私と映画Vol.7「メニコン 田中英成社長を支えるストーリー」[PR]
国内最大手のコンタクトレンズメーカー「メニコン」の田中英成社長は、映画好きとして知られる人物だ。指揮者の躍動感など”目で視て楽しむ”感動を届けたいと、毎年「メニコンスーパーコンサート」を開催。さらには自社CMのクリエイティブ案に関わるなど、自身も芸術・文化的事業に積極的に携わっている。彼の「映画観」を探った。
メニコンの田中英成社長。背後の棚には、名画の数々が収められていた。
夢は、映画と人生に
彩りを与えてくれる
私はロマンチストだと思います。なぜって「人生も映画も、夢を追いかける過程の物語」だと思っているからです。
例えば、アラン・ドロン主演の『冒険者たち』。夢に破れた男2人・女1人の3人組が、コンゴへ宝探しの冒険に向かいます。しかし、財宝を手に入れても、新たな事業を始めても、そこにあるのは見果てぬ夢。彼らはそれぞれ、力尽きるまでこれを求め続けます。
黒澤明監督の『七人の侍』も同じです。世の中に居場所がなくなってしまった浪人たちが、いつも盗賊に襲われている村人を助ける物語です。これは、圧倒的に不利な状況で、弱い者たちが必死で戦うからこそ見応えがあるのだと思います。
名作『ウエストサイド物語』も素晴らしい。ニューヨークを舞台に、2つのグループに分かれる若者たちが激しい抗争を繰り広げます。そこでは、貧困や人種の問題など、社会的に恵まれない階層の現実が描かれます。そんな中、グループ間の対立を超え、恋が芽生える。これも、見果てぬ夢があるからこそ、ラストシーンが胸をかきむしられるような素晴らしいものになるでしょう。
夢は、映画と人生に、なくてはならない彩りを与えてくれます。たとえ、それが叶わないものでも。
難しい事業に挑戦するからこそ
そこに「ロマン」がある
当社の成り立ちも同じかもしれません。
現会長で、私の父でもある田中恭一は、終戦の翌年、眼鏡店で丁稚奉公を始めました。そこに、常連客だった米軍将校夫人が来て「私、コンタクトレンズを持っているのよ」と自慢したのです。恭一は好奇心旺盛だったので、見たこともないコンタクトレンズを見たがりました。でも、将校夫人はハンドバッグを手で押さえ、恭一が懇願しても見せてくれません。その瞬間、彼は「アメリカ人に作れて日本人につくれないはずはない、何が何でも自分で作ってやる!」と、闘争心を持ったのです。
彼が知っていたのは「目に入れるもの」くらい。しかし彼は、三面鏡で自分の目を見て、時には家族の目を観察し、眼鏡のフレームに使われていたアクリル樹脂を黒目ほどの大きさに丸く削ってレンズらしきものを創り上げます。そして、できあがったものを手に『眼は2つある、1つつぶれても支障はない』と、眼にコンタクトレンズを入れたのです。
ここから始まった当社が、安全で高品質な商品開発を進め「コンタクトレンズのパイオニア企業」として、業界をリードしてこれたのも、恭一の胸に「いつか世界一になってやる!」「だれもつくっていないものだからつくるんだ!」という強烈な夢とロマンが刻まれたからこそでしょう。
また、10人中9人が賛成する常識的なこのばかりしては、会社の未来はないと思っています。私が社長になってトップダウンで開始した業界初の会員制システム「メルスプラン」は、まさに提案当初、社内外から大反対されたものでした。しかし、ユーザーの目を守ることを追求した結果、お客様から支持され、今や119万人(2016年10月時点)もの会員様に支えられるメニコンの戦略の柱に成長しています。また、コンタクトレンズで培った技術と人で、眼科医療分野以外の新規事業にも果敢にチャレンジし、社会に役立つ商品やサービスを開発しています。
このDNAは、今も変わらず、当社に引き継がれています。
いや、むしろ……社員も「無理では?」と思うほど、難しいこと、夢のようなことに挑戦し続けるからこそ、ここにロマンがあるのではないでしょうか。
東証一部上場時に撮影した記念写真。
感動させる「法則」を知ることは
映像作りだけでなく、経営にも活きる!
