『サラエヴォの銃声』が語る、ボスニア・ヘルツェゴビナの現在

現在全国順次公開中の『汚れたミルク あるセールスマンの告発』に続き、大ニス・タノヴィッチのもうひとつの新作が25日から公開される。昨年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)に輝いた『サラエヴォの銃声』は、これまで母国ボスニア・ヘルツェゴビナの社会情勢を様々な方法論で物語ってきたタノヴィッチの類稀なる演出力が光る、衝撃のドラマである。

<〜幻影は映画に乗って旅をする〜vol.22:『サラエヴォの銃声』が語る、ボスニア・ヘルツェゴビナの現在>

(C) Margo Cinema, SCCA/pro.ba 2016

 1914年にオーストリア領だったサラエヴォで起きた暗殺事件。当時19歳の青年が、フェルディナント大公夫妻を暗殺したのである。この事件がのちに第一次世界大戦を引き起こしたことは言うまでもない。『サラエヴォの銃声』は、その〝サラエヴォ事件〟から100周年の記念式典を前に、サラエヴォの町に佇む老舗ホテル〝ホテル・ヨーロッパ〟を舞台にした群像劇。

特別番組の撮影中のインタビュアーや、ホテルの経営者、従業員の母と娘、演説を控えるVIP。物語は多くの人物の視点から徐々に緊迫したムードを盛り立てていくのであるが、暗殺者と同じ名前を持つ男の登場によって、ミステリー的な雰囲気が加速する。そして、100年前を想起させる銃声によって散りばめられた物語がひとつにまとまるという、群像映画の定型スタイル〝グランドホテル形式〟を踏襲する。しかもそれを、由来となったエドマンド・グールディングの名作と同じように老舗ホテルでやってのけるのだから、その気概は素晴らしい。

しかも、そのホテル・ヨーロッパの中に、ボスニア・ヘルツェゴビナという国が未だに抱え続ける様々な問題を集約させているのである。

ホテルの屋上で、インタビューを行う女性ジャーナリスト。彼女が向き合うのは、暗殺者プリンツィプが〝正義〟なのか〝悪〟なのかという問いである。これは今でも市民を二分する歴史思想のひとつである。一方で、ホテルの中ではオーナーが経営難にあえぎ、労働者たちは賃金の未払いに対してストを模索している。これも長く続いた紛争の余波が及んでいるためであろう。

2013年に高評価を得た『鉄くず拾いの物語』では、少数民族・ロマの家族が、紛争で生まれた貧困によって窮状に陥る様を描き出し、2010年には『戦場カメラマン 真実の証明』で戦争によって心に深い傷を追った男の物語を描いてきたタノヴィッチ。もともとボスニア紛争の戦場で、記録映画を撮り続けた経歴を持つ彼は、あらゆる戦争・紛争の後遺症を抱えるボスニア史の証人としての作家性を築き上げてきたのだ。

そんな彼の作家性が最も顕著に表れていたのは、紛れもなく世界にその名を知らしめたデビュー作『ノー・マンズ・ランド』である。

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ボスニア紛争の最中、前線のボスニア兵のチキは襲撃を逃れ、意識を失った親友のツェラとともにセルビアとの中間地帯の塹壕に辿り着く。そこに現れた二人のセルビア兵のうち一人を殺すのだが、なんとツェラを死体と勘違いしたその兵士は、ツェラの下に地雷を仕掛けてしまうのである。ツェラが動けば塹壕もろとも吹き飛んでしまう窮地に、チキともう一人のセルビア兵ニノは協力し合い、何とか助けを求めるのであった。

人間と人間が憎しみ合うという戦争の無力さを、ユーモアに語ると同時に、あまりにも皮肉めいたクライマックスで、世界中で大絶賛を浴び、デビュー作ながらアカデミー賞外国語映画賞をはじめ多くの賞を総なめにした21世紀最初の名作である。少なくとも、これほどまでに完成度の高い監督デビュー作にはなかなか出会うことはできないだろう。

常にタノヴィッチの映画は、悲観的に歴史を見つめることはせず、〝反戦〟と〝平和〟のメッセージが込めながらも、ありのままの現状をシニカルに切り取っていく。それは直接的に紛争を描き出さなくても、人間の些細な生き様を描き出すだけで、その紛争の悲惨さは充分に見ることができる。まさに、彼の映画作りの根底に染み付いて離れない強さだからだ。

「ボスニア・ヘルツェゴビナは、すべてふたつ以上の物語がある」。今回の『サラエヴォの銃声』の劇中、かつての暗殺者と同じ名前を持つ男が語る台詞が語るように、歴史観から都市部と地方の生活様式、戦争と平和、過去と未来、ボスニアとセルビア、あらゆる物語が蠢き続けているボスニア・ヘルツェゴビナの実態をこれからもタノヴィッチは世界に発信し続けていくだろう。

(文:久保田和馬)

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    久保田和馬

    久保田和馬

    久保田 和馬 1989年生まれ。映画評論家/映画ライター/映像作家。フランス映画とアジア圏の映画をこよなく愛する。大学時代からの自主制作の延長で映像制作を行い、2013年から文筆業を開始。「図書新聞」へ映画評の寄稿、「リアルサウンド映画部」への寄稿など。

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