私と映画Vol.10「エムエム総研 萩原張広社長を支えるストーリー」[PR]
BtoB(企業対企業の取引)の営業を、マーケティングの力でもっと効率化できたら……。そんな意図で設立され、急成長を遂げた企業がある。東新宿に本拠を置くエムエム総研だ。社長・萩原張広氏は、日本の法人営業市場に新たなマーケティング手法をもたらした人物。彼の映画論は彼自身の人生論と結びついていた。
エムエム総研社長・萩原張広氏
好きな映画と人生が
少し、重なっていた
ニューヨークのマンハッタンに、エリートが勤めるカッコイイ企業があったとしましょう。この会社の社員、絶対に飛び込み営業とかしなさそうな気がしませんか(笑)。
私は、営業のコンサルタントをしていた1998年「実際に米国ではどうしているのだろう?」とニューヨークを訪ねてみました。するとそこには、BtoBマーケティング専門の会社があったのです。その会社は、様々な企業に電話やメール、ダイレクトマーケティングなどでアプローチし、クライアントのサービスや商品を紹介します。そして、興味を持ってくれたら、そこからはクライアントの営業担当にトスアップするのです。
私が起業したエムエム総研は、この時に私が見た業態を、日本的にアレンジした手法も使いながら進化させたものです。簡単に言えば――まず、イベント、セミナー、展示会、メールマガジンなど、様々な手法で、顧客となりうる企業の担当者にコンタクトをとります。そして、紹介したサービスにどの程度興味があるか、サービスの中でも何に興味があるかを調べ、クライアントの営業にトスアップするのです。
そして――人生って面白いですね。私が起業した会社は、どこかで私が好きな映画と結びついているのです。
難しい事業に挑戦するからこそ
そこに「ロマン」がある
私が「幸せの黄色いハンカチ」を観たのは、高校を卒業して働き始めた19歳のときでした。当時、英会話の勉強に使うカセットテープの営業をしていました。個人宅に電話をかけ、興味を持ってもらえたら喫茶店で待ち合わせし、販売するのです。100件電話をかけ、説明を聞いてくれるのは1件くらい。なかなかアポイントがとれず、ふさぎ込んでいた中、仕事をさぼって観た映画でした。
高倉健さんが、どこか影がある男を演じています。彼は妻の流産をきっかけに荒れ、たまたま因縁をつけてきたチンピラと喧嘩し、殺していた。彼は刑務所からの出所直後、妻に手紙を書いていた。「もしまだ独りで暮らしているなら、庭先の鯉のぼりの竿の先に黄色いハンカチをつけておいてくれ」と。そして、いろいろあって知り合った青年たちとともに彼の妻が暮らす家を訪ねると――といったストーリーです。
その時、実は私もどこか荒れていたと思います。私の父は酒が好きで、ほとんど働かない人間で、子どもの頃には、母が働いて家計を支えていました。私も新聞配達などをしていました。そんな実情もあり、父と母は私が中学2年の時に離婚し、私は母との二人暮らしをしていました。母は横浜のキャバレーで働き、進学校に進んだ私が勉強する隣で、よくお店の仲間と家で宴会をしていました。私は金銭的な問題で大学には行くことをあきらめ、だからこそ歯ぎしりするような思いで「絶対に成功してやる」と思っていたんです。だからか、この映画も「有名な映画だけど泣いてたまるか」と少し斜に構えて観始めました。
しかし、私はいつしか泣いていました。
それまで私は、特別な存在になることこそが「幸福」なのだと思ってきたんです。実力や、名声を手に入れ、誰も到達できないほどの高みにのぼることこそが幸せなのだ、と。ところが映画のなかには、誰もが体験する「許す」ことで幸福を分かち合う男女がいたんです。これが、私にとっては衝撃的でした。
ここから、私は次第に“自然体”になっていったと思います。日常的なちょっとしたことに感謝するほうが幸福になれるんだ、と感じたんです。営業の現場でも「絶対売る!」というギラギラしたものが消え、「話を聞いてくれてありがとう」と思うようになりました。その結果、むしろ営業成績はあがっていきました。相手のことを思ったほうが、営業はうまくいくのでしょう。
そんな状況で生きていると、次第に力が抜けてきました。無理に自分をよく見せようと思うから、緊張し、無駄な力が入るんです。でも結局、自分が生きてきて、それまでに準備してきた力以上は出せませんよね(笑)。すると、これもまた成績が上がるきっかけになったんです。
幸福は、何も特別な人間が手にするものではない――「幸せの黄色いハンカチ」の世界観を追体験し、私はやっと、自然体になれたのです。
萩原氏はいまも様々な講演を依頼され登壇する。
社員も家族も決して
思い通りには動かない
その後、私はリクルートの営業を経由し、エムエム総研を起業しました。ここで人生と重なったのが、名作「ライフイズビューティフル」です。
