高岡早紀が時代劇の画面に立つと、闇に体温が宿る。
それは、ただ美しいからでも、男を惑わせるからでもない。
彼女が演じる女性たちは、欲望も、寂しさも、愛されたいという願いも、きれいに整理しないまま抱えている。
微笑みの奥に傷があり、柔らかな声のなかに強い意志がある。
だからこそ、その存在は見る者の心をざわつかせる。
今回取り上げるのは、1994年の映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』と、2006年製作のテレビ時代劇『仕掛人 藤枝梅安』。
高岡早紀が演じるのは、愛する男に裏切られ、やがて伝説の幽霊となるお岩。
そして、人を救う鍼医者と、人を殺す仕掛人という二つの顔を持つ藤枝梅安の恋人・おもんだ。
一方は、愛によって物語を燃え上がらせる女性。
もう一方は、闇に生きる男へ日常の温度を取り戻させる女性。
12年を隔てた二作品から、高岡早紀という俳優が時代劇に刻んだ「二つの愛」を見つめていきたい。
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』――忠義の外側で、愛に殉じる

1994年10月22日公開の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』は、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』と、日本を代表する仇討ち物語「忠臣蔵」を融合させた深作欣二監督作品である。
脚本は古田求と深作欣二。
佐藤浩市が民谷伊右衛門、高岡早紀がお岩を演じ、荻野目慶子、真田広之、田村高廣、名取裕子、渡瀬恒彦、津川雅彦ら豪華俳優陣が脇を固めている。
浅野内匠頭の刃傷事件によって赤穂藩が取り潰され、浪人となった伊右衛門。
召し抱えられてから間もなかった彼は、父から受け継いだ琵琶を奏で、門付けをしながら暮らしている。
そんな伊右衛門に熱い視線を送るのが、湯女のお岩だ。
やがて二人は共に暮らし始めるが、赤穂浪士による仇討ちの計画と、吉良方に連なる娘・お梅からの誘惑が、伊右衛門の心を揺らしていく。
怪談よりも先に、激しい恋愛映画である
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』は、もちろん怪談映画だ。
しかし本作を忘れがたいものにしているのは、幽霊が現れてからの恐怖以上に、お岩がまだ生きている時間の鮮烈さである。
深作欣二は、伊右衛門を最初から冷酷非道な悪人として描かない。
彼は仕官の道を失い、仇討ちという大義にも完全には加わりきれず、貧しさと焦燥を募らせている。
その弱さと野心の隙間へ、お岩との愛、お梅が差し出す富、そして武士としての名誉が入り込んでくる。
だからこそ伊右衛門の裏切りは、単純な善悪では割り切れない。
「忠義」という巨大な物語のなかで、名もなき男女のささやかな幸福が踏みにじられていく。
その瞬間を、深作監督は情念の爆発として描き出す。
忠臣蔵では、主君のために命を捨てる男たちが英雄になる。
だが、その陰で捨てられた女の愛は、歴史には記録されない。
本作は、そんな“忠義の物語からこぼれ落ちた感情”を、お岩の亡霊によって歴史の中心へ呼び戻す映画でもある。
「怖いお岩」ではなく、「生きているお岩」
高岡早紀のお岩は、登場した瞬間から生命力に満ちている。
明るく、無邪気で、ときに大胆。
伊右衛門を見つめる瞳には色香があるが、それ以上に「この人と生きたい」という一途さがある。
彼女は、恐ろしい幽霊になることをあらかじめ運命づけられた女性には見えない。
笑い、怒り、甘え、自分から男を求める。
高岡早紀は、従来のお岩像にまとわりついていた陰惨さをいったん取り払い、恋をする若い女性としてお岩を画面に立ち上げた。
だからこそ、その幸福が壊されたとき、観客が感じるのは単なる恐怖ではない。
失われた命への痛みであり、愛したことそのものを裏切られた者の悲しみである。
第18回日本アカデミー賞は、高岡のお岩を、一途な恋に生きる新しいタイプのヒロインとして評価した。
高岡は本作で最優秀主演女優賞と新人俳優賞をダブル受賞している。
美貌だけでなく、その美貌が崩れ去ることさえ役の一部として引き受ける。
可憐さと官能、愛情と執念、生身の女性と亡霊。
そのすべてをひとつの身体に宿したことで、高岡早紀は「お岩」という古典的な人物を、1990年代を生きる観客にも切実な存在へと変えたのだ。

