【追悼】崔洋一と大森一樹と石井隆のススメ
5月22日に石井隆監督。
11月12日に大森一樹監督。
11月27日に崔洋一監督。
2022年は、名監督が相次いで亡くなった年だった。
筆者が時には学校をサボって映画館に通っていた10代後半から20代にかけて、この3人の作品は何本も観た。もちろん、30代になっても40代になっても観た。
どうやら、3人の新作はもう観られないらしい。信じられないが事実だ。
心を落ち着かせるために、筆者が映画館で観た作品群を、振り返りたいと思う。
お付き合い願いたい。
崔洋一『血と骨』(2004)
崔洋一監督の作品は、硬質でハードボイルドで善悪を超越したパワーに溢れていた。おかげで1本観るだけでぐったりと疲れてしまい、鑑賞後の予定をすっぽかすことになる。その作品群の中でも、もっとも禍々しいパワーに圧倒された作品が、『血と骨』だ。観る際は、鑑賞後の予定は真っ白にしておいてほしい。
梁石日(ヤン・ソギル)原作の同名小説の映画化。舞台は戦中戦後の大阪。主人公のモデルは作者の父親である。演じるのはビートたけし。1作目からいきなりだが、この作品は万人にはオススメできない。
たけし演じる金俊平は、在日一世。暴力以外に他人とのコミュニケーション方法を知らない。家族は元より、従業員(俊平はカマボコ工場の社長)、債務者(俊平の副業は金貸し)、知人・隣人に至るまで、片っ端から不幸にしていく。ひたすら暴力で屈服させる。巻き込まれた人間は、怯えて服従するか、あるいは死ぬか。なんにせよ、俊平から逃げることはできない。
ふたりの息子たちを除いて。
ひとり目の息子は、オダギリジョー演じる朴武。俊平に手籠めにされた女性が産んだ私生児で、ヤクザのヒットマン。この時期のオダギリジョーのカッコ良さ・色気は、尋常ではない。初登場シーンでの俊平とのやり取り。「誰やお前!?」と尋ねる俊平に対し、ニヤニヤ笑いながら「あんたの息子じゃき(広島弁)」と答えるシーン。もうカッコ良すぎて男の筆者でも卒倒しそうになった。
暴力シーンが多く、正直キツい人はいると思う。だが騙されたと思って、このオダギリジョー絡みのシーンだけでも観てほしい。そこまで早送りしたっていいから。
ふたり目の息子は、新井浩文演じる金正雄。こちらは正式な息子である。だが原作によると、俊平と妻(鈴木京香)との馴れ初めも、手籠めからのムリヤリ結婚だ。産まれたきっかけは、武とあまり変わらない。
このふたりだけが、俊平に歯向かう。だが俊平に盾突くのは命懸けである。どしゃ降りの雨の中での俊平と武のケンカ。バットVS棍棒の俊平と正雄のケンカ。両方とも、親子ゲンカの枠を遥かに超えた“命の取り合い”の様相だが、なぜかこのふたつのシーンだけは、陰惨に見えない。
俊平と武のシーンは、美しくさえ見える。雨という“舞台装置”と、オダギリジョーの顔面のおかげかもしれないが。
俊平と正雄のシーンは、微笑ましくさえ見える。ケンカ後、なぜかお互いの家に乗り込んで、お互いに相手の家をめちゃくちゃに破壊する。正雄から見たらあれだけ嫌悪していた父親なのに、爆発した時の行動が一緒なのである。
このふたりの息子だけが俊平と真正面から“対話”したからこそ、本来なら陰惨になるはずのシーンが、なぜか“いいシーン”になってしまった。
誰も救われず、誰も幸せにならず、決して後味のいい作品ではない。だが、『血と骨』には続きがある。
同じく崔洋一監督、梁石日原作の『月はどっちに出ている』(1993)だ。成長した金正雄(この作品では姜忠男)がタクシー運転手になっている話である。演じるのは、岸谷五朗。本作は180度違うコメディタッチの明るい作品だ。同じ作家と同じ監督が同じ人物を描いているのに、ここまで作風が異なることに驚く。
“崔洋一入門編”としても、うってつけだ。
大森一樹『満月 MR.MOONLIGHT』(1991)
初期の名作『ヒポクラテスたち』、吉川晃司3部作、斉藤由貴3部作、平成ゴジラシリーズなど、大森一樹の代表作は多い。その中で筆者が取り上げたいのは、比較的マイナーかもしれない『満月 MR.MOONLIGHT』だ。
「江戸時代からタイムスリップしてきた侍と、高校の女教師が恋に落ちる」
原田知世が“タイムスリップもの”のヒロインを演じている。そのため、大林宣彦の名作『時をかける少女』の続編のような雰囲気もある。
