人生を学べる名画座

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2021年07月11日

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.13| 『戦場にかける橋』|「ここに文明はない」

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.13| 『戦場にかける橋』|「ここに文明はない」



『戦場にかける橋』は、自分でお金を払って、初めて観にいった映画です。

以前、僕が住んでいた家の隣が映画館でした。幼い頃は隣の子供ということでタダで入れてもらって、『鞍馬天狗』などをよく観ていました。そんなことも、僕の映画好きに影響しているんだと思います。

その後引っ越して、小学生になった。そして、自分でお金を払って友達と二人で初めて観た映画、それがこの『戦場にかける橋』なのです。僕は1947年生まれなので、11~2歳くらいでしょうか、おそらく小学校の5~6年生あたりだと思います。映画館で字幕の映画を観たのも、このときが初めてでした。

その初めて観た映画が、いまだに生涯の「映画ベスト10」に入っている。一番最初に、いかにいい映画を観てしまったか、ということでしょうね。『戦場にかける橋』は、間違いなく僕を洋画の世界へと引きずり込んだ作品です。

最初に観たときは小学生でしたから、前半はかったるくて後半が面白かった。この映画は、大まかに言うと二部構成になっています。前半は、英米の捕虜たちと日本軍との確執、そして橋を造っていく過程を描いていて、後半は、その橋を爆破するというクライマックスに向かっての攻防なのでアクション的な要素が多い。前半は台詞も多いし少々ややこしいもので、子供にとってはどうしても後半が面白いのですね。

でも、二度三度と観直していくうちに、前半部分の面白さがだんだんわかってくる。その面白さというのは、日本人、アメリカ人、イギリス人の国民性というかメンタリティの違いを、三者三様に実にうまく表現している点なのです。

映画はまず、日本軍の捕虜となっているアメリカ軍のシアーズ中佐(ウィリアム・ホールデン)の描写からはじまります。シアーズは簡単に言うと「捕虜になったんだからしょうがない。労役をサボりながら、脱走の計画を立てよう」という考え方で、収容所の中で仮病を使ったりしてのらりくらりとやっていこうとしている。

そこへ、新たに捕虜となったニコルソン大佐(アレック・ギネス)率いるイギリス軍の小隊が収容所にやってくる。この大佐、実に生真面目なのですね。

取り上げたのは、ニコルソンが収容所にきた最初の晩、将校会議の中の会話です。

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ニコルソン:脱走の話はよせ脱走は99パーセント不可能だ


シアーズ:しかし大佐 ここの捕虜生活の終着駅は100パーセントあの墓場です

脱走をあきらめろというのは死刑の宣告と同じです


ニコルソン:気持ちはわかる だが私も部下も法的なある制約を受けている

我々はシンガポールで司令部から降伏を命じられた

命令だから脱走は軍律違反も同然なのだ 


シアーズ:それではあなたは どんな犠牲を払っても法律を守ると?


ニコルソン:法律あっての文明だ


シアーズ:ここに文明はない


ニコルソン:我々が手本を示す 脱走の話は終わる

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ニコルソンに脱走を提案するシアーズ、実は中佐ではないのです。「将校への労役を強制してはならない」というジュネーブ国際協定を知っていたために、捕虜になる直前に戦死した中佐の軍服を着て将校になりすましていたのですね。

ところが、いざ日本の捕虜になってみると、中佐だろうが大佐だろうが関係ない。収容所の所長である斉藤大佐(早川雪洲)は、「将校であっても捕虜は捕虜、労役を強いられたら従うべきだ」という考え方の持ち主です。

そこでシアーズは、表面上はうまくやって脱走のチャンスを窺うほうが賢明だと考え、ニコルソンにそれを提案する。ところがニコルソンは、「脱走は軍律違反だ。日本軍に我々が手本を見せる」と突っぱねる。

シアーズが「ここに文明はない」というのは、アメリカ的な文明がないということで、そこには日本的な文明があるのですね。ここでいう日本的な文明というのは、「上司が部下に範を示す」というもの。日本は基本的に農耕民族ですから、みんなで同じ仕事をするという考え方があって、階級意識があまりない。だからこそ、「将校こそがまず先頭に立って、範を示すべきだろう」という考え方を持っているのです。

アメリカ人のシアーズは、その考え方がわからない。せっかく中佐に成りすましてまで労役から逃れようとしたのに、日本人はジュネーブ協定を無視して労役を強制する。そこで、「ここには文明はない」となってしまうのです。「説得したってムダだ」と。

一方、イギリス人のニコルソンは、あくまでも組織の規律と、将校としての誇りを大切にする。ニコルソンが労役を拒絶するのは、シアーズのように楽をしたいからではなくて、「将校と一兵卒とでは役割が違う。組織としては役割分担が必要なのだ」という考え方に基づいているのです。そしてそれをジュネーブ協定が認めていると。



(斉藤大佐(右)を演じた早川雪洲は、この作品でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた)

この三者三様の図式が面白いのですね。イギリス人のニコルソンは、協定の条文を斉藤に見せて「ここに書いてあるでしょう」と説得する。斉藤は「そんなことは知っている。でもここでは関係ない」と言い放つ。それを見ているアメリカ人のシアーズは「そんなことをしたってムダだよ」と思っている。

