『全裸監督』のモデルにして生きる伝説、村西とおる監督ご本人にインタビューしてきた!




前科7犯、借金50億、撮ったAV3000本!

Netflixオリジナルシリーズとして製作され、全世界に配信された『全裸監督』の大ヒットにより、その全盛期を知らない若い世代にも認知度が高まっている、伝説のAV監督・村西とおる。

今回貴重な時間を頂いて、11月30日から劇場公開されるドキュメンタリー映画『M/村西とおる 狂熱の日々 完全版』のお話を中心に、村西とおる監督ご本人にインタビューすることが出来ました。

1996年の夏、2週間にわたって北海道で行われた、世界初の4時間を超えるDVD用Vシネマ『北の国から 愛の旅路』と、35本のヘアヌードビデオの同時撮影!

過酷な撮影ロケ中に何が起こったのか? 数々の衝撃映像が収録されている、このドキュメンタリー映画の見どころや裏話を通して、生涯現役を貫く村西とおる監督のパワーの源を感じて頂ければと思います。

予告編




村西とおる監督プロフィール






1948年9月9日生まれ。福島県出身。高校卒業を機に上京。その後、バーテン、英会話教材や百科事典のセールス、テレビゲームのリース業での成功を経て、ビニ本の制作販売に転じ、「裏本の帝王」と呼ばれる。1984年にクリスタル映像からAV監督としてデビュー。1988年にダイヤモンド映像を設立。数多くの人気作品を世に送り出すが、衛星放送事業への投資の失敗により、1992年に50億円の負債を抱えて倒産するも、自己破産することなく借金の返済を続け、ついに完済。近年は数々のテレビ番組やメディアにも出演。
2016年に出版された、自身の波乱の人生を綴った本「全裸監督 村西とおる伝」が、Netflixでドラマ化されたことで若い世代からも注目を集め、近年は再評価の機運が高まっている。


意外過ぎる、初監督作品とは?






――まず個人的に、どうしても気になる点から聞かせて下さい。

村西監督:はい、どうぞ、どうぞ。

――村西監督がクリスタル映像でAV監督デビューされた、1984年9月のほぼ1年前の1983年7月に、ご自身初の監督作として、AVを一本撮ってらっしゃいますよね。

村西監督:そう!良く知ってるねえ。

――それがなんと、当時アメリカで大人気だったポルノ女優、アネット・へブンを日本に呼んで撮った『アネット・ヘブンのOH!歌麿』という作品だったんですが、これについてぜひお聞きしたくて。

村西監督:私はね、もうとにかくアネット・ヘブンが大好きで。当時はね、もう何としてもアネット・ヘブンに会いたい、アネット・ヘブンのアソコを見たい!もうね、そういう気持ちで(笑)。でね、自分のところのスタッフを、ニューヨークに行かせて。マサチューセッツ工科大学卒のインテリ女優という触れ込みだったんだね、あの時ね。それで、日本に彼女を呼ぶということに成功して、撮影したのが『OH!歌麿』ですよ。

――当時はまだ、レンタルビデオ店が普通に街中には無い時代ですから、私も全くそのビデオは見たことがなくて。確かに70年代は、東映さんが海外のポルノ女優を日本に招いて、劇場映画では色々撮ってたんですけど、それを一介の個人が企画して、しかもアネット・ヘブン主演と言ったら。

村西監督:もうね、世界最高峰ですよ。

――今で言ったら、ディカプリオとかブラピを日本に呼んで撮るみたいなものじゃないですか。

村西監督:ありえない!

――確かに、ありえないスケールですよね。

村西監督:いや、よく日本に来てくれたと思います。

――この頃から既に、監督の"メジャー志向"が始まっていたわけですね。「全裸監督」の本によれば、当時のギャラが1000万円だったとか?

村西監督:そうね、まあアメリカのポルノ女優というのはね、安いんですよ。今でも安いんですけど。大体ね、ひとつの作品でそうだな、30万円くらいですよ。

――え、そんなに安いんですか?

村西監督:契約も一日単位だから、どんな高い女優でも30万くらいかな。それを考えると、私は破格の金額を出しましたよね。で、日本に来て、まあ彼女も気のいい女性だから。

――「全裸監督」の本には、アネット・ヘブンへのギャラが、日払いだったと書いてあるんですが?

