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2020-11-24

邦画実写

『おらおらでひとりいぐも』レビュー:田中裕子さんが演じ分ける微妙な変化に言葉を失う!沖田作品の魅力が詰まった映画

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■橋本淳の「おこがまシネマ」

どうも、橋本淳です。
69回目の更新、よろしくお願いいたします。

孤独について考える。

生きるということ。独りだということ。

現代社会では、人との関係が断絶されると、孤独を感じてしまいます。学校や会社での人間関係、そして家庭での人間関係、時と共にそれはなくなってしまう。

となると、人生の終着点は孤独となってしまうのか、、果たしてそうなのでしょうか。

もし、そうだとしたら悲しすぎる。それは人との関係性に限定して、目を向けているからなのではないでしょうか。

生きるということに関わってくることは、それだけではないはず。

人と自然は切り離すことは出来ない。

食べる、ということ一つとってもそうで、自然界に目を向ければ、そう孤独を感じることはないのではないか。そう思います。

季節の機微や変化、虫や動物、共存していくものはたくさんあり、そこからの感動も多い。デジタルなもので、たしかに便利になった世の中で、忘れてしまいがちなことなのですが、生きるだけで、こんなにも多く、"感じること"に溢れている世界。

自分の人生の終末を思うと、寂しい思いもありましたが、こんなにも賑やかで充実しうるはずだと、少し希望をもらえました。

感じたものは、そういったことのみではありませんが、この作品から多くのモノを受け取りました。

若い人には是非見ていただきたい、今回は、こちらの作品をご紹介します!

『おらおらでひとりいぐも』

(C)2020「おらおらでひとりいぐも」製作委員会

子供たちは独立し、旦那には先立たれ、75歳になる桃子さん(田中裕子)は、一人でがらんとした家で暮らしていた。朝起きて、簡単な一人分の朝食を作って食べ、テレビを見て、昼食を食べ、散歩をしたり、病院や図書館に行ったりしたのち、帰宅して、夕食を作り、食べ、そして寝る。そんな日常の繰り返し。

いつものように図書館で借りた、地球の歴史の本を読み、夕食後のお茶を啜っていると、突然居間に、自分と同じ格好をした3人(濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎)が現れた。その3人は、実は桃子さんの心の声と対話する"寂しさ"が人の姿として擬人化したものだった。不思議に思っていたが、その東北弁で話す寂しさ達と、会話をしていると、遠い昔の記憶が徐々に蘇ってくるのだった。

1964年、若かりし頃の20歳の桃子さん(蒼井優)は、お見合いの席から逃げ出し、一人東京へと向かった。当てもない上京で、行き場ない桃子さんの目に飛び込んだのは、蕎麦屋に貼ってあった住み込みの仕事の募集だった。すぐにそこで働き始めるが、東北弁のためなかなか馴染むことが出来なかった。

職場を変え、今度は定食屋で働くことに。そこで、同じ東北出身のトキ(三浦透子)と出会う。同じ東北弁ということもあり、明るいトキに引っ張られ、桃子さんは少しずつ自分の居場所を見つけ始めることが出来た。

ある日、いつものように働いていると、お客の喧騒の中から、東北弁が聞こえてくる。東京という場で、堂々と方言を話す周造(東出昌大)に、桃子さんは親近感を覚えた。彼に惹かれる桃子さん、常連になった周造と徐々に距離を縮めていき、2人は恋に落ちる。そして、2人はめでたく結ばれて、子供にも恵まれて幸せな家庭を築いていく。

しかし、周造は早くに亡くなってしまい、子供たちは巣立っていった。心の穴を塞ぐことも出来ず、楽しいことも特にない桃子さんは、長い長い毎日を過ごしていたのだった。

寂しさの3人との対話から、段々と自分でも気づいていなかった感情が溢れてくる。心の声に背中を押されるように、自分の人生や生きることに目を向けていく。孤独を感じることにばかり目がいってしまうが、自分が生きている意味をもう一度考える。

桃子さんの日常が、少しずつ明るくなっていき、、、

(C)2020「おらおらでひとりいぐも」製作委員会

沖田修一監督の最新作。

沖田監督にしか撮れない世界観の暖かく優しい雰囲気の映画でした。冒頭の始まりでどんなことになるのやらな導入に驚き、そして気づけば、主演の田中裕子さんの表情に引き込まれていく。

沖田作品を観るといつも感じることですが、どの役者さんもとっても魅力的なのです。それぞれが持つ味や個性が監督の世界の中に入ると、より輝きを放ち、魅力が迸る。

どのシーンでも、撮影現場の楽しさや優しげな雰囲気までもがスクリーンから感じ取れるのです。それは他では、なかなか感じることのできない稀有な体験です。

田中裕子さんの、眼差し、吐息、背中、すべてがすばらしく、繊細な芝居で、心の機微がはっきりと分かる。日常の繰り返しの中でも、微妙な変化を演じ分けているのには、すごすぎて言葉になりません。

そして、いい映画に欠かせないのが、おいしそうな食事。

『南極料理人』でもそうでしたが、沖田作品のご飯は本当においしそうで美しい。

桃子さんが、作るご飯はとても簡素で、朝食はトーストと目玉焼きと買ってきたお惣菜というものですが、香りがこちらにも来るような錯覚に陥るくらい、おいしそう。

それだけでなく、料理の場面では、主婦をしていた時には、料理上手でたくさん振る舞っていたけど、一人分を作るとなると、お腹が満たされればいいという桃子さんの内面の寂しさも伝わってくる。食器の取り出し方、置いてある位置、料理の工程、そういったものから観客が受け取れる情報、その細やかな描写が見事です。

老人の独りになってしまった孤独感。

そこに焦点を当てているので派手なものはなく、寂しげな雰囲気がずっと漂ってしまうのかと思うけれど、そこは桃子さんの寂しさを擬人化するということで、作品が落ち込まずに、対比として明るく持ち上げてくれる。この擬人化のアイデアは見事です。何より3人の心から楽しんでいる様子が、観ていて心が和らぎました。

自分の親もこういうことを考えているのかな、と思ってしまったり、「いや、待てよ、自分も将来はこうなるのか?」と、自分の未来のことに思いを馳せる。

誰しもが通るかもしれない道。

僕はそうなった時、どう思うのでしょうか。

この映画が問いかけてくれるものを、大切に受け取りたいと思います。

桃子さんは、これからどう過ごしていくのかしら、と終わった後も余韻がずっと残っています。それくらい、そっと心に寄り添うような優しい映画でした。これからもずっと残っていくような作品で、観れたことにとても感謝しています。

桃子さんと若かりし頃の周造が、手を繋ぎ、ゆっくり歩くシーンは、これからもずっと脳裏に残ることでしょう。いま、この文章を打っているだけで、すでに胸の中の温度がじわっと上がっているのを感じます。

現代社会に生きる、すべての人に観て頂きたい一作。

ぜひ、映画館でご覧ください!

それでは、今回もおこがましくも紹介させていただきました。

(文:橋本淳)

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