私が映画を見始めたのは、小学生の頃のことです。テレビのロードショーで、チャンバラや西部劇、怪獣ものや戦争映画を観るのが好きでした。夏休み、夜ふかしして深夜帯で放送していた四谷怪談を見てしまい、怖くて眠れなかったことを覚えています(笑)。毎週、ロードショーで映画の解説をする淀川長治さんや小森のおばちゃまの顔を見るのが楽しみで、本当はテスト勉強しなければいけない日も、テレビにかじりついて映画を観ていました。
そんな子どもだったからこそ、中学生になると「自分も何かをつくってみたい」と考え始めました。当初は8ミリビデオが高価で買えず、まずはオーディオに凝りました。そして大学生になった時に安価な『ハンディカム』が出たため飛びつくように買って、ツーリングに出かけてビデオを撮影しました。当時のコンピューター『MSX』で編集ができたため、様々な効果を加え、自分や友人同士で見て楽しんでいました。
この後、眼科医になってからは仕事が忙しく、撮影もしなくなっていたのですが……当社へ入社し、その後広告担当役員を任されたことをきっかけに、再び「創作したい」という思いが強くなったんです。
きっと映画を観る時、単純に「面白かった!」で終わらせるのでなく「なぜこのシーンが必要だったのか」「なぜわざわざこのアングルから撮影したのか」などと考え続けてきたのでしょう。胸の中に、そんな何かがたまっていたから、「何かを表現したい」という思いが湧いてきたのだと思います。
これが、CMの制作に活きました。
例えば……私は「ラストシーンがカッコよければ映画は8割方成功」だと考えます。ストーリーとは、主人公の人生を追体験することにほかなりません。だからこそラストシーンは、観る者が「自分もこうありたい」と思える姿を描くのです。そして、ここに至るためのシナリオを描いていく。そう、キマったラストシーンを描けたら、そこから逆算し、ストーリーを考えていくのです。
ほか「いかに感情移入してもらうか」も大切です。どんなスーパーヒーローも、チャンピオンも、主人公は、イコール自分なのです。
そんな「法則」を知っていたので、自社のCMにも口を出したくなりました。しかし、映画も、15秒のCMも、基本は同じなのです。ラストで何を思ってほしいのか考え、共感してもらえる仕掛けを考える。さらには、中だるみさせないためにも、言いたいことを明確に絞って余計なことは言わない、とか――。
自分が出したアイディアの広告が、賞をいただけるとは望外でしたが、それも、子どもの頃から浴びるように映画を観ていたからなのかな、と思います。
ちなみに、シナリオを作ることも、経営計画を立てることも根本的には同じですよ。未来のビジョンを描き、ここへと至る道筋を考え、社員やお客様の共感を得て、感情移入してもらうのです。
もちろん、私は映画監督ではありません。でも、映画から学んだ何かは、確実に経営に生きていると思います。
新商品発表記者会見の様子。
冒険活劇が好き
なぜなら「事業家」だから
最後に、私が好きな映画を紹介させて下さい。
例えば『王様と私』は面白いですよ。19世紀のタイに、英国から女性の家庭教師が来ます。タイの王様は強引で、家庭教師に約束したはずの自宅を渡さず、宮廷の中に住まわせます。そこに、ビルマからの贈り物として美女と使者がやってきた。王様は美女を気に入るのですが、その美女と使者は恋人同士……という話です。
非常に深いのは『禁断の惑星』です。人類が宇宙移民を始めた未来……他の星に移住したものの連絡を絶った移民団を探しに、宇宙船C-57-Dがこの惑星を訪ねます。この星には生き残りの博士とその娘がいて、博士いわく「この惑星には、かつて極度に発達した科学力を持った先住民族の『クレール人』がいた」、それらが「突然に滅亡した」、さらには「移民団も正体不明の怪物に襲われて自分たち以外は死んだ」ことを告げます。ところが、彼らを滅ぼしたのは、彼ら自身の潜在意識で……という話です。大変古い作品ですが、いまだ、色褪せぬ魅力を持っていると思います。
ほかにも、復讐劇を描いた『ベン・ハ―』、猿と人間の知能が逆転した『猿の惑星』、大軍を迎え撃ってメキシコからの独立を勝ちとったテキサス州の人たちを描いた『遥かなるアラモ』、夢を追い続ける強盗を描く『明日に向かって撃て!』、ドイツ軍の潜水艦が英国の包囲網を突破し、何とも切ないラストへと至る『Uボート』――
冒険活劇が多いのは、やはり、私自身が事業家だからかもしれませんね(笑)。
いずれも古い映画かもしれませんが、逆に、長い時を経ても色褪せない作品ばかりです。気になったら、ぜひご覧下さい。
【プロフィール】
田中英成
1959年、愛知県生まれ。1987年、愛知医科大学医学部卒業後、眼科医を経て、メニコン入社。'00年に代表取締役社長へ就任。業界初のコンタクトレンズ定額制システム「メルスプラン」を考案。これにより、業績のV字回復を実現。2015年に自社を東証、名証一部に上場を果たす。
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