(C)2021「茜色に焼かれる」フィルムパートナーズ
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映画コラム

REGULAR

2021年05月22日

『茜色に焼かれる』石井裕也監督インタビュー:コロナ禍への怒りを込めた

『茜色に焼かれる』石井裕也監督インタビュー:コロナ禍への怒りを込めた



2021年5月21日より、映画『茜色に焼かれる』が公開されています。

劇中で綴られるのは、交通事故で夫を亡くした母と息子が、さまざまな理不尽な出来事や人間の悪意に振り回され、それでも歯を食いしばるように、たくましく生きていく物語です。

重要なのは、コロナ禍だからこそ誕生した映画であるということ。主人公である母・良子(尾野真千子)は新型コロナウイルスの影響でカフェの経営が破綻し、ホームセンターのパートタイムだけでは生活が成り立たず、風俗店で働くことを余儀なくされます。普遍的に今の日本にある、深刻な「コロナ禍での貧困」が描かれているのです。

しかも、2019年に起こり、現在も裁判が続いている池袋暴走事故も、明らかにモチーフの1つ(冒頭の事故)になっていました。

本作はコロナ禍でありとあらゆる「怒り」を溜めている人に観てほしいです。この世に、許し難いことはたくさんある。その中で、いったい人間には何ができるのだろうか……と真摯に考えた故の、辛く苦しくも、希望も得られる、素晴らしい物語が紡がれていたのですから。

R15+指定であり性的な話題もありますが、幅広い年齢層、特に若い人に見て欲しいと心から願えました。残酷な現実に「反撃」することが創作物の1つの役目だと思っている筆者にとっては、一生大切にしたい映画にもなりました。

ここでは、石井裕也監督へのインタビューをお届けします。さらなる作品の魅力、その志の高さを、ぜひ知ってほしいです。


コロナ禍と池袋暴走事故が結びついた理由

――コロナ禍はもちろん、明らかに池袋暴走事故を意識されている作品でした。お話しできる範囲で、石井監督が現実に起こったこの問題について思うところがあれば、教えてください。

事故発生当時、自分の子どもができた直後ということもあって、あの事故のことは他人事とは思えなかったんです。今でも裁判は終わっていないですし、ずっと強く心に引っかかっています。あの事故だけではなく、アクセルとブレーキを踏み間違えて起こる高齢者の事故は他にもあって、亡くなられる方もたくさんいます。理不尽に命が奪われていく状況への怒りは、僕の中でやっぱりずっとあるんです。
その怒りが、コロナ禍の状況とリンクしました。人間が不当に扱われる、存在そのものがないがしろにされるという意味ではとても近いものではないかと。

ーー命が奪われることもそうですが、加害者が謝らない、お金で解決しようとすることへの憤りもありましたよね。

誰かの個人的な利益や保身のために命がないがしろにされたり、切り捨てられる出来事は、昨今いろいろなところで目にします。「あっ、舐められてんな」という怒りがこの映画の出発点になっているのは間違いないですね。

ーー二重三重にさまざまな事象が折り重なり、クライマックスへと向かっていく脚本が本当に素晴らしかったです。執筆の上で苦労したことはありますでしょうか。

こう言ってしまってはなんですが、大きな苦労はなかったんですよ。2020年の3月下旬に韓国で『アジアの天使』の撮影を終え、日本に帰ってきて脚本を6月ごろに書き始めました。脚本執筆の作業そのものよりも、コロナ禍での暮らし、そこで感じたことの方が、今思い出しても大変で、辛かったですね。

ーー現実で起こる体験が辛かったからこそ、脚本に落とし込めたということでしょうか。

そうですね。思ったことをそのまま書いた脚本なんです。

シングルマザーの苦境を実感できた理由 

ーー「時給」や「食事代」など、主人公の良子にまつわる金額が表示される演出が、とても上手く生かされていました。あの演出を思いついたきっかけなどがあれば教えてください。

この社会で生きている上で、金勘定は誰もが無意識的にしています。コロナ禍では、人生や生活や社会が、ものすごく「平べったい数字」に置き換わっていると思うんです。それこそ、テレビで毎日のように「感染者数」を見ていましたからね。そうしたストレス、もっと言えば世の中に対する認識までもが、数字に置き換わっているような感覚もありました。それをうまく表現できたらいいなと思ったんです。

ーーコロナ禍におけるシングルマザー、また女性の貧困ついて、参考にされたことがあれば教えてください。

僕はシングルファーザーの家庭で育っていたので、大変な思いをする家族というものは、僕の中でリアルなんです。また、僕の同級生がシングルマザーで、彼女からこの10年の苦境を聞いていて、思うところはありました。僕自身も妻をシングルマザーにさせてしまう可能性はありますし、劇中の貧困は僕の中では普通の不安、実感できるものではありますね。

ーー劇中でもしっかり批判がされますが、「女だから体を売れる」「俺が買うよ」などの女性への侮蔑的な酷い発言が、聞いていて良い意味で辛かったです。やはり、監督もあのようなことを聞いたことがあるからこそ、作品に取り入れたのでしょうか。

映画の中で悪いことをしたり、卑劣な真似をする人間を描く時に、「自分の中から出てくるものしか信用しない」ようにしています。「自分はそうじゃないけど、こういう悪い奴っているよね」っていう描き方は、卑怯な気がするからです。侮辱という酷いことも、ある条件さえ整ってしまえば、自分もしてしまうんじゃないかと想像してみる、可能性としてあるということは、いつも考えていますね。

ーー「ああいう最悪の部分は自分にもある」「自分もそれを表出してしまうかもしれない」と考えているからこそ、作品で描いているというのは、とても誠実であると思います。女性への侮蔑的な発言や態度を実感させるという意味でも、男性に特に観てほしい映画であると思いました。

ある新聞記者の方がこの映画を観て、「あの侮蔑的な態度を見て自分を顧みた結果、脂汗が出た」と言っていたんですよ。そういう風に見てもらえると嬉しいですね。

尾野真千子のフルパワーを抑えようとした理由

ーー主演の尾野真千子さんを初めとしたキャスティングが完璧であり、みなさんが求められる以上の熱演をされていたと思います。演出において、感じたことは何かありますか。

「尾野さんの存在ありき」で作品全体を考えたほどに、尾野さんの力は重要でした。彼女が最高ということは言うまでもないのですが、「尾野さんのとてつもない才能が、本気のフルパワーでやってきた時に、果たして全体が成立するのか?」とは考えてはいましたね。尾野さんを少し抑えておいた方がいいんじゃないか、突出しすぎると映画のバランスが崩れてしまうかもしれないと思ったんです。でも杞憂に終わりました。和田庵君演じる息子の純平と片山友希さんが尾野さんに引きずられるように力を発揮しましたから。

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ーー実質的に主人公が3人いると言っても過言ではないですからね。和田さんはリアル思春期では恥ずかしいと思われる撮影もやっていますし、片山さんもハードな役柄を見事に演じられていたと思います。

和田君は、それはもう仕事ですから、その恥ずかしいシーンもしっかりこなしてくれました。片山さんは「尾野さんを1人で受けて立つ」立場なんですよね。それは、なかなかできることじゃない、とても怖いことだと思うんですよ。片山さんも萎縮していたとは思うんですけど、奮闘してくれましたね。

ーー良い意味でですが、尾野さんの俳優としての力は確かに怖いですよね。劇中でも常軌を逸する寸前のような、一歩間違えば全く感情移入できなくなりそうなキャラクターなのですが、和田さん演じる純平や、片山さん演じるケイといった、周りのキャラクターの彼女に対しての常識的な態度、しっかり「怒ってくれる」ことが、うまくバランスを取っていたと思います。

和田君も片山さんも、尾野さんと真正面から対峙しますからね。難しい役を、うまくこなしてくれました。

茜色のシーンのために、この映画を作った。

ーー『茜色に焼かれる』のタイトルに込めた意味を教えてください。個人的には、「焼失」する寸前まで追い詰められるが、「闇に飲まれる一歩手前で踏みとどまる」人たちの物語であると思いました。

