『永遠に僕のもの』の「3つ」の見どころ!ロレンソ・フェロの魅力が満載!



©2018 CAPITAL INTELECTUAL S.A / UNDERGROUND PRODUCCIONES / EL DESEO



本国アルゼンチンで2018年のナンバー1ヒットを記録、これが映画初主演となるロレンソ・フェロにも人気が集まっている映画『永遠に僕のもの』が、8月16日から日本でも劇場公開された。

70年代のアルゼンチンに実在した殺人犯をモデルに、17歳の美しき犯罪者が繰り返す強盗・殺人がポップに描かれる内容や、主演のロレンソ・フェロの美少年っぷりでも話題を呼んでいる本作。果たして気になるその内容と出来は、どんなものだったのか?

ストーリー


神様が愛をこめて創ったかのように美しい17歳の少年、カルリートス(ロレンソ・フェロ)。
欲しいものは何でも手に入れ、目障りな者は誰でも容赦なく殺す彼は、新しい学校で出会った、荒々しい魅力を放つラモン(チノ・ダリン)と意気投合。ラモンの家族も巻き込んで、様々な犯罪に手を染めていく。
だが、カルリートスは、どんな悪事を重ねても満たされない、ある想いに気付き始める。
狂乱のパーティのような日々の最後に、カルリートスが流した美し過ぎる涙の理由とは?


予告編


1:実在の殺人犯をモデルにした犯行内容が凄い!



ブエノスアイレスで1971年に殺人と強盗の罪で逮捕された、実在の少年犯罪者カルロス・ロブレド・プッチの人生にヒントを得て作られている、この『永遠に僕のもの』。

当時まだ17歳だったカルロスは最終的に11人の人間を殺害し、現在もなお刑務所に収監中だというのだから、その凶悪さには驚かされるばかりだ。

本作の冒頭で描かれるのは、この若き凶悪犯の実人生をトレースするかのように白昼堂々他人の家に侵入し、まるで我が家に帰ったかのように自由にふるまう主人公カルリートスの姿だ。

他人の家なのに大音量で音楽をかけて踊りまくり、最後にはバイクまで無断拝借して自分の家に帰るカルリートスだが、そこには罪の意識や後ろめたさ・逮捕されることに対する不安など、普通の人間なら行動に移す前にブレーキをかける筈の感情が欠如しているようにさえ見える。

実際、バイクをどこで手に入れたのかと母親に聞かれても、友達に借りたと即答できるだけの頭の良さと度胸を彼が兼ね備えていることが描かれることで、外見とは裏腹に狡猾な犯罪者の顔を持つこの少年に対して、観客が映画の序盤から興味を抱かされる点も実に上手いのだ。



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こうして、自分の衝動を抑えきれず日常的に盗みを重ねていた状況から、後に仲間となるラモンとの運命的な出会いを果たしたことにより、次第に犯罪の世界に深く足を踏み入れていく、カルリートス。

ところが、自分たちの身の安全を第一に考えて計画通りに犯罪を実行したいラモンたちと、自分の芸術作品や自己表現として犯罪を行おうとするカルリートスとの間には、やがて大きな溝ができていくことに…。

特に、自分が欲しいと思えば他人のものであろうと、何のためらいも無く自分のものにしてきたカルリートスが、ラモンとの関係の中で次第に無軌道に凶悪化していく様子は、彼の他人に対する人当たりの良さや天使のような笑顔も、実はその内面を隠して獲物に近づくために生まれつき備わった武器なのでは?と、観客に思わせるだけの説得力に満ちていて実に見事!

ストーリーが進むにつれ、その外見とは正反対なカルリートスの凶悪さが明らかになるだけに、彼があるシーンで見せる涙が非常に重要な意味を持つことになる本作。

無慈悲に犯行を繰り返したカルリートスが流した涙の理由は、是非劇場で!

2:期待の新人、ロレンソ・フェロの魅力が満載!



犯罪青春映画としても楽しめる本作の最大の魅力は、何といってもこの複雑な主人公を見事に演じた、ロレンソ・フェロの存在!

本編中にもセリフが登場するように、「まるで、マリリン・モンローのようだった」と評された実在の犯人のように美しいブロンドの髪と、中性的な外見を備えたこの新しいスターには、日本でも「第二のティモシー・シャラメ」とのキャッチコピーが付けられるなど、既に若い女性を中心に多くのファンが誕生しているようだ。



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実は過去に子役としての経験はあるが、本格的な映画出演や主演はこれが初めてとなる、ロレンソ・フェロ。

映画俳優としての活動に加えて、ラップシンガーとしてシングル曲やアルバムをリリースするなど、今後は様々な分野での活躍が期待されている彼からは、まだまだ目が離せそうにない。

本作の原題の通り、正に"天使"のような外見に底知れぬ才能を秘めたこの新しいスターの出現を、是非劇場の大スクリーンで目撃して頂ければと思う。

3:主人公が求めても得られなかったものとは?



主人公カルリートスの両親は、いたって平凡で良識的な夫婦。そんな平凡過ぎる両親の生き方や地道な生活に対する反動のためか、彼は良心の呵責や罪悪感とは無縁に、次々と盗みや殺人を繰り返していく。

表面上は彼女もいて、周囲の人々と良好な関係を保っているカルリートスだが、決して自分の周囲に犯罪者としての本性を見せることはない。それは彼のセクシャリティとも呼応するものであり、二重に隠された彼の本性を共有できる相手としてラモンが登場することになる。



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本来、自分以外の存在に対して興味や共感性を持てないカルリートスが、自分から興味を抱いたラモンに対して行う、まるで子供のようなアプローチの仕方にも意表を突かれるが、彼が何故ラモンに接近したかの理由、それは犯罪者の家庭に生まれたラモンに対して自分と同じ匂いを感じ取ったから、とも考えられるだろう。

カルリートスとラモンの関係に直接的な描写は無いのだが、触れそうで触れない二人の間の微妙な距離間や、カルリートスの表情の変化などで匂わせることで、逆に観客の想像力を刺激する手法も実に効果的な本作。

人の命や金品などの目的のためではなく、ただ自分が生きているという証を求めるかのように犯罪を繰り返してきたカルリートスの感情に、唯一火を点けたのがラモンの存在であり、この部分を踏まえれば、印象的な邦題『永遠に僕のもの』の持つ意味がより理解しやすくなるはずだ。



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そんなラモンに対しても、自身の身に危険が及ぶと予感するや迷いなく見捨てるカルリートスの二面性や、芸能界での成功を夢見るラモンが、自分や犯罪から離れようとしていると知ったカルリートスが咄嗟に取った行動などを見ると、実はカルリートスが愛しているのは自分自身なのではないか? そう思わずