされていました。その“圧縮”のためのアプローチとしても、24時間という劇中の時間の制約は必要だったのでしょう。1本の映画だけであらゆる事象にしっかり決着をつけている、極めてロジカルに構成された作劇がなされていることも、映画版『空母いぶき』の美点なのです。

ちなみに、原作では敵国となるのは中国であり、尖閣諸島問題を初めとした現実の時事的な要素も描かれていましたが、映画では架空の国に設定され、領土に関わる問題もごく軽く触れる程度にとどまっています。もちろん中国を映画では悪し様には描けなかったという大人の事情もあったのでしょうが、前述した“自衛のための武力の行使”に論点が絞られたためにわかりやすさとエンターテインメント性が増しただけなく、プロパガンダ映画のような偏向もなくフラットな視点が持ちやすい、“寓話”としての説得力もより強固になっていると、これも結果的には存分に肯定できる変更点になっていました。

また、映画『空母いぶき』が気に入った方は、後追いで(または映画の前でも)原作を読んでみることをオススメします。映画では“親しみやすさ”と“わかりやすさ”という間口の広さがあり、原作では日本に起こり得るかもしれない危機についてさらに実際の問題を交えて“深掘り”ができる内容になっていたのですから。両者を合わせて観ることで、それぞれの作り手が伝えたいこともさらに明確に感じられることでしょう。


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©かわぐちかいじ・惠谷治・小学館/『空母いぶき』フィルムパートナーズ

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