村西監督:いや、前金ですよ。前金で、半分をうちの人間に持たせて行ったんです。まあ、ボディガードみたいなのがひとり付いてきましたよ。

――とにかく色が白くて、肌が綺麗な女優さんでしたね。

村西監督:それでね、全身に産毛が生えていてね、ちょうど撮影スタジオに光が入ってくると、キラキラキラキラ全身が輝くんだね。それを見てね、もう頭が本当にさ、完全に真っ白になった。あの当時は、アネット・ヘブンで数千回オ○○ーしてるから。

――当時は本当に人気スターで、日本で公開される映画のタイトルの頭にも、"アネット・ヘブンの~"って付いてましたからね。

村西監督:そんなものを、俺は日本に呼んだっていうね!そうでしょ。要するにね、今で言う沢尻エリカよ。しかし、あなた良く知ってるね。

――はい、村西監督のお陰で、いい青春時代を過ごさせて頂きました(笑)。今でも『OH!歌麿』は観てみたい作品なんですけど。

村西監督:どっかいっちゃったもんなぁ…。もう今でもね、ホテルニューオータニの一室で撮影したんだけど、忘れられないね。

――撮影期間は何日くらいかかったんですか?

村西監督:ま、3~4日だね。

今回のドキュメンタリー映画について





©2019 M PROJECT



村西監督:もう作品はご覧になった?面白いでしょ。

――いや、素晴らしかったです!

村西監督:(満面の笑みで周囲のスタッフに向かって)ほら見なさい、素晴らしいという感想が出てくる!単に"観ました"じゃだめなのよ、素晴らしい!ああいうね、映画を愛している人たちにとっては、しびれちゃう内容だよね。我々が映画に期待しているもの全てが凝縮されてる。

――もう、とにかく"闘い"というか、"戦争"の一言でしたね。

村西監督:もうね、一般的にいうところの"ひとりインパール作戦"!我々人間が映像に期待するものは、全て入ってますよ。絶望や可能性やドキドキや希望や、そういうものがね、全て凝縮されてる。並の映画百本観たような映画だよね。

―― 一番凄いと思ったのは、村西監督が活躍を始めた80年代の業界と96年のこの撮影とで、起用する女優さんやスタッフの仕事に対する意識が、まるで変わっている点が描かれていることでした。昔ながらのプロ意識を周囲に求める村西監督に対して、全く周りがそれに応えてくれない状況と同時に、例えば合唱の指導をするモデルさんや、実力で他の俳優から役を奪い取る男優など、逆にプロ意識を持って仕事に臨んでいる人々の存在も描かれています。こうした複雑な状況の中で、村西監督がどういう心境で撮影に臨んでいたか、お聞かせ下さい。

村西監督:そうですね、だからその時はね、もう借金があったわけですよね。50億の内、20億を返済した先から、新たに5億借りてきて、そのなけなしの金で勝負をしたわけ。それでね、世界で初めてのDVDを作るんだ!と。その頃はDVDなんか誰も分からないから、DVDって言葉の意味も分かんないの。だから周囲からは、この監督は何をやってるんだろうと思われるわけですよ。私は4時間16分という前人未到の作品を作る上で、ノンストップで飽きさせないためには、色々な出演者が出てきて次から次へと映像の展開をしていかなきゃいけないという考えから、どうしてもそれだけの人員が必要なわけですね。そこで、あれだけの大所帯でもってトライしたんだけども、やっぱりね、人間の集団だから、もうね、予定に無いことばっかり起きてくるわけ。

――いや、本当に観てるこちらが辛かったです。

村西監督:そのお陰で、充分な予算でスタートしても、どんどんどんどんお金が減ってくる。しかし、肝心の映像の方は目標通り進まなくて、横道に逸れてばっかりで、いつね、富士山の頂上に辿り着けるか分からない。もうね、3合目くらいでアヘアヘアヘアヘ言ってるわけです。だからね、焦燥感はいつもありましたよ。もはやこれまでか、またおかしくなっちゃうのかと。そういう錐もみ状態の中で撮影していて、まあ、号泣したりするんだけども。それはね、撮影中にモニター見てて、自分の世界に入っちゃったの。目の前で役者が泣く演技をしてるんだけど、自分自身はモニターでそれを見ながら、俺はこれからどうなっちゃうんだろうとか、余計なことを考えちゃったわけ。今回この撮影で失敗したら、どえらいことになるぞ、またしてもと。それで、切羽詰って自分の方が悲しくなっちゃって。

――あ、それであのシーン撮影中に泣いてたんですか。

村西監督:要するに、再起を賭けて第二の故郷である北海道に来て挑戦しているんだけど上手くいかないという、もう一つの侘しさもあるけどね。まあ、頭の中にそんなことが錯綜してきて、自分自身を抑えきれなくなっちゃったんだね。あまり人前で泣くってことは無いんだけどね。

――確かに、村西監督が撮影中に泣く映像は胸に来るものがあったんですけど、あのシーンは役者さんの演技も良かったので、それで感情移入して泣いたのかと思ってました。

村西監督:自分が書いた台本だから、確かに感情が入る部分もあるんだけど、あまりに色々なことが起こりすぎて、パニックになっちゃったんだね。自分自身の思考能力が全くなくなって、ただ感情の高まりに呑まれたというか。

――実際映画の中でも、その日に使う台本が完成してなくて、ロケ当日の朝9時まで徹夜で書いてますよね。正直自分だったら、その場から逃げ出したくなる程の過酷な状況と思いました。

村西監督:やっぱり、来る役者も(オファーした役者と)違う役者が来たりして、ロケハンをする余裕も無かったので、実際に現地に行ってぶっつけ本番でやる。女優さんや男優がセリフを言えない、ロケ場所も考えていたような場所が取れない、そしてその度に台本を書き直すことになるわけですよ。

――大所帯になると、必ず2~3人は不平不満を言って自分の存在をアピールする人間がいるじゃないですか。この撮影でも、そうした女優たちのネガティブな言動で、現場の雰囲気が険悪になっていきます。

村西監督:どんなにお金を積まれても、女の子は(寒い場所の長期ロケには)行きたがらないんですよ。そこを人員をかき集めて行くわけだから、こういう不満を言う人たちを変えようにも、代わりが見つからないわけです。でも、そこでハッタリであっても勝負を賭けないと。弱みを見せてしまえばそれで終わりだから、私は妥協は許さないよと。突き進んで行かないと、次のステージには行けないから。

――そこで村西監督の要求するプロ意識と、現場のスタッフや出演者との温度差が明らかになってしまうわけです。撮影当日に現場に現れない女優を、村西監督が怒ったりせずに、この撮影が彼女のステップアップに繋がることを静かに説明するシーンには、この作品で関係者の皆が利益を得るようにする!という、村西監督の強い信念が感じられました。

村西監督:基本的にはね、もう全員が運命共同体!そういう認識だからね。食事も泊まる場所も、皆平等。自分だけが贅沢するとか、そういうのは無し。そういうのが信用に繋がっていくわけですね。あ、この人は邪な考えを持っている人ではないと。やっぱりね、お仕事のためだから、こういう言いたくない厳しいことも言わざるを得ないんだと。そうすると、ある種の共感や理解をしてもらえますよね。

――もしも監督がいい加減で、私利私欲で動いているような人間であれば、取り敢えず決められた本数を撮るだけ撮って納品して、作品のクオリティの部分で多少妥協しても義理は立つじゃないですか。でも、それをせずに、逃げないで踏みとどまって、より良い作品を作ろうとしている姿は、やはり素晴らしいと思いました。

村西監督:そういう評価をして頂くと、逆に私が感動しますよ。そういう視点からのご認識をしていただけるとね。素っ裸の自分で勝負するしかないんで、情熱ですよね。この仕事をすることで、皆必ず何かを得ることが出来ますよと。それは経験や人気かもしれないし、収入であるかもしれない。決してマイナスにならない世界だから、頑張ってみようよ!ということですよね。

昔からの盟友、清水大敬監督について






――こうした過酷な撮影の中、メイキング監督として清水大敬監督が同行されてますね。ドキュメンタリーの中にも、清水監督と村西監督が、お二人で談笑するシーンが2カット出て来るんですが、その時の村西監督の表情が物凄く嬉しそうで、本当にリラックスした雰囲気なのが印象的でした。やっぱり清水監督には特別な信頼があるんでしょうか?

村西監督:まあ、彼が男優だった時に、私がAV監督に抜擢した方ですから、気心が知れてるわけですね。彼自身のセンスというか、考えも私は良く理解していますから、自分をさらけ出すに値する、信頼できる人間なんですね。しかも同い年だから、色々な悩みとか辛さとか、そういう部分も共有できるということで、心が開いてたんだね。

――メイキング監督に指名したのも、やっぱり仲間というか、気心が知れていたからですか?

