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2020-12-17

邦画実写

『日本独立』レビュー:日本国憲法誕生にまつわる日米の戦いを描いた問題作!

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増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」

映画には純粋に楽しんでもらいたい、笑ってもらいたい、泣いてもらいたいといったものもあれば、賛否を覚悟で問題提起を発していくものもあります。

『女囚さそり』シリーズ(伊藤監督はシリーズのうち72年から73年までの初期3作品を担当)や『誘拐報道』(82)『花いちもんめ』(85)などで知られる社会派の鬼才・伊藤俊也監督が1998年に発表した『プライド 運命の瞬間(とき)』こそは、まさに賛否真っ二つの議論を巻き起こす問題作でした。

太平洋戦争開戦時の首相・東條英機(津川雅彦)を主人公に、敗戦後の東京裁判の全貌を描いたこの作品は「A級戦犯・東條を美化した、けしからん映画である」と完成前から上映反対運動が起き、公開後も激しい論争が吹き荒れてメディアを大いに沸かせたものでした。

私自身は「『さそり』の伊藤監督がそのような作品を撮るはずがない!」という映画ファンとしての確信があり、当時撮影現場に赴いて伊藤監督の真意をうかがい、我が意を得たり。

完成した作品も「戦後日本を統治するアメリカと法廷で戦ったのは、皮肉にも開戦の責任者でもある東條ただ独りであった」という、伊藤監督の目線が全編貫かれたピカレスク映画であったと認識しています。

さて、そんな伊藤俊也監督が東京裁判と並ぶ日本の戦後の「闇」として、どうしても描きたいと願い続けていたのが日本国憲法の誕生秘話です。

世界に類のない平和憲法として世界中から称賛される一方で、アメリカから押しつけられたものとして、それを理由に憲法改正を訴える人も見受けられます。

逆に憲法草案の原点は日本側から提示されているという意見もあり、こうした憲法改正論議は年々ヒートアップしながら現在に至っています。

では、伊藤監督がおよそ20年の構想を経てついに完成させた『日本独立』は、一体どのような見地に立って描かれているのでしょうか。

白洲次郎と吉田茂が見据えた
戦後の日本VSアメリカ



映画『日本独立』は第二次世界大戦が終結し、アメリカGHQによって占領されてまもない日本を舞台に、後に日本の独立を成し得た内閣総理大臣として歴史にその名を刻む吉田茂(小林薫)と、その右腕として堂々GHQと渡り歩いた白洲次郎(浅野忠信)の目線から、日本国憲法が誕生していく過程を描いていきます。

終戦直後に誕生した幣原喜重郎(石橋蓮司)内閣の外務大臣に就任した吉田は、英語が堪能で海外留学の経験があり、開戦前からアメリカとの戦争には異を唱え、戦時中は第一線を退いていた白洲を政界に呼び戻します。

白洲の役割は、GHQとの交渉係。

間接統治とはいえ、当時のGHQは敗戦国・日本に対して絶対的な権力を持っており、それに立ち向かえるのは白洲しかいないと吉田は踏んでいたのです。

GHQは日本の民主化と非武装化を基軸に占領政策を進めていく中で、憲法改正を日本政府に示唆。

国務大臣・松本烝治(柄本明)は、憲法学者を集めて改正案に取り組んでいきます。



一方で、GHQも憲法草案作成のための極秘プロジェクトを急遽組み始めます。

それはソ連が極東委員会に参加する前に憲法を制定し、日本の統治に介入する余地を与えまいとする理由からでした。

そして1946年2月13日、GHQは松本の憲法草案を却下し、代わってGHQ草案を提示します。

そこには天皇を象徴とする条項と、戦争放棄の条項が記されていました。

松本らは「自衛権を持たない国家などありえない!」と強く反発し、閣議は紛糾していきます。



GHQの思惑としては、自らの草案を日本側が作成したものとして世界に発表し、戦争を放棄して平和国家となった日本をアメリカが軍事面で永久にフォロー(即ち占領)し続けていこうという意図が隠されていました。