「撮影が終わったら辞める」と思いながら演じた転機
華やかな完成作の裏側で、高岡早紀にとって撮影は非常に過酷なものだった。
本人は後年、当時は着物にも時代劇にもほとんど慣れておらず、京都での撮影中、毎晩のようにホテルで泣いていたと回想している。
それでも途中で投げ出すことはせず、「撮影が終わったら辞める」と心に決めて最後まで演じたという。
最後の撮影で、深作監督が高岡にかけた言葉は「女優って楽しいだろ」。
高岡は現在の俳優活動について、この映画と深作監督のおかげだと振り返っている。
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』は、映画賞をもたらした代表作というだけでなく、俳優として生きていくことを決定づけた一本だった。
金色と琵琶がつくる、異形の時代劇
本作の魅力は、高岡早紀と佐藤浩市の演技だけではない。
脚本を手掛けた古田求は、「忠臣蔵」だけでも庶民に伝わった物語、歌舞伎、史実という複数の層があり、そこへ「四谷怪談」を加えたため、四つの物語に取り組むような作業だったと語っている。
その複雑な物語を、深作監督は沈鬱な怪談には閉じ込めなかった。
撮影の石原興は、従来の時代劇を一新するため「ゴールドの世界」をイメージ。
照明の中島利男も、じめじめとした怪談映画のお岩ではなく、可憐で美しいお岩を光のなかに浮かび上がらせた。
和田薫による音楽も忘れがたい。
深作監督が求めたのは、邦楽器を理解し、劇伴と現代音楽を書け、さらにロックの感覚を持つ作曲家だった。
和田は伊右衛門の琵琶を中心に、古典と現代が衝突するような劇的な音楽を生み出している。
血、金色、炎、雪、白い肌、琵琶の音。
それらが激しくぶつかり合い、画面を覆い尽くす。
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』は、過去の名作を丁寧になぞる時代劇ではない。
誰もが知る二つの古典を壊し、組み替え、愛と欲望の物語としてよみがえらせた、深作欣二ならではのエネルギーに満ちた映画である。
本作は第18回日本アカデミー賞で、最優秀作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞、撮影賞、照明賞の7部門を受賞。
1994年度キネマ旬報日本映画ベスト・テン、読者選出日本映画ベスト・テンでも、ともに第2位に選ばれた。

今あらためて観るべき理由
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』が今なお刺激的なのは、誰が歴史の主人公になり、誰の感情がその外側へ追いやられるのかを問いかけてくるからだ。
組織のために命を捨てる男は英雄になり、男に捨てられた女は怨霊と呼ばれる。
だが、お岩の愛と怒りは、本当に仇討ちの大義よりも小さなものなのか。
高岡早紀が演じるお岩は、悲劇の被害者にとどまらない。その圧倒的な生命力によって、男たちだけの歴史を内側から揺さぶる。
これは怪談という形を借りた、激しく、切なく、極めて現代的な愛の映画なのである。

『仕掛人 藤枝梅安』――殺し屋の「帰る場所」を演じる

『忠臣蔵外伝 四谷怪談』から12年。
2006年製作の『仕掛人 藤枝梅安』は、池波正太郎の人気小説を岸谷五朗主演で映像化したテレビ時代劇である。
脚本は田村惠、監督は林徹。岸谷五朗が藤枝梅安、小日向文世が相棒の彦次郎、原田龍二が浪人・小杉十五郎を演じ、高岡早紀は梅安の恋人・おもんに扮している。
藤田まことが闇の元締・音羽の半右衛門を演じることも、テレビ時代劇ファンには見逃せない配役だ。
本作は劇場映画ではなく、フジテレビと松竹が制作した93分のテレビドラマである。原作には「梅安蟻地獄」と「闇の大川橋」の二篇がクレジットされている。
表向きは腕利きの鍼医者として人々を救い、裏では金を受け取って悪人を葬る仕掛人・藤枝梅安。
ある日、梅安は小杉十五郎という浪人から人違いで襲われる。
後日、半右衛門から持ち込まれた仕掛けの標的は、小杉が梅安と取り違えた人物と同じ名を持つ安部主税之助だった。
梅安は彦次郎とともに安部家を調べ、旗本の当主・安部長門守と、その嫡男・主税之助が重ねてきた悪行を知る。
仕掛けは金のための仕事だ。
しかし梅安は、悪を知れば知るほど、自らの怒りを抑えられなくなっていく。
おもんがいると、梅安は人間に戻る
高岡早紀が演じるおもんは、物語を直接動かす仕掛人ではない。
なじみの店で働く女中であり、梅安の恋人である。
だが、本作におけるおもんの存在は小さくない。
人を救う昼の顔と、人を殺す夜の顔。
その境界に立つ梅安にとって、おもんと過ごす時間は、どちらの仕事にも属さない。
そこでは、梅安は鍼医者でも仕掛人でもなく、ひとりの男に戻ることができる。
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』のお岩は、自らの感情をむき出しにして伊右衛門へ飛び込んでいった。
それに対して、本作のおもんは、相手の言葉を待ち、沈黙を受け止める。
若さゆえの危うさや、相手を振り向かせようとする激しさではなく、すでに時間を共有してきた男女だけが持つ落ち着きがある。
高岡早紀は、おもんを過剰に神秘的な女性として演じない。
梅安の秘密を暴く役でも、裏稼業から救い出す役でもない。
彼が何者であろうと、目の前の人間として接する。
その自然な距離感が、梅安の孤独をかえって際立たせる。
闇の世界を描く作品において、おもんは光そのものではない。
むしろ、闇から帰ってきた男を、もう一度この世へつなぎ留める生活の温度なのである。
二つの原作を、一本のテレビ時代劇へ
本作は「梅安蟻地獄」と「闇の大川橋」を原作としているが、二篇をそのまま順番に映像化した作品ではない。
講談社による原作「梅安蟻地獄」の紹介では、梅安は医者の宗伯と人違いされて襲われ、蝋燭問屋の伊豆屋長兵衛を仕掛けることになる。
一方、2006年版では、人違いの相手や標的を安部主税之助と安部長門守に変更している。
二篇の人物や事件を組み替え、一本のテレビ時代劇として再構成した脚色であることがわかる。
岸谷五朗の梅安は、寡黙一辺倒ではない。
怒りや人間臭さを内側に抱え、小日向文世演じる彦次郎とのやりとりでは、仕掛人同士ならではの親密さものぞかせる。
原田龍二の小杉十五郎は、復讐心を抱えながらも、梅安たちの世界へ足を踏み入れていく若い浪人。
石橋蓮司が演じる安部長門守の不気味な存在感と、藤田まことが演じる半右衛門の静かな重みも、物語の闇を深くしている。
その濃密な男たちの世界に、高岡早紀のおもんが加わることで、ドラマには殺しとは別の時間が流れ始める。
もし、おもんの場面がなければ、梅安は人を救うことと殺すことのあいだを往復するだけの人物になっていたかもしれない。
愛する人と食事をし、言葉を交わし、明日もまた会いたいと思う。
そんな当たり前の感情が残されているからこそ、梅安が引き受ける「仕掛け」の重さも伝わってくる。
今あらためて観るべき理由
『仕掛人 藤枝梅安』は、善人が悪人を倒すだけの勧善懲悪ではない。
命を救う技術と、人を殺す技術を、同じ手が使う。
悪人を葬る行為に爽快感がありながら、その手を一度汚せば、何事もなかったかのようには日常へ戻れない。
だからこそ、おもんの存在が重要になる。
高岡早紀は、物語の中心で大きく感情を爆発させることなく、梅安が戻ることのできる場所をつくる。
出演場面の多さだけでは測れない。
そこにいることで、主人公の生き方や孤独の見え方を変える。
俳優としての成熟を味わえる役どころである。