村西監督:そうですね、彼なら信頼できるし才能もあるから、いい映像を撮ってくれるだろうと。

――その起用が見事に成功していると感じたのが、撮影中に他の俳優から実力で役を奪い取られた男優さんに対して、ちゃんと清水監督がフォローに回るところでした。こんなことで帰っちゃダメだとか。

村西監督:あれは、焚きつけてるんだけどね(笑)。やっぱり製作監督であり、カメラマンである。そういうドキュメンタリー・ディレクターとしての意図がね、明確に捉えられてるわけですね。人間の持っている弱さとか、感情の高ぶりというかね、そういう運命に呑み込まれていく人を、引き上げておいて逆にまた突き落とすみたいなね。結構ね、いたずらっぽい扱いをしてるんだよな(笑)。

――いや、あの展開は正に人間ドラマそのものですね。

村西監督:あんなことになるとは、誰も思わないもの。

――あのシーンも、村西監督が作品のクオリティを考えていなかったら、撮影前日にキャストをいきなり変えたりしないですよ。だって台本の読み合わせの直後ですし、そのままの配役の方が絶対に楽じゃないですか。

村西監督:ああいうね、逞しい人間もいるわけよ、役者でも。「こんな奴よりも俺の方が演技上手いんだから、監督、俺の演技を見てくれ!」というね。彼も中々のサムライですよ。

――あそこで逆に意外だったのが、役を取られた側の男優さんの情けなさというか、えっ、闘わないで引き下がっちゃうんだと。ここでもプロ意識の差が明らかになってますね。

村西監督:意識の差だねえ。「僕はこの仕事で、のし上がっていきたい!」という根性じゃなくて、「もうそこまで言われたら僕はいいです、諦めます」というね。役者の世界も実力主義だからね。確かに、ある種冷酷なんだけど、こちらとしても勝ち負けをつけなきゃいけないから。だから大変にね、残酷なシーンだけどね。

――そういう意味では、このVシネマで主演されていたミステリアス・Kさんも、ちょっと問題行動と言いますか…。プロ意識に欠けるような行動で、何回も村西監督と衝突するじゃないですか。

村西監督:ま、そういうことなんだよね。やっぱりね、ああいう集団でお仕事をしたことがないから、どうしてもね、自分のポジションを見失ってしまうんだね。ちょっと目を離すともう、分かんなくなっちゃってる。

――撮影の空き時間に乗馬に行ったり、出番なのに姿が見えなかったり。

村西監督:行くな、って言ってるのにねえ(笑)。

ラストに待つ、衝撃の展開について






――公開前なので詳しくは言いませんが、この映画の終盤に物凄い衝撃のシーンがありますよね。

村西監督:あれはね、ベータカムのテープで120本、時間にして60時間分回してるから。やっぱりね、これだけの時間カメラを回していないと、ああいう衝撃のシーンは切り取れないよね。

――あの後に、ちゃんと撮影に復帰された女優さんもプロ意識があると言いますか。実際、アクションもかなり素晴らしかったです。

村西監督:まあね、彼女との信頼関係がありましたからね。やっぱり信頼関係が無いとね、あれ「ギャーッ」と騒いで終わりですよ。

――多分、あのまま帰っちゃいますよね、普通なら。

村西監督:やっぱりね、監督の期待に応えたいと、そういう彼女の想いがあるわけです。まさしく彼女の信頼ですね、私に対する。だからね、挑戦してくれたの。あんなのね、いくらでも「痛い痛い」ってわめいてりゃね、もう私が「終わりにします」って言うことになるから。でも頑張ってくれたんだから。

――あれ、訴訟に発展してもおかしくない状況ですよ。だって、実際に警察が来たって、映像の中で監督が電話で連絡受けてますから。

村西監督:(笑いながら)ホントよ、訴訟問題。

――これだけ混乱を極めた撮影状況の中で、バブル崩壊後に生じた価値観やプロ意識の違いが明確に記録されている点で、僕は素晴らしいドキュメンタリーだと感じました。

村西監督:こんなのはね、もう二度と撮れない。今みたいにコンプライアンスだ、フェミニズムがどうのこうのと言ってる時代にはね、撮れませんよ。やはり作品のためにはね、"個"を捨てる。人間の一番美しい姿ってのはね、自分の"個"を捨てて、集団に馴染む。自分を犠牲にして集団に参加するという世界ですよ。だから、団体のパレード行進なんか、美しいでしょ。そういう意味ではね、まさしくあの作品は人間の真の姿を描いていると。製作スタッフも一致団結して頑張ってくれました。

――それはもう、観ていて良く分かります。それで今回、『北の国から 愛の旅路』を見ようと思ってアマゾンで探したら、中古市場で12800円という高値になってまして…。これはちょっと買えないなと。

