「貞子」が生み出してきた恐怖の歴史を振り返る
1990年代後半、邦画界において細々と生きながらえてきたホラージャンルに新たなムーブメントを巻き起こす作品が現れた。80年代を中心に隆盛したスプラッターとは趣が異なり、日本の原点たる“怪談”にも似たテイストを備え、作中さながらに日本中へとヒットの輪が広がった、中田秀夫監督の『リング』だ。
“見た者は1週間以内に死ぬ”という都市伝説的な「呪いのビデオ」を軸に置き、その謎を解くべく奔走する1組の男女を描いた『リング』は、ジャパニーズ・ホラー=Jホラーという新たな潮流を生み出した。その呪いの根源たる貞子が再びスクリーンに舞い戻ってくるということで、今回は貞子が生み出してきた恐怖の歴史を振り返ってみたい。
貞子、誕生
1998年公開の『リング』は作家・鈴木光司が発表した同名小説が原作。
とはいえ主人公が男性視点から女性視点に変更となったほか、ミステリー要素が強かった原作に比べて映画ではホラー描写が押し出されるなど、改変点は多い。その象徴ともなったのが山村貞子の“呪い”だ。生まれ持った力に怯えた父親の手により井戸へと突き落とされた貞子の怨念が呪いとなり、それはビデオを介して広がりを見せる。デビュー間もない竹内結子が押し入れで顔を歪ませた表情で死んでいた様は、血糊を一切使っていないにも関わらず“死”そのものを表現して見せ、以降も血を見せないホラー演出が新鮮な魅力を生み出した。
かくいう筆者も評判を聞きつけ、劇場へ足を運んだのが高校時代。幼少期から『13日の金曜日』といったホラー作品がバンバンとテレビで流れた時代を過ごしてきただけに「ホラー映画には耐性がある」と思い込んでいたのだが、こればかりは後悔することになった。自分が身構える“ここぞ”という場面はじわりじわりと感情をなぞるだけで、恐怖は発露しない。むしろ“ここで?”という場面で意表を突かれることが多く、例えば白昼堂々街中に現れる貞子(足元だけだが)の得体の知れない不気味さにゾクリとしたものだ。極めつけは原作にはない映画オリジナルの貞子出現シーンだろう。映画終盤に用意されたたった数分のシーンが、貞子というキャラクターを邦画史に残る最恐アイコンへと仕立てあげたのだ。
『リング』と同時に描かれた、貞子の呪いの正体
さて『リング』とともに同時上映されたのが、飯田譲二監督の『らせん』である。
のちに貞子の呪いは原作から離れて新たな恐怖を生み出していくが、原作の道筋としては『らせん』が正当な続編に当たる。前作で驚愕的な最期を遂げた高山と同期の安藤(佐藤浩市)を主人公とした視点で、真田と同様前作に出演した中谷美紀も高野舞役で続投し、安藤と行動を共にする。
『リング』のホラーテイストに比べて『らせん』は飯田監督らしい直接的な嫌悪描写が散見され(中身が文字通り“空っぽ”の真田の衝撃たるや)、ストーリー自体科学的見地からアプローチしていくのも面白い。その顕著たる差異は貞子の“呪い”に現れていて、『リング』では怨念という言わば概念によるものだったが、『らせん』においては病原菌として呪いに触れた者たちが感染していくという解釈で語らている。練り込まれたストーリーはある種『リング』シリーズにはない帰着を見せるので、貞子にまつわる正史としてその結末を見届ける価値は大きい。
恐怖の象徴として歩んでいく貞子
飯田譲二監督が貞子の物語に道筋をつけた一方で、映画『リング』の生みの親である中田監督は映画としての続編で『リング2』を放ち、改めて井戸の中で澱み続ける呪いの根源にフォーカスを当てている。
『らせん』とは物語が異なるものの、高野舞役で中谷美紀が主演を務め、浅川や高山といったキャラクターも『リング』の役柄としてそのまま継承されている。ストーリーは『リング』よりもさらに深い部分で山村貞子という人物とその死の謎に迫り、オカルト色もより濃く反映された印象がある。
