『この世界に残されて』レビュー:ホロコーストを生きのびた人々の苦悩とは?
増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」
2020年も『ジョジョ・ラビット』(19)をはじめナチスドイツによるユダヤ人迫害をモチーフにした映画が多く日本で公開されました。
これはたまたまということではなく、やはり西洋諸国で「決して忘れてはいけない」という意識が再び強まってきていることの表れなのかもしれません。
ただ、それらのほとんどは戦時中の惨禍を描いたものですが、実際はホロコーストから生還できた人々もいます。
2019年製作のハンガリー映画『この世界に残されて』は、そんな奇跡的に生きのびることができた人々の戦後の苦悩を描いた作品です。
永遠に心が癒えることのない
ふたつの魂の絶望と希望
舞台は、第2次世界大戦が終わって3年後、まもなく社会主義国家へ向かおうとしている頃の1948年のハンガリー。ホロコーストによって両親と妹を亡くした少女クララ(アビゲール・セーケ)は、まもなく16歳になろうというのに未だに初潮が来ないことを心配した叔母に付き添われて、婦人科医アルド(カーロイ・ハイデュク)の診察を受けます。
数日後、クララは再び病院を訪れて初潮が来たことをアルドに告げ、そのまま彼の退勤に伴って家までついていきました。
42歳で独り暮らしのアルドの部屋の中で、クララは「去った人たちより、私たちのほうが不幸よ。私たちは取り残された」とつぶやき、同居する叔母の悪口を言い始めてアルドにたしなめられます。
しょげるクララの肩にアルドが手をやると、クララは思わず彼の温もりを求めるかのように抱きついてしまいました……。
アルドもまたホロコーストから生還した者であり、その腕にはユダヤ人収容所にいたことを示す数字が腕に刻まれていました。
その後もクララはアルドのもとを訪れるようになり、言葉を交わしつつ、父親を慕うかのようになついていきます。
クララの叔母は、アルドにそんな彼女の保護者になってもらうよう懇願し、アルドとクララは週の半分を一緒に暮らすようになりました。
しかしソ連がハンガリーで権力を掌握して社会主義国家になっていく中、親子ほどに年が離れたふたりの関係を周囲はスキャンダラスに誤解し始めていき……。
心の傷や病に苦しむ全ての人々に
優しく寄り添ってくれる秀作
本作は愛するものを喪って“残された者”となった二つの孤独な魂の軌跡を描いた作品です。決して癒えることのない心の傷を持つふたりが、お互い寄り添い、痛みをわかちあいながら、社会の変化と対峙し、そして絶望を希望へ変えていきます。
もっとも、徐々に活発な若さを取り戻していくクララに対し、アルドの表情から笑みが漏れることはあまりありません。
それは単に世代差ということ以上に、やがて来る時代の過酷さ(1956年にはハンガリー動乱が勃発し、民主化運動が圧殺)アルドは予見していたからなのかもしれません。
このように本作は個人の再生と、歴史の悲劇が繰り返されていくことを示唆する虚無性を通して、人生そのものの孤独の痛みを優しく包み込んでくれる秀作です。
と同時に、題材こそホロコーストを背景にしていますが、それは現代社会を生きる私たちにとっても他人事ではなく、PTSDはもとよりさまざまな心の病に苦しむ人々に寄り添ってくれる、そんな作品でもあるのでした。
主演ふたりの好演も讃えないわけにはいかないでしょう。
クララを演じたアビゲール・セーケはこれが映画初主演ながらハンガリー映画批評家賞最優秀女優賞を、アルド役の名優カーロイ・ハイデュクも同賞最優秀男優賞およびハンガリー・アカデミー賞最優秀男優賞を受賞しています。
監督は1977年生まれで21世紀に入ってから短編映画を次々と発表し、本作が長編映画2作目となったバルバナーシュ・トート。
製作は『心と体と』(17)が日本でもクリーンヒットした事が記憶に新しいモーニカ・メーチ。
ハンガリー国内のみならず世界各地の映画祭などで絶賛された、ささやかながらも見る者の胸にしみわたる名作が、いよいよ日本上陸です。お見逃しなきよう。
(文:増當竜也)
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