舞台は第二次世界大戦時のイタリア。陽気なユダヤ系イタリア人のグイドは、幼い息子とともに収容所へ入れられます。母と引き離され泣く息子に、父は「これはゲームだ」と教えます。明るく「泣いたり、ママに会いたがったりしたら減点、軍服を着た悪者に見つからないようにかくれんぼをする。勝ったら、本物の戦車に乗ってお家に帰れる」と言うんです。
私には、これがマネジメントの極意のように思えました。
人は、誰かの思い通りには動きません。経営者になると、本当に実感します。しかし、それでいいんです。お願いする、上司として命令する、といった強制力を働かせる必要はまったくない。それより、価値観を共有し、環境と情報を与えれば、人は自分の意思で勝手に動き始めるのです。
グイドは、子どもに「頑張れ」とは言いません。そうでなく、息子が頑張りたくなる環境をつくり、何をしたら減点で、何をすれば勝利に近づくか、情報を与えるのです。「泣くな」と言うのでなく、息子が泣き出さない環境をつくるんです。社員を動かすすべも、まったく同じだと思いました。「我々はこんな世界を実現するんだ!」と価値観を共有し、働きたくなるやり甲斐ある環境をつくって、最後に「どうすればビジョンを実現できるか」と情報を伝えれば、自分の意思で働き始めるんです。その方が、命令するよりよほどよい結果が出るでしょう。
また、私は仕事を楽しむタイプで、その点でもこの作品に共感します。映画の前半は、グイドが花嫁を奪うところから始まるのですが、そのあたりのコミカルな演出が素晴らしい。もちろん、生死がかかった収容所内のでもグイドはコミカルにふるまいます。そのさまは「深刻になっても、何も救いはない」と言いたいかのようです。
実は私も、起業後、資金繰りに困ったことがあります。そんな中、なんとかまとまったお金を用立てることができ、支払いを済ますと多少のお金が残りました。その時……私は「よし! こういうときこそ!」と、残ったお金で豪快に飲みに行きました(笑)。辛いときには、笑うといい。シリアスな状況でシリアスに振る舞っても救いはない。この映画とは、そんな価値観も共有できている気がするのです。
社員とともに記念撮影。
映画から学んだ
「親子とはなんなのか」
最後の一本は「パーフェクトワールド」です。冒頭でお話ししたような家庭環境で育つと、普通であれば本来は感覚的につかめるはずの「家族」という存在に何かリアリティがないのです。私には妻と3人の子どもがいます。でもどこかで、私は今も「父親ってこういう場面でどう振る舞うのかな?」と自分でモデルを持っていない感じがしていて、結局自分が育ってきた環境から学んだ直観で父親をやっているんだと思います。
この作品は、父と息子の関係を背景にした映画です。脱獄囚が逃走の人質にと子どもを誘拐する。しかしその子は宗教上の理由で自由を与えられずに育っていた。脱獄囚も淫売宿で暴力的な父と育ったため2人は共感し合い、パーフェクトワールドを求めて一緒に旅をする――という話です。
自分が育った悪い環境に影響され苦しみ、それでも「父は父なのだから忘れてはいけない」と葛藤する……そんな苦しさを経験した方には、間違いなくお勧めしたい映画です。
実は私も、何十年も会っていない父と亡くなる寸前に2回の接点がありました。1回目は、父を保護した行政の方から「亡くなりそうです」と連絡を受けたこと。そして2回目は、父からの「連絡は行政が勝手にしたものだ。俺のことは放っておいてくれ」という手紙をもらったことでした。私は子どもたちには「おじいちゃんは死んだ」と話してあったし、会社も家族も大変な時期でもあったので父に会いに行くことを選択しませんでした。その後、ただ「父が亡くなった」という連絡を行政の方からもらいました。
私はその時「父は最後に自分の尊厳を守った」と思いました。そして私の中には「最後に父を見捨てた」という一生消せない十字架も残ったんです。
もちろん、そんな両親がいる境遇で育ったからこそ、私は子どもの頃から、人の心の動きに敏感であり、また主体的に自分の人生を選択できる人間になれました。だからこそ営業に興味を持ち、エムエム総研を起業したのですが……。
いまだに「親子ってなんなのかな」と考えます。そして、この映画はほのかに、その答えを教えてくれるようなのです。
【プロフィール】
萩原張広
1959年、神奈川県生まれ。横浜市立南高校を卒業し、営業職を経験後、リクルートへ入社。1989年にエムエム総研を創業、BtoBマーケティングのトータルソリューションを手掛ける。フットサルやスキー、音楽活動など趣味多数。
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