何とか日本側への理解を求めつつ、GHQと交渉の場に立ち続ける白洲。

一方、GHQに従うふりしてやり過ごし、早く日本を独立させて、その後でまた憲法を改正すればいいという本音も秘めている吉田は、そうした姿勢に反発する白洲を伴って、深夜ある場所へ赴きます……。

伊藤映画に必須の「風」
そこに込められた日本の未来



本作はGHQ案を基に憲法改正を進めようとするアメリカと、それに対抗する日本との戦いの帰結として日本国憲法が、そして日本の独立がもたらされたというスタンスが採られています。

つまり本作は、太平洋戦争に続く日米の戦いを描いた戦争映画として捉えるべきでしょう。

これは『プライド』同様に日米戦は戦後も続いていたという伊藤監督ならではの指摘であり、その伝では本作のほうがより明確にそのメッセージは成されているように思われます。

日本国憲法がアメリカの押しつけ憲法であったという論そのものに同調するのではなく、むしろ松本草案以前に鈴木安蔵らが発表した「憲法草案要綱」や、さらには幣原喜重郎がマッカーサーとの会談の際に平和主義を訴えたことなどを採り入れつつ(利用しつつ?)、GHQ草案を急ごしらえで作成したという見方も可能ではあります。

一方で、永久の戦争放棄を掲げた9条こそが実は日本国憲法最大の「闇」であったと、本作は訴えています。



何がどう「闇」なのかは直接ご覧になっていただきたいところで、これに関しても賛否の意見が湧き上がることは必定ですが、伊藤監督自身『プライド』のとき以上にどんどんこの問題を議論してほしいと語っています。

こうしたメッセージ性を離れたところで、“映画”そのものの魅力も伝えておくべきでしょう。

まず第一に讃えたいのが白洲次郎に扮した浅野忠信の好演で、最近でも『ミッドウェイ』など外国映画への出演が多い彼ならではの堂々とした佇まいと、白洲自身がかなり短気でべらんめえ調の人物であったという人間性も巧みに醸し出しています。

その妻・白洲正子に扮した宮沢りえも、さりげなく夫を掌の上で転がす昭和の女性をさらりと体現。



そう、実はこの作品かなりのオールスター・キャストで、石橋蓮司や柄本明、松重豊、佐野史郎、伊武雅刀、大鶴義丹などの個性派がGHQに翻弄される政治家や学者たちを喜々として演じています(ナレーションは奥田瑛二)。

一方、吉田満(渡辺大)が記した『戦艦大和ノ最期』がGHQの検閲にひっかかるエピソードも登場し、吉田と当時編集者だった小林秀雄(青木崇高)が無念の思いを吐露するシーンも印象的。

さらに伊藤監督作品といえばデビュー作『さそり』の頃から一貫してケレン味たっぷりの描出がなされてきていますが、その伝では本作も恰幅の良い吉田茂を細身の小林薫に特殊メイクを施して演じさせたこともケレンのひとつではあるでしょう。

(もっとも伊藤監督はそのままの姿で良いと思っていたそうですが、小林薫の方から特殊メイクで演じたいと進言し、それを受け入れたとのことで、演じる側が伊藤映画の本質をつかんでいたともいえるかもしれません)



スタッフワークも撮影・鈴木達夫や音楽・大島ミチルなど、これぞ日本映画!と快哉を叫びたくなるほどのき厚みある画と音が構築されています。

また伊藤映画は「風」が象徴的に用いられることが非常に多く、それこそ『風の又三郎 ガラスのマント』(89)を監督しているほどですが、本作ではラスト、白洲と吉田が大磯の海岸の強風に臆することなく、まるで子どものように無邪気に戯れる姿が映されます。

このラストから日本の未来を信じようという、伊藤監督の強固な意志もうかがえることでしょう。

そうした未来を導くためにも、本作を通して老若男女を問わず「かつて日本で何があったのか?」そして「これからどうするべきなのか?」などを大いに議論していただけたら幸いです。

(文:増當竜也)

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