前作(ではないが)では未来人に恋をした原田知世が、今度ははるか昔の人間に恋をする。そして両作品とも、原田知世を好きな“現代の男”がちゃんといる。前作(以下略)のラストシーンでの原田知世は大学院で生物学を研究しており、今作の原田知世は高校の生物学の教師になっている。これはもはや、オマージュを超えた正式な続編だ。そうと決めた。
侍を演じるのは時任三郎。江戸時代の日本人としては大きすぎるが、顔つきや物腰に侍っぽさが溢れていて、良い。
主題歌は、ビートルズの名曲「Mr. Moonlight」をプリンセスプリンセスがカバーしている。奥井香(現・岸谷香)のハスキーかつ少しはすっぱな声で「ミスターーー!あああああ……ムーンラーイ……」と歌い出した瞬間に、45歳以上の方なら鳥肌が立つはずだ。
全盛期のプリプリや、そもそも『時をかける少女』を知らない45歳未満の方でも大丈夫。ストーリーやキャラ設定に、今で言えば新海誠っぽい部分も多い。『すずめの戸締まり』で泣いた後は、この『満月 MR.MOONLIGHT』を観てほしい。
石井隆『ヌードの夜』(1993)
筆者が人生でいちばん繰り返し観た映画は、石井隆監督の『GONIN』(1995)だ。無人島に1本だけDVDを持って行っていいと言われたら、選ぶのは『GONIN』だ。死ぬまで1本しか映画を観てはいけないと言われたら、選ぶのは『GONIN』だ。『GONIN』は、カッコ良くて美しくて悲しくて、筆者は『GONIN』と心中してもいい『GONIN』をバカにした相手と、殴り合いのケンカになったこともある。筆者は『GONIN』を愛している。
ここまで言っといてなんだが、今回取り上げるのは『GONIN』ではない。男ばかりで繰り広げられる『GONIN』は、石井隆の“本流”ではないからだ。
石井隆のキャリアは、成人漫画から始まる。その後、日活ロマンポルノの監督・脚本を経て、一般映画に進出する。その間一貫して、『天使のはらわた』シリーズという、堕ちていく男女の物語を描いている。多くの作品で、男の名前は「村木哲郎」、女の名前は「土屋名美」(それぞれの作品に関連性はない)。
この『ヌードの夜』も、村木と名美の物語だ。
「なんでも代行屋・紅次郎こと村木は、土屋名美という女性からの依頼で、東京の観光案内をする。その夜、名美から、急遽帰ることになったのでホテルに預けた荷物を送ってほしいとの電話が入る。村木が指定された部屋を訪れると、男の死体が転がっていた……」
村木を演じる竹中直人が、もう本当に素晴らしい。この時期の竹中直人は、コメディタッチのアドリブ芝居を求められることが多かった。今で言う佐藤二朗みたいなポジションだ。だからこそ、一転して抑えた芝居をしている時に、哀愁が漂いすぎる。この哀愁は、普段からシリアスな芝居しかしてない人には出せない。
そして、名美を演じる余貴美子である。あまりにも美しく儚い。何年も自分をゆすっていた男(根津甚八)を殺し、その死体を村木に押し付けようとしたのに、なぜかふたりは恋に落ちる。
石井隆曰く、この余貴美子こそが、自らが漫画で描く際の名美のイメージにもっとも近いそうだ。
他にも、大竹しのぶ、夏川結衣、川上麻衣子らが名美を演じてきたが、やはり余貴美子がベスト・オブ・名美だ。
この作品も『天使のはらわた』シリーズの基本フォーマットである「地獄の底で魅かれ合った男女がお互いの存在に生きる希望を見出すが、やはり運命は残酷で……」という物語だ。
石井隆の作品に、ハッピーエンドの物語はほぼない。だがどの作品も、切なく悲しいが美しい。
未見の方は、この『ヌードの夜』と『GONIN』だけでも観てほしい。
筆者ももう大人なので「面白くなかった」と言われても殴ったりはしないから。
改めて、崔洋一と大森一樹と石井隆のススメ
お付き合いいただき、感謝する。この3人の監督のうち、誰か1人でも気に入ったなら、その他の作品も追いかけてほしい。使い古された言葉だが「人間が本当に死ぬ時は忘れられた時」という文言は、事実だと思う。だから、この3人の映画を繰り返し観てほしい。
彼らの映画を観て、笑ったり、泣いたり、驚いたり、興奮したり、怖がったり、怒ったり、絶望したり、はたまた希望を抱いたり。そんな人たちがいる限り崔洋一も、大森一樹も、石井隆も、みんな生き続けるはずだ。
(文:ハシマトシヒロ)
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