茜色って、パッと正確にイメージできる色ではないですよね。「赤系なんだろうけど、どんな色なんだろう?」ってくらいが世間一般の認識だと思います。その意味では抽象的ではあるんですが、女性の名前にもなるぐらいですから、精神的というか女性的な言葉でもある。良子が感じている怒りとか、愛とか、情念、もしくは美しさが、渾然一体となって炸裂するようなイメージを、茜色に託しました。

その茜色があらわれる、ポスターにもなっているシーンが、映像的なイメージの出発点でした。あのシーンを撮るために、この映画を作ったと言っても過言ではないんです。ここで自転車の2人乗りをしているのでお巡りさんに止められてもおかしくない、世間的には間違っているんですが、あの親子にとっては2人乗りをせざるを得ない。それが、奇跡のような色に染まった夕焼けの中で行われる、というのが重要だったんです。

池松壮亮君がコメントを書いてくれたんですけど、「終末感」という言葉で、茜色のシーンを捉えてくれたのが面白かったですね。奇跡のような瞬間と終末って、同じようなもの、紙一重のようなものでもあると思うんです。



ーーラストシーンにも驚きました。ああいった意外な終わり方をする映画を、観たことがなかったですから。

脚本を書いていたときも、編集していた時も、「普通だったらカットするよね」とは思っていました。でも、どうしてもやりたかったですし、スタッフからも「むしろこれをやるための映画だ」と言われました。
このラストシーンには、2つの意図があります。1つ目は、良子というキャラクターを「ただのいい母ちゃん」にはしたくなかったんです。最後は、母親ではなく個としての人生を選ぶわけです。
2つ目は、どんなにダサくてもみっともなくても、自分で決めたことを信じ切る姿を見せたかった。こんなに世の中がぐちゃぐちゃになっちゃってしまったら、こうした方がいいとか、ああした方がいいとかいう、絶対の価値基準は、もはやなくなっていますから。これからは現実の世界でも、「自分の信じた道、自分の人生を信じられるかどうか」が重要になってくると確信しています。

緊急事態宣言の延長を受けて

ーー緊急事態宣言が延長され、東京都と大阪府では映画館の休業が続き、公開延期となる作品がまたも増え、映画関係者や映画ファンからは悲痛な声が聞こえています。それでも『茜色に焼かれる』が予定通りに5月21日より公開されることに対して、監督の思いをお聞かせください。

人流の抑制を理由に東京都が映画館に休業要請を続けていますけど、その「人流」というのは無暗やたらに流れているわけではなくて、そこには個人の意思がありますから。感染対策をとることは可能だと思います。少なくともこの1年間、映画館での感染は報告されていません。
もちろん悩みは尽きません。それでも映画は不要不急のものではありませんし、今公開することに意味があると信じています。

ーー主人公の良子がかつて演劇に傾倒していたという設定も象徴的でした。その設定をもって、この映画は「フィクションの力」そのものであり、監督が先ほどおっしゃっていた「不要不急」と言われてしまった創作物からの「カウンター」だとも感じました。

パンフレットにも書いたことなのですが、「本当かどうか信じられない偉い人の言い分なんかより、映画という全力の嘘の方が、よっぽど尊いし、真実味があるし、人生のためになる」ことを、このコロナ禍で実感していました。フィクションとおっしゃいましたけど、それは表現、映画そのものでもありますよね。「その力を信じたら、こういうことができた」というのが、『茜色に焼かれる』なんです。

ーー長く続くコロナ禍において、これからどういう風に生きていけばいいか、監督の考えをお聞かせください。

「法律の範囲内で、自分の頭で考えて行動して、その責任を持つ」ことがとても重要だと思います。今は「自分がどうするか」というフェーズに入ってきていると思うんです。劇中からも、そのことを感じていただけたら幸いです。



『茜色に焼かれる』は全国で公開中。緊急事態宣言が発令され多くの映画館が休業となっている東京でも、渋谷ユーロスペースで上映されています。多くの方がさまざまな怒りを抱えている今こそ、この『茜色に焼かれる』を劇場でご覧になって欲しいです。

(取材・文:ヒナタカ)

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