村西監督:これはね、いずれにしても再編集して発売する予定です。今観たらね、いや、面白いよ。

――それを聞いて安心しました!では、そろそろ時間も終わりに近づいたので、最後の質問になります。

村西監督:え、短いねえ。

――最後にお聞きしたいのは、80歳をピークに活動すると公言してらっしゃる村西監督が…。

村西監督:85ね、85歳。

――あ、更に伸びたんですね(笑)。今はスマホなどの撮影機材を誰もが持っていて、更にネットからYouTubeなどで配信も手軽に出来る状態なんですが、この状況は村西監督にとってチャンスの場なのか、それとも先ほど言われたコンプライアンスや自主規制などで、表現が抑え込まれているので逆境なのか?その点についてお聞かせ下さい。

村西監督:それはね、やっぱりプロとしての自負があるから、シロウトでは撮れないものをね、どんな状況下でも撮れるという自信はあります。例えばひとりのAV女優さん、女性を撮る時に、私ほど類まれなる映像を撮れる人材はいないと思っています。それはどんなに映像機材が発達しようと、こういうスマホなんかの時代が来てもね、やはり映像センスという、この部分においては誰にも負けないと、自負しております。時代を超えてトライし続けていく意味、価値があるだろうと自負しています。

――年齢的な部分で不安などはありますか?

村西監督:自分の今の年齢、71歳というのは武器なんだ、ハンデじゃなくて。だって、この年齢でこういうことをやってるのは、ひとりもいないんだから。私にしか見せることの出来ない風景というものが、必ずあるはずなんですよ。そういう経験を蓄積した人間でなければ、描けない絵ってのがあるでしょ。そういうものを、皆さんに提供していけると考えております。

インタビュー終了後






村西監督:(資料として持参した村西監督の書籍を見て)嬉しいねえ、こんなにたくさんの本。めったにね、『裸の資本論』なんか出してくる人いないのよ。『裸の資本論』も面白かったでしょ。

――面白かったです!僕が一番好きなのは、村西監督が上京した時の"120円のしょうが焼き"のエピソードと、Tさんにお金を借りに行った際のエピソードなんですよ。この2つが時間を超えて見事に繋がるんですよね。

村西監督:「よく僕の所に借りに来てくれました」なんて普通は言えないよね。5万や10万ならいいけど、何百万だからね。しかも頼んだ額の倍以上のお金を振り込んでくれるんだから。だから、"情けは人のためならず"だよ。

――やっぱり、人の信頼を裏切らないってことは、何よりの財産ですよね。

村西監督:結果として、またその人の評価が高まるんですね。

最後に






2012年の大病から文字通り奇跡の復活を遂げた、村西とおる監督。

椅子に深く腰掛けたまま、こちらの質問に淀み無く答えるその姿には、年齢を感じさせない若さとエネルギーが満ちているように感じました。

それはきっと、数多くの修羅場をくぐり抜けて来た男だけが持つ、一種の悟りにも似た境地が生み出すものだったかもしれません。

11月30日(土)からテアトル新宿、丸の内TOEIほかで、全国順次公開されるドキュメンタリー映画『M/村西とおる 狂熱の日々 完全版』は、今回2018年10月に中野ゼロホールで一度だけイベント上映したものを再編集した、完全版での公開が実現!

インタビュー中でも触れた"衝撃映像"とは、果たしてどんなものなのか?是非劇場で目撃して頂ければと思います。

公開前日の29日(金)夜にはテアトル新宿で前夜祭が開催され、村西とおる監督とゲスト陣が登壇。更に公開日の30日(土)に丸の内TOEIでは、村西とおる監督と野田義治氏(サンズエンタテインメント会長)による舞台挨拶が行われるなど、生の村西とおる監督に出会える機会も用意されているので、ファンの方は是非この機会をお見逃し無く!

(文:滝口アキラ)

イベント詳細




11月29日(金)公開記念前夜祭
会場:テアトル新宿
時間:20:30上映回(予告なし/上映前舞台挨拶)
料金:2,000円均一
登壇者(予定):村西とおる、西原理恵子、高須克弥、片嶋一貴監督
テアトル新宿 公式HP:https://ttcg.jp/theatre_shinjuku/

11月30日(土)初日舞台挨拶
会場:丸の内TOEI2
時間:11:00上映回(上映後舞台挨拶)
料金:1,800円均一
登壇者(予定):村西とおる、野田義治、相沢みなみ
丸の内TOEI 公式HP:https://toeitheaters.com/theaters/marunouchi/




『M/村西とおる狂熱の日々』公式サイト:https://m-kyonetsu.jp/
村西とおるオフィシャル・ウェブサイト:http://muranishitoru.com/
メルマガ「村西とおるのナイスな人達」:https://www.mag2.com/m/0001157093.html

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!