映画コラム

REGULAR

2017年12月02日

大人男女の制服コスプレ学校お籠り!映画評論家監督が描く衝撃の『青春夜話』!

大人男女の制服コスプレ学校お籠り!映画評論家監督が描く衝撃の『青春夜話』!




あの頃に戻りたい……。

青春をもう一度やり直したい……。

大人になったら、誰しも一度はそういうことをふと思うことがあるかもしれません。

しかし『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではありませんが、現実には過去に戻ることはできません(戻れたところで、今度こそ良いことが! なんて都合のいいこともそうそう起こらないでしょうしね。もっとも若返るのならば痛風は治るし、血圧も下がるし、体脂肪も血糖値も基準値に戻って……)。

ただ、今の時代、面白いもので科学的に過去に戻ることは不可能でも、ある意味ヴァーチャルに、あの頃に戻ることはできます……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.274》

そう、コスプレしちゃえばいいのだ!

映画評論家として著名な切通理作が初監督した映画『青春夜話―Amazing Place―』は、大人の男女が深夜の学校に忍び込み、学生服をはじめとするコスプレに興じながら、もう戻れないあの時代に、魂だけでもバック・トゥ・ザ・フューチャー! 

そんなフェティッシュでアナーキーで、そして狂おしくも切ない、愛と追憶に満ちた衝撃と戦慄と感動の“映画”なのです。

忸怩たる高校時代を過ごした男女の
一晩の“バック・トゥ・ザ・フューチャー”



さすがにまだまだ中年とは呼ばれないけど、決してもう若いとも言い切れない男女がいます。

気弱な高校生だった野島喬(須森隆文)は、サラリーマンになった現在も、道行く高校生とすれ違うたびに目を伏せがちな日常を送っています。

同じく学校時代はひとりぼっちでいじめられがちだった青井深琴(深琴)は、どうも妻子ある男性を好きになるという恋愛癖があるようです。

高校の同窓生でもあったふたりは、ふとしたことで再会し、思わず意気投合し、勢いで一緒に呑みに行き、それなりのムードになって……。

ここまでくると、普通ならラブホテルなりどちらかの家なりへ場所を変え、つかの間の……なんてことになりがちですが、喬が深琴を伴い、向かった先は、かつて自分たちが通っていた高校でした。

しかも真っ暗な教室に忍び込んだふたりは、そこでな、な、何とロッカーに置いてあった学生服を着て、一晩だけあの頃に戻ろうとする!?

真夜中の学校という、まさにAmazing Placeともいえる一種独特の空間の中で、大人の男女がコスプレしながら、教室からプールサイドから何まで探索しながら、いつしか自分たちの色を塗りたくっていきながら、やがてはお互いの気持ちも高まって……といった一見異様にも映る行動の数々は、単なるフェティッシュなノスタルジーだけでなく、忸怩たる思い出しかないそれぞれの過去と知らず知らずのうちに対峙していくことになります。

またこの学校、実は彼らふたりきりではなく、当直の先生(阿部智凜)と用務員(飯島大介)も泊まり込んでいて、見ている側はいつばれるのかヒヤヒヤしつつ、でもこのふたりもまた非日常的に映える空間の“魔”に誘われるかの如く、どんどんおかしなことになっていきます!?

このドラマが始まる前哨戦として、深琴がホームレスの男性と出会うシーンがありますが、そこで彼が傍らに置いている絵本が『浦島太郎』というのも何やら象徴的です。

そう、本作は深夜の学校という、どこかしら不気味な怪談チックにすら映える異様な“竜宮城”ともいえる空間の中、人間の魂がアナーキーにトリップしていく過程をリアルに見据えた、ある意味ダーク・ファンタジーであり、そこからもう若くはない男女の心の闇を描出していく、優れてユニークな人間ドラマとして屹立していくのです!




映画評論家の資質に裏打ちされた
ある種の理想的“映画”



喬には、『山犬』(10)『水の声を聞く』(14)『野火』(15)など、常に強烈な個性を放ち続け、今年公開された主演映画『ぼくらの亡命』(17)で相手を愛そうとすればするほどクズでゲスになっていく哀れな男を熱演した須森隆文。どこか怪物チックにも映える長身の風貌の中から、心の弱者として生きてきた男ならではの繊細さや狂気などを同時に醸し出していきます。

AVからキャリアをスタートさせ、実話の拉致暴行事件を扱った『ら』(14)で被害者のひとりを演じて以降、映画やアート表現などにも活動の場を広げている深琴は、役名もそのままに、劇中セーラー服からチアガール、スクール水着など、どこかしら倒錯して映えるコスプレ姿を披露しながら、そこから徐々に“何か”が変貌していく女の凄みを体現してくれています。

そこにいぶし銀の個性派名優・飯島大介と、一見淡白な佇まいの中から奥深い感情を忍ばせる阿部智凜も加わりながら、本作が描く“青春のやり直し“は学校=過去への復讐へと直結し、ひいては心の弱者の意識革命へと導かれていきます。

こうした魅力的キャストの資質と、夜の学校が持ち得る闇の魅惑を巧みに融合させた映像美を披露する、AV女優からMVの監督、映像キャメラマンや音楽活動などマルチに活動する撮影監督・黒木歩と、撮影・照明を担当した田宮建彦、教室から生身の肉体にまでペイントを施していく美術の貝原クリス亮などの秀逸なスタッフワークからは、改めて今の日本映画インディペンデント界の底力を痛感させられること必至。

そして、本作の監督・切通理作は現代日本の映画評論界を代表する映画評論家のひとりで、中でも日本映画、特に特撮映画やピンク映画のジャンルに関しては他の追随を許さないほど秀でた存在です。
(余談ですが、私は現在「キネマ旬報」誌に、国産アニメ映画すべてのレビューをめざす『戯画日誌』を連載し続けていますが、それは切通氏が同誌に長年連載し続けている『ピンク映画時評』のアニメ版をやってみたいと思ったのがきっかけで、その意味でも氏には感謝するとともに、常に映画に対しての能動的姿勢を見習うべきであると、自身の訓戒のひとつにもなっています)

そんな切通監督が初めて撮った映画『青春夜話』は、彼自身の映画評論のスタンスを見事に作品そのものに転換させたかようでもあり、特に彼自身が愛してやまない、往年の日本映画が内包しつつ、今は失われて久しい、映像だからこそ発することのできるアナーキズムから醸し出されてゆく発露されていくなにがしかの想いの再構築が巧みになされているように思えてなりません。

少なくとも、本作ほど映画評論家という肩書を持つ者が監督した“映画”としてふさわしいものはないと、同業者としては羨望の念を抱くほどでした。

ネタバレになるので多くは語れませんが、魂の“バック・トゥ・ザ・フューチャー”を終えて、朝を迎えたコスプレ男女のその先を提示していく衝撃とも戦慄とも感動ともとれるエンディングを見ながら、この監督は今後も映画を撮り続けていってほしい、いや、撮り続けていくべきだと確信してやみません。

小さい作品ではありますが、心意気はそこらの特撮大作にも負けない、そして不可思議なまでのエロティシズムはその後も癖になりそうな、少しでも多くの映画ファンに応援=鑑賞していただきたい珠玉の“映画”です。

■「キネマニア共和国」の連載をもっと読みたい方は、こちら

(文:増當竜也)

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!