戦後の日本映画を支えた巨匠・野村芳太郎。
没後20年を迎えた今、その作品世界を再発見する動きが活発化している。
骨太な社会派サスペンスの名手として知られる一方で、風刺に富んだ喜劇や家庭劇にも果敢に挑戦した野村監督の振り幅の広さは、日本映画界でも類を見ない。
本稿では、名作「砂の器」や「張込み」などと並んで語られることの少ない、野村監督の異色作3本――「鑑賞用男性」(1960年)、「女たちの庭」(1967年)、「ダメおやじ」(1973年)――に焦点をあてる。
それぞれの作品に通底するのは、人間存在への洞察、時代背景を的確にとらえた社会性、そして何よりも“語り”の豊かさである。
名匠が残した多彩な表現を、多面的な視点から掘り下げていこう。
「鑑賞用男性」──ファッションとジェンダーをめぐる風刺コメディの秀作

(C)1960松竹株式会社
1960年公開の「鑑賞用男性」は、男性も“見られる”性であるというジェンダー的視点を風刺的に描いたコメディ映画だ。
主人公の芦谷理麻はパリから帰国したばかりの気鋭の女性デザイナー。
彼女が提案する奇抜な“男性制服”は社会に旋風を巻き起こすが、保守的な日本の職場文化に猛反発され、ストライキ騒動にまで発展する。
理麻と反発し合う古典趣味の青年・文二郎との関係は、いわゆる“じゃじゃ馬ならし”的なロマンスの枠を踏み越えており、男女の役割が揺らぎ始めた時代を象徴している。
理麻のキャラクターには、戦後の女性の自立と社会進出への期待と葛藤が濃縮されており、その軽快なタッチの中に鋭い社会批評が潜んでいる。

(C)1960松竹株式会社
演出はきわめてリズミカル。
制服騒動が拡大していく展開には、学生運動や労働争議を彷彿とさせるパロディの要素も見て取れる。
理麻役の有馬稲子は、凛とした気品とユーモアを併せ持ち、現代女性像の新しい典型を打ち立てた。
対する杉浦直樹も、頑固で繊細な青年をユーモラスに体現し、二人の掛け合いは心地よい緊張感と笑いを生む。
現代の視点で見ると、本作はジェンダー表現の先進性と共に、男女平等へのまなざしを讃える映画として再評価されるべき一本である。
(C)1960松竹株式会社
「女たちの庭」──静かなる衝撃、母娘の“血”をめぐる抒情詩

(C)1967松竹株式会社
「女たちの庭」は、老舗織物問屋に生まれた三姉妹と母親が織りなす家族ドラマ。
表面的には穏やかな日常を描きながらも、物語は“母が秘めた過去”という重いテーマを徐々に浮かび上がらせる。
次女・悠子の見合い相手が、かつて母・綾子が密かに想いを寄せた男性の子である可能性が浮上し、末娘・いずみは出生の秘密に気づいていく。
綾子の過去を知ることで、娘たちは母親という存在の複雑さに直面し、自身の生き方を再定義していく。

(C)1967松竹株式会社
本作は、単なる家族の葛藤劇ではなく、“女性”という存在の内奥を深く掘り下げた心理劇でもある。
高峰三枝子演じる綾子の緊張感あふれる演技は、言葉少なながら感情の揺れを丁寧にすくい取っており、物語に静かな重みを与える。
撮影には日本橋の老舗の家屋や伊万里の風景が丹念に織り込まれ、日本的な情緒と西洋文学的構成美が見事に融合している。
いわば“昭和の文芸映画”の到達点のひとつといえる秀作だ。
(C)1967松竹株式会社
「ダメおやじ」──哀しき中年像に宿る庶民のリアリズム

(C)1973松竹株式会社
1973年公開の「ダメおやじ」は、人気漫画を原作とする風刺コメディ。
が、単なるギャグ映画に留まらない深みを持った作品だ。
主人公は、家庭でも職場でも虐げられる平凡なサラリーマン・雨野大助。
妻は過剰に野心的、子どもも夫を軽んじ、周囲からも無能呼ばわりされる彼は“日本の中間層男性”の悲哀を背負っている。
演じる三波伸介は、テレビで人気絶頂だったコメディアン。
映画では一転、哀愁とユーモアを絶妙なバランスで織り交ぜ、大助に深みを与えている。

(C)1973松竹株式会社
妻役の倍賞美津子は、ヒステリックながら夫に期待をかける“鬼嫁”像を強烈に体現し、観る者に複雑な感情を抱かせる。
映画は家族という密室での力学をシニカルに描き、父親像の神話を笑いとともに崩していく。
高度経済成長期の影で、組織に埋もれた男たちが抱えた不安と虚無感が、この“ダメおやじ”の姿を通してじわじわと浮かび上がってくる。
ラストに向かって、哀しみと諦めがないまぜになった独特の余韻が残る。これは単なる笑いの映画ではなく、日本社会を見つめ直すための鏡のような作品なのだ。
名匠・野村芳太郎の“別の顔”に触れる3本
今回取り上げた3作は、野村芳太郎の「社会派サスペンスの旗手」というイメージとは異なる一面を鮮明に浮き彫りにする。
ジェンダー風刺の痛快喜劇「鑑賞用男性」、女性の生き様を静かに見つめた「女たちの庭」、家庭の闇を笑いと共に描いた「ダメおやじ」――いずれも時代の空気を的確にとらえつつ、人間存在への深い理解に裏打ちされた作品である。
名匠が残した多彩なフィルモグラフィ。その中には、いま再び観なおされるべき珠玉の異色作が、まだまだ眠っている。
(C)1973松竹株式会社
配信サービス一覧
『鑑賞用男性』
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『女たちの庭』
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『ダメおやじ』
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