12年後、女優の「強さ」は静けさへ
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』のお岩と、『仕掛人 藤枝梅安』のおもん。
二人の女性は、同じ時代劇の登場人物でありながら、物語のなかで正反対の役割を担っている。
お岩の愛は、物語を壊す。
おもんの愛は、壊れかけた男を日常へつなぎ留める。
お岩は、伊右衛門を強く求めることで、彼の弱さ、野心、卑怯さを暴き出す。
おもんは、梅安のそばに静かにいることで、殺し屋の奥に残された優しさや孤独を浮かび上がらせる。
1994年の高岡早紀は、自らの身体と感情を惜しみなくさらけ出し、スクリーンの中心で物語を燃え上がらせた。
2006年の高岡早紀は、すべてを説明しない。
声の温度、相手を見る間、場面に残す余韻によって、主人公の背景を感じさせる。
前へ出る力から、引くことで生まれる力へ。
ただし、それは存在感が弱くなったということではない。
むしろ、自分が画面の中心にいなくても、作品全体の温度を変えられる俳優になったということだ。
「魔性」だけでは、高岡早紀を語れない
高岡早紀には、しばしば「魔性」という言葉が付けられる。
確かに彼女には、見る者を引きつけ、何を考えているのか簡単には読ませない魅力がある。
しかし「魔性」という言葉だけでは、この二作品で見せた演技の豊かさを捉えきれない。
お岩は、男を破滅させるために現れた女ではない。
一人の男を愛し、共に生きたいと願った結果、その愛を踏みにじられた女性だ。
おもんもまた、疲れた男を慰めるだけの都合のよい恋人ではない。
彼女が梅安をひとりの人間として扱うからこそ、観客もまた、仕掛人ではない梅安の顔を見ることができる。
高岡早紀の本当の魅力は、ただ「見られる女性」を演じるのではなく、彼女の存在によって、相手の男がどう見えるのかまで変えてしまうことにある。
伊右衛門の弱さを照らすお岩。
梅安の人間らしさを引き出すおもん。
愛が呪いへ変わる映画と、愛が居場所になるテレビ時代劇。
二作品を続けて観れば、高岡早紀という俳優が、激しい情念と静かな温もりの両方を表現できる、稀有な存在であることがよくわかる。
作品情報
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』
1994年/監督:深作欣二
脚本:古田求、深作欣二
出演:佐藤浩市、高岡早紀、荻野目慶子、真田広之、田村高廣、名取裕子、渡瀬恒彦、津川雅彦ほか
©1994 松竹株式会社
『仕掛人 藤枝梅安』
2006年/TVドラマ/監督:林徹
原作:池波正太郎「梅安蟻地獄」「闇の大川橋」
脚本:田村惠
出演:岸谷五朗、小日向文世、原田龍二、高岡早紀、鷲尾真知子、中山忍、本田博太郎、石橋蓮司、藤田まことほか
©松竹株式会社
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