Jホラーを隆盛させた中田監督だけあって、恐怖描写はさらにパワーアップしていることは間違いない。前作で貞子の骸が回収され、粘土で形作られていく表情からして薄ら寒いものがあり、小道具の使い方にも力が入れられている。さらに前作では井戸から這い出て近づいてくる白い衣装・長髪・顔の見えない貞子が猛烈なインパクトを残したが、本作では井戸を這い上がってくる貞子を俯瞰ショットで捉えるという、より攻めた構図が特徴だ。ややもすれば貞子というキャラ性を損ないかねなかったが、井戸を這い上がる異様な動きはのちに続く世界観に大きく影響を与え続けることになる。
映画『リング』シリーズの完結
中田監督からバトンを譲り受ける形で鶴田法男監督が手がけた『リング0 バースデイ』は、映画『リング』シリーズを締めくくる“完結編”に当たる。
これまで貞子の呪いに対する恐怖が描かれてきたシリーズにおいて、本作では若かりし山村貞子という女性そのものにスポットを当てた作品でもある。仲間由紀恵演じる貞子が劇団員として活動し、1人の人間として生きていく様や孤独感が描かれており、言ってみればシリーズの中で最も現実的な、あるいはありふれた日常が舞台になっている。
ところが『リング』で描かれた念写実験を回収することでべろりと作風は違った表情を見せ、やはりこの映画が見紛うことなき“貞子”の物語であることが明瞭になる。むしろそこからの地獄絵図は加速度的に密度を増していき、その悲劇性は三部作の中でも異様なほど際立つことに。よもや完結編として中盤から怒涛の展開を迎えるとは驚きであり、本作ほど憂鬱かつ陰鬱なラストシーンというのも邦画では珍しいのではないだろうか。ある意味では貞子の物語として最高の幕引きではあるかもしれないが、本作の前半が“ありふれた日常”の物語であるからこそ、余計に絶望感しかないのだ。しかし残念ながら、やはり『リング』シリーズの幕引きとしてこれ以外の幕引きは有り得ないとさえ思える。
海を越えた貞子の呪い
日本国内で『リング』シリーズが終幕を迎えたのち、貞子はよもやハリウッドで『ザ・リング』という新たな息吹を得る。
2002年公開という時代背景を考えると、現在ほどハリウッドリメイクというスタイルがそれほど多くはなかった時期。そういった意味でも『ザ・リング』は先駆け的な作品であり、貞子と双璧をなすJホラーアイコン・伽椰子がハリウッドリメイクとして『THE JUON 呪怨』で大暴れするのも2年後のことである。
話を『ザ・リング』に戻すと、結果的にこれほどまでオリジナルに敬意を払ったリメイクというのも珍しいのではないかと思う。貞子は幼女サマラに変更となったが、日米における“怪異”あるいは“幽霊的な存在”は明確な隔たりがある。日本では“お岩さん”にあるような大人の(死に装束を想起させる白い衣装をまとった)女性がその対象として描かれるように、アメリカでは例えば『オーメン』のダミアンや『エクソシスト』のリーガンのように、幼き者を恐怖の対象として描かれることが多い。
もちろんアメリカにあって貞子が這ったような畳の部屋が登場すれば違和感しか感じないので、そういった“文化の差”は許容範囲内。それでも新たな解釈で描かれる“呪いのビデオ”の映像はしっかりと根底で通じるものがあり、要所要所のストーリーラインでもオリジナルが踏襲されている。ちなみにスタッフも豪華で、監督はのちに『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを手がけるゴア・ヴァービンスキー。特殊メイクを『猿の惑星』などで知られる重鎮リック・ベイカー、音楽をハンス・ジマーが担当するなど、やはり改めて見ても手厚いリメイクを受けていることがわかる。
“本家本元”がハリウッドへ
貞子(サマラ)というキャラクターコンテンツが、日本だけでなくアメリカでも予想外のヒットを記録することになり、『ザ・リング2』では満を持して日本から中田秀夫監督が招聘されている。
正直なところを書けばスマッシュヒットを記録した『ザ・リング』に比べると、評価・興収とも半減という記録に終わったが、それでも中田監督がハリウッドシステムの中で試行錯誤しつつ自身のスタイルも表現してみせたことは大きな意味があったのではないか。