「それでもニコルソンは「我々が見本を示す」という信念を持っているもので、決して屈しないのです。ニコルソンの強情さに業を煮やした斉藤は、熱中地獄のトタンで覆われた砂の中の営倉に大佐を閉じ込めるのですが、フラフラになりながらもニコルソンは耐える。その根底にあるのは将校としての誇りなのでしょうが、その姿が実に感動的なのですね。

そして、ちょっとガンジーの無抵抗主義のようでもありますが、結局斉藤のほうが折れるのです。「わかった。お前らの方法で、とにかく橋を造れ」と。

将校は労役をしなくてもいいと斉藤に認めさせたニコルソンは、今度は「日本人に我々の優秀さを見せつけてやろう」ということになって、クワイ川に立派な橋を建造しようとする。それは当然、日本軍にとって有利なことなので、アメリカ人は「そんなことをしていいのか?」となる。でもそれが、イギリス軍人としての矜持なのです。

そして橋の建造がはじまる。ニコルソンの軍が中心となって、事故やいろいろな障害を乗り越えて、立派な橋を造るのです。その間にシアーズは命からがら脱走に成功して、(本意ではないながらも)友軍を引き連れて橋の爆破部隊として収容所へと戻ってくる。

銃撃戦が行なわれて、橋に爆薬が仕掛けられる。列車が通るその瞬間に、橋を爆破しようとするのですね。そしてその瞬間、ニコルソンは思わず「やめろ! 爆破するな!」と言ってしまう......。この気持ち、わかるような気がしました。

ここに描かれた日本人、イギリス人、アメリカ人のメンタリティの違いの中で、僕が一番近いと思うのはアメリカ人ですかね。シアーズが本当の中佐ではないということも含めて、アメリカ人はいい加減なお調子者のようにも描かれていますが、そういったメンタリティが日英間の潤滑油となり、うまくいったというエピソードもありました。

日本人もイギリス人も、生真面目というかなんというか、建前や対面を気にしすぎているような気がしますね。僕は、ニコルソンのようにそんなに意固地にならずに、将校も状況によっては働いたっていいじゃないかと思ってしまうんです。階級社会独特の「労働する人と指揮をする人は絶対別ではないといかん」という考え方も嫌ですね。

そんなことはどっちでもいいから、置かれた状況の中で、一番うまく歯車が回るようにすることを考えるべきだと思います。そのためには、多少ノー天気だっていいじゃないですか。大切なのは、建前よりも結果なのです。

この映画のように、三カ国の人々が同じ仕事をするということはなかなかないでしょうが、自分とは違うメンタリティや考え方を持った人、違うやり方で物事を進めていく人と仕事をするというのは、現実的によくあることだと思います。

そんなとき、個人個人の建前や自尊心などばかりを最優先にした、結果の出ない長いだけの会議ってありますよね。でも、考え方ややり方が違う人が集まって仕事をするわけですから、全員の意見が100パーセント一致することなんてないのです。他人の建前や自尊心なんて、いくら話し合ったって理解することはできません。

そういう場合、個人的な建前はひとまず横に置いておいて、実際の仕事の進め方を現実的に話し合うべきです。「この仕事を期日までに終わらせるためには、どうすればいいか?」このことだけを命題にすれば、個人の建前なんてどこかへいってしまうはず。「私はこうだから、それはできない」なんて頑固に主張していたら、集団の中での仕事はとてもできない。物事は一歩も前に進みません。

この作品の素晴らしさは、デビッド・リーンの演出はもちろん、原作、脚本にもあります。日米英のメンタリティの違いをうまく表現できたのも、この映画が国際的に作られたということもあるでしょう。

『戦場にかける橋』はアメリカ映画ですが、監督のデビッド・リーンはイギリス人、原作のピエール・ブールはフランス人です。ブールはもともとエンジニアだったのですが、第二次世界大戦で仏領インドシナでフランス軍に加わり、実際に日本軍の捕虜になった経験があります。そのときの体験を元に書いたのがこの『戦場にかける橋』であり、『猿の惑星』(1968年)であるといわれています。

ということは、「猿」のモデルは日本人? ということで、腹を立てた日本人が多いようですが、シアーズの台詞にもあるように、ブールからすれば我々日本人は、文明のない人々に見えたのでしょう。

「猿」というのは言い過ぎだとしても、『戦場にかける橋』の舞台となったタイでの捕虜生活は、想像を絶するものがあったと聞きます。専門家が5年はかかると見積もった架橋工事を、アジア地域の強制労働者と連合軍の捕虜約3万人の突貫工事によってわずか15カ月ほどで完成させたのですから、工事の過酷さが窺えます。工事期間中、連合国の捕虜1万6000人以上が命を落としたそうですが、その遺体の多くは橋の周辺に墓標もないままに埋められたのでしょう。

現在の泰緬鉄道はタイ国有鉄道によって一部分だけが運行されていて、映画の舞台となったクワイ川鉄橋近くには“JEATH”という戦争博物館があるそうです。“JEATH”というのは、日本、イギリス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、タイという戦争に関わった6カ国の頭文字を合わせたもので“死(DEATH) ”という単語も意識してつけられた名称。泰緬鉄道はいまだに「死の鉄道」という異名があるそうです。

すっかり“平和ボケ”したといわれている現在の日本ですが、わずか60年ほど前にこういった悲惨な現実があったのだと思うと、戦争の恐ろしさを改めて感じますね。 “JEATH”の正面の門には、「許そう、しかし忘れない」と記されているそうです。

弘兼憲史 プロフィール

弘兼憲史 (ひろかね けんし)

1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。

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