『愛がなんだ』非リア充必見の恋愛映画である「5つ」の理由!
3:今泉力哉監督と原作小説の相性が最高!
映画化に際しての工夫もたくさんあった!
本作の原作となるのは、『八日目の蝉』や『紙の月』など多くの映像化作品を世に送り出している人気作家の角田光代が2003年に発表した同名小説です。この小説と、本作の監督である今泉力哉との“相性”が抜群という言葉では足りない、これ以上の人選はないのでは?と思うほどでした。
今泉監督の作品では、その多くで“それぞれの想いがすれ違う”であったり、 良い意味での“ダラダラとした関係が続いていく”であったり、やはり良い意味での“ダメ恋愛”を描いていました。また、淡々とゆっくりとした会話劇が主に展開するのにも関わらず、俳優の魅力や演出の上手さのおかげもあって全く退屈することがないというのも大きな魅力。極めて狭い範囲の物語であるからこそ、登場人物の関係性の変化がダイレクトに感じられ、その空気はちょっと痛々しくもあるのにずっと観続けたくなる心地良さも同居している……ということもほぼほぼ一貫していました。
筆者は映画の後に『愛がなんだ』の原作小説を読んでみたのですが、今泉監督作品のそのような印象が、小説の文体とほぼほぼ一致していることに驚きました。小説から映画へとメディアを変えても“雰囲気の違いがほとんどない”というのは、今泉監督と角田光代の作家性がたまたま一致したというだけでなく、原作を大切した真摯なつくりになっているからでしょう。
プロデューサーである前原美野里によると、『愛がなんだ』の企画が本格的に動き出す前にこっそり作ってあった企画書の段階で「今泉力哉監督×角田光代のコラボ!」という文字があったのだとか。さらに前原プロデューサーは「今泉監督は恋愛を考察する者としての独特の作家性を持っていらっしゃる。角田さんとの小説との相性は絶対にいいだろうなと漠然と思っていた」そうで、実際に原作を読んだ今泉監督が内容に惚れ込んでいて、彼自身にも人間的な魅力をも感じたことから、「今泉さんしかいない」と確信したのだとか。その采配と決定が、もう100点満点です!
また、原作小説の基本的な物語の流れは映画でもほぼほぼ踏襲されているものの、映像作品としてさらに盛り上がるように工夫が随所にあります。例えば、ヒロインの高校や大学時代への言及をほぼほぼカットして“現在”の物語に焦点を当てていたり、終盤のある一点でヒロインがやっと感情を爆発させるようになっていたり(原作では中盤にもヒロインはあることに怒っている)、原作での3人だけの旅行が1人増えて4人になっていることがさらなるドラマを生んでいたりもするのです。
辛い恋愛だけを一辺倒に描いているだけでなく、時々クスクスと笑えるという観やすいバランスになっているのも、「イタくて全く共感できないというのは避けたかったので、なるべくポップに見せるようにする」という前原プロデューサーの意向が上手く働いたからでしょう。スペイン映画の『トーク・トゥ・ハー』をイメージしたという終盤の“キャラクターの名前を文字で出す”演出にも重要な意味がありましたし、映画オリジナルのクライマックスとラストシーンには「その手があったか!」とアイデアそのものにも感動させられました。脚本家の澤井香織と今泉監督が共同で手がけた脚本が1年がかりでやっと完成したということも納得、映画としての巧みな構成にも唸らされる内容にもなっているのです。
余談ですが、今泉力哉監督は過去にも“原作もの”の映画を手がけています。それは、お色気ギャグマンガを原作した『鬼灯さん家のアネキ』。原作はどちらかと言えばカラッと明るい雰囲気であったのですが、映画ではやはり良い意味での“ダメダメな恋愛”をじっとりねっとりと描くという今泉監督の作家性が生かされた内容になっていました。終盤では伏線を生かした原作とは違うサプライズも用意されていて、誰もが「良い話じゃないか!」と感動できる素敵な映画に仕上がっていましたよ。
©2019映画「愛がなんだ」製作委員会
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