前作から引き続きナオミ・ワッツが主演を務めているが、本作ではワッツ演じるレイチェルとその息子に焦点が当てられる一方で、サマラという恐怖の存在もより身近に感じることになった。その接点として中田監督が“水”に固執したり、サマラが曲芸師ばりの動きで本性を現すあたりも中田イズムというか本家本元であるところの“意地”を見せつけていたように思える。これは余談だが、ハリウッドでの苦悩を中田監督自身がドキュメンタリーとして昇華した『ハリウッド監督学入門』では、『ザ・リング2』にまつわる関係者(製作のウォルター・パークスや音楽のジマーら)の声が多く聞けるのでチェックしてみてほしい。
また長い休息期間を経て、スタッフ・キャストを入れ替えた新作『ザ・リング リバース』が昨年日本でも公開されている。毛色としては第1作に回帰しつつネット回線など新たなフォーマットを手に入れたサマラがさらなる悪意を振りまいている。薄型テレビを持ち上げるあたりも時代の流れを感じさせるものだが、根底にあるサマラの恐怖については一貫したものがあり、前作同様に足が肩よりも前に出てくる異様な“サマラウォーク”も健在。
貞子よどこへ行く…
ハリウッドで『ザ・リング2』から『ザ・リング リバース』に至るまで時間を要した間に、日本では新章となる『貞子3D』『貞子3D2』が登場。
英勉監督が手がけたことで『リング』シリーズとは一線を画す雰囲気を漂わせており、貞子というモチーフは変わらずともビデオテープという“手段”もインターネット動画へと変わると同時に、周囲の状況も時勢に沿ったアップデートが行われている。またこれまでの『リング』シリーズは写実的な映像表現が全編を貫いていたのに対し、『貞子3D』シリーズでは視覚効果を多用することで映像の広がりに幅を持たせたのも特徴だろう。その甲斐あって(?)登場する“貞子のできそこない”であるモンスター(カマドウマに似たデザイン)は、貞子とは異なるインパクトを観る者に与えるはずだ。
作風が大きくシフトすると同時に、貞子という存在が映画という枠組みを飛び出して現実世界に浸食したのも『貞子3D』シリーズがきっかけだろう。90年代に日本中を恐怖のどん底に叩き込んだ貞子が、よもやプロ野球の始球式を務めようとは誰が想像できただろう。あまつさえ『貞子vs伽椰子』まで製作され、エイプリルフールネタかと思いきや本当に貞子対伽椰子という夢のビッグマッチが繰り広げられることになった。
Jホラーファンにとっては驚き以外の何ものでもないが、ハリウッドで『フレディvsジェイソン』や『エイリアンvsプレデター』といった“VSモノ”がとうに製作されていたことを思えば、邦画界でもそういった遊び心というか、エンターテインメントにおける“余裕”のようなものが生まれた証左なのだろう。無謀とも思える企画だが、ホラーの名手・白石晃士がそれぞれのキャラを描き分け、スピンオフとしてエンターテインメント化したのは大きい。化け物には化け物をぶつけただけあって、文字通りのデス・マッチが展開される様は驚きと興奮に満ちている…… のではないだろうか。
まとめ
5月24日公開の映画『貞子』では中田監督が復帰して、『リング』シリーズと地続きの設定で物語が展開される様子。
(C)2019「貞子」製作委員会
予告を見る限り中田監督がこれまで手がけてきたホラー作品にも通じる恐怖描写がミックスされており、アクションやドラマ方面へと舵を切っていた中田監督が久しぶりにホームグラウンドでド直球を投げている印象だ(昨年公開の『スマホを落としただけなのに』での某キャラも本作の予行演習を兼ねていたのではないかと邪推してしまう)。どのような形で貞子が再び我々の前に現れるのか、ぜひその目で見届けてほしい。
(文:葦見川和哉)
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