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映画『バビロン』デイミアン・チャゼルの意地悪な情念からどうしても目が離せない


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『セッション』、『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督がサイレントからトーキーへと移り変わっていく黄金期(1920年代~1930年代)のハリウッドを舞台に、壮大かつ豪華絢爛な物語を創り上げたのが映画『バビロン』です。

とにかく、何もかもが過剰に咲き乱れている映画で、上映時間も189分という超大作です。

実在の人物をそのまま出したり、明らかにモデルがわかる人物を登場させたりしたことで、その解釈や描写については賛否があるかと思いますが、とにかく“爛熟”という言葉がそのまま映画になったような作品で、どうしても目を離す事ができません。

目が離せない、監督の意地の悪さ

おそらくタイトルはケネス・アンガーが1900年代から1950年代のハリウッドの有名(または悪名)な醜聞を独自の視点と解釈でまとめた1959年の書籍『ハリウッド・バビロン』から取られているのだと思われます。

“バビロン”とはメソポタミア地方にかつて存在した古代都市であると同時に、聖書においては“バベル”の名前で登場する重要な存在でもあります。

聖書上の“バベル”と言えば“バベルの塔”の挿話でしょう。神の領域に踏み込んだ人間が神の怒りに触れて、結果“崩壊と混乱”を招いたエピソードですが、この言葉を当時のハリウッドを表現するところに何となくデイミアン・チャゼル監督の意地の悪さを感じさせます。


実はこの映画を試写で見たとき、スティーブン・スピルバーグ監督の映画賛歌の物語『フェイブルマンズ』を一つ前の時間に見ていたのですが、映画製作やハリウッドへの思いの描き方がこうまで違うものかと感じ入ってしまいました。

『バビロン』も『フェイブルマンズ』も映画製作に取りつかれた人々の現実と虚構をそれぞれ行ったり来たりする映画ですが、(詳細は伏せますが)『バビロン』はここまでボロボロにしなくてもいいんじゃないかというような結末を迎える人ばかりです。

思えば『セッション』の過剰なまでのスパルタトレーニング描写、ハッピーエンドでは終わらない『ラ・ラ・ランド』、史実通りとは言え冷徹なまでに実験の失敗を描いた『ファースト・マン』などなど、デイミアン・チャゼル監督はこれまでの作品を見てもパッと見たときのお洒落さの裏にある意地の悪さを含ませてきました。

これまではそれが巧い具合にオブラートに包まれてきましたが、本作『バビロン』で“デイミアン・チャゼルの意地の悪さ”が剝き出しになって前面に押し出されている印象です。

と、ここまで書いていて、じゃあ映画『バビロン』は“不快指数の高いだけ”映画なのかというとそういうわけではありません。


映画『バビロン』は、いわば手で顔を覆いながら、その指の隙間から覗きつづけてしまうというような映画に仕上がっています。

過剰なまでに豪華キャスト、曲者キャストが集結

映画『バビロン』には“これでもか!?”というほどの豪華で曲者感たっぷりのキャストが揃いました。

一応の主役はサイレント映画時代末期の大スターのジャック・コンラッド演じるブラッド・ピットで、その両サイドを固める形でマーゴット・ロビー演じるハリウッドの夢を見る俳優志望のネリー・ラロイと、ジャックの助手からキャリアを積み始めるディエゴ・カルバ演じるマニー・トレスが並びます。


ジャック・コンラッドはトーキーへの移行という時代の波を感じ、それに順応しようとする大スターです。

夜ごと繰り返される、セレブとその取り巻きによるパーティーの主人公の一人です。

このパーティーシーンは映画『バビロン』のもつ“狂乱さ”がそのまま形になったようなもので、映画の冒頭から、映画全編に渡って挿入されるのですが、ジャック・コンラッドはそこでスターとしてその狂乱の中心の一人となっています。


このパーティーの“威光”を借りて何とか映画業界=ハリウッドに居場所を得ようとするのがネリーとマニーなのですが、チャンスを生かしているはずが、いつのまに次第に熱にうなされた様になって、狂乱の渦に取り込まれてしまいます。

この辺りは“神話の持つ悲喜劇性”との共通項を感じさせる部分ですね。

この渦の中にいる“魑魅魍魎”とも言うべき人々を演じるのがジーン・スマート、ジョヴァン・アデポ、リー・ジュン・リー、ルーカス・ハース、オリヴィア・ハミルトン、マックス・ミンゲラ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー、オリヴィア・ワイルド、トビー・マグワイアなどなど(ごく一部)の豪華な曲者たち。


皆、長いキャリアを積んでハリウッドを筆頭とするアメリカのショービジネスの酸いも甘いも知り尽くしているであろう人々が、それぞれのキャラクターを演じていることを考えてから見ると、ものすごく意味深な俳優の演技に見えてきます。

中にはとても短い場面にしか登場しない人もいるのですが、忘れがたいインパクトを残しています。

引き合いに出しては不吉ですが…。

映画『バビロン』を見終わってついつい思い浮かべてしまうのがフランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』とマイケル・チミノ監督の『天国の門』です。

これらの作品を引き合いに出すと“不吉なことを言うな!?”という作品関係者の声が聞こえてきそうですが…。

『地獄の黙示録』も『天国の門』も、それまでに築き上げた“圧倒的な実績”を武器に完璧主義と自身の思念を徹底的に突き詰めた作品です。

が、その撮影は混迷を極め、映画会社、監督自身のキャリアを大きく傾かせるものとなりました。


デイミアン・チャゼルが今後どうなるかわかりませんが、監督の情念が咲き乱れた本作があって、しかも実はアメリカでは興行的に苦戦したという事実を考えると、あとあとになって振り返って見ると、デイミアン・チャゼルがクリエイターとして最大の影響力を行使した作品として『バビロン』は紹介されるのではないかなという気がしています。

(文:村松健太郎)

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