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「池袋ウエストゲートパーク」だからベルベットの空の下で俺の話を聞け5分だけでもいい
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「池袋ウエストゲートパーク」だからベルベットの空の下で俺の話を聞け5分だけでもいい
編集部から「池袋ウエストゲートパーク」について何か書いてくれと依頼があったので本コラムを書いている。
はい、そうですねぇ、23年前の作品をとりあげるにあたり、やはり現代社会でも通じるテーマ性とか、当時の世相や雰囲気とか、高校生から四十路前になった今観ると何が違うのかとか、IWGPの影響による暴走族からカラーギャングへの変遷とか、あの頃はmixiもTwitterもInstagramもなかったなとか、むしろ携帯電話にアンテナ付いてたなあれ必要なのかとか、今も携帯ストラップって売ってるんですかとか、ヒカルはメンヘラだけれども当時メンヘラって言葉はなかったっすよねとか、現在と現代を比較してアカデミックかつエンタメ性高く、ちょっと思い出話なんか入れたりもしちゃったりして若干エモみや郷愁を感じるようないい感じの文を書かなければいけ…
ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ面倒くせぇ!
原稿依頼が来る前から観たよ観ましたよ観てますよ。だけど現代社会に通じるテーマなんて何にもねぇ。2000年と2023年は陸続きだ。当時から生きてた人間ならわかると思うが2000年なんて一昨年くらいの感じなんだよ。全く実感が湧かない。「池袋ウエストゲートパーク」が23年前? オアシスの「ホワットエヴァー」が29年前? 「涼宮ハルヒの憂鬱」が14年前? 「名探偵コナン」って30年近くもやってんの? バーロー何もかもが信じられねぇ去年の確定申告だって先週やりました、還付金まだですか、くらいの感覚なんだよこっちはよ。そりゃ23年も経ちゃあ援交がパパ活になり、カラーギャングは半グレになり、マコトはTOKIOじゃなくなって、キングは卍LINEになり、横山署長は英語がペラペラになるわ。そう考えれば現代社会に通じるテーマはあるし、「池袋ウエストゲートパーク」の影響の大きさも否定できない。地元高崎駅では放映後に青と赤のカラーギャングが突如出現し、暴走族は激減した。多くの野郎の携帯電話からは三和音を駆使した「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」が垂れ流された。駅前の喫煙所で2人同時に「はいマコト」と出るのを見たことがある。1人は俺だ。
平成12年、俺は高校生で、赤影とかいうクソだっせぇ名前の黒夢コピーバンドをやっていた。ベースのミノル先輩はラーメン屋でパーラメントを鼻に突っ込んで「カマキリのベース覚えられないナリ〜」とキングの物真似をしていた。男だけではない。似非ヒカルもなんちゃってリカもマサをブラックジャックでブン殴ったガングロギャルも増殖した。とにかく、ミノル先輩だけでなく、群馬県の片田舎にもIWGPブームは訪れ、数多の人間が黒歴史を量産した点で影響は大きい。「池袋ウエストゲートパーク」以前と以後でも多くの言葉を費やせるだろう。
そりゃ確かに変化したかもしれない。現代に通じるテーマ性やメッセージもあるかもしれない。だけども、実質的には四十路を迎える今観ても何にも変わらない。男は30だろうが40だろうが中高生メンタルで生きている。マコトもマサもヒカルもキングも全員バカだが、俺たちも未だ漏れなくバカである。唯一、当時よりも自由か自由でないか、それだけが違う。冷たい雨が降れば煙草に火をつけてデタラメのDOWNERをかわしながら鮮やかで悲しいこの空の下で生きてゆかねばならない我々は、便利で不自由になった面倒くさい世界で苛立ち重ねながら空白で素敵だった想いを探している。しかし、僕だけのRHAPSODYもとい「池袋ウエストゲートパーク」は変わらずそこにある。我々が勝手に観測方法を変えているだけだ。つまり、面倒くさくなったのは俺たちである。
いいじゃん今が楽しければ
「今が楽しければいい」は不良少年のクリシェだが、「オヤジの栄光時代はいつだよ……全日本の時か? オレは……オレは今なんだよ!」と語れば不思議とバッシュが体育館の床を軋ませる音が聞こえてくる。あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するのかはさておき、IWGPの面々は「今が楽しければいい」と23年前の現在を生きている。だが我々はどうだ。2023年の現在を自由に楽しく無茶苦茶に生きているだろうか。映画やドラマひとつとっても何か観たら何か感想を言わなければいけない、気の利いた投稿をしなければいけない、自分の好きなことを好きと素直に伝えるのがいい、気に入らなけりゃ我慢できずに書き込んでしまう、自分の意見を表明するのは大いに結構だが、本当にそれでいいのか。人間は23年経って沈黙できなくなり、沈黙できないのに賢者として振る舞うようになった。
黙れない賢者の「いやぁ若い頃は面白かったけど今観るとさぁ」なんて意見は確かに解る。けれども23年ぶりに入った町中華で「いやぁ若い頃はチャーハンにサービスチャーハンが付いてるチャーハンランチが好きだったけど、今食べるとチャーハンがちょっと多いかな脂っこいし」なんて宣う奴はただの面倒くさい客である。お前の胃に合わせて店があるわけじゃないんだから、チャーハンを単品で頼んで黙って食うことができないのか。確かにチャーハンにチャーハンが付属していたらチャーハンは多いと思う。だがチャーハンにプラスしてチャーハンがサーブされるのが解っているのだから「チャーハンが多い」と宣言するのは端的に言って頭がチャハーンなのではないか。
とにかく、今や乾いた風に吹かれ独りきり歩いていたらいきなり知らない人が「私は乾燥したらお風呂上がりにニベアを塗ります」とか話しかけてきたり、冷たい雨が降れば煙草に火をつけて少しだけ平気な様子で居ようとしたら「雨が降ってたら煙草に火つかないんじゃないですか嘘松乙」とか赤の他人に言われたりする忘却の世の中で、もはや「池袋ウエストゲートパーク」をVODサービスにかける必要があるのか。配信も再放送もせずに思い出補正をマックスまでかけ、「そういえばあんなドラマあったよね、面白かったよね」で済ませば全員が幸せなのではないか。と考えていたのだが違った。
だからヴェルヴェットの空の下、歌う声は聞こえてる
「池袋ウエストゲートパーク」がNetflixで配信され、松の内が明けた頃、友人とカラオケに行った。時刻は深夜1時過ぎ、マイクスタンドと音量の調整を済ませ、当然のマナーとして「忘却の空」を原キーで入れた。AmとFのカッティングに続いてAメロが始まる。しかし、かつて赤影とかいうクソだっせぇ名前の黒夢コピーバンドで鳴らした頃の声は出なかった。数十分後には別働隊が部屋になだれ込んできた。その中の一人がいの一番に「忘却の空」を入れる。画面に映し出される予約曲名を見て、「さっき歌っちまったよ」と皆で笑った。酒の力を借りているとはいえ馬鹿になった平均年齢40近い烏合の衆が集ったその瞬間、学芸大学のコートダジュールは確かに池袋西口公園だった。鮮やかで悲しい空をした明け方、虜になった時決めたSTORYを思い出しながら独りきりで歩いて帰った。これが2023年のスタートだ。
遅ればせながらあけましておめでとうございます。まだまだ難しい時世ですが、2023年は自由で馬鹿で、滅茶苦茶な年にしましょう。皆様にいけふくろうのご加護を。
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(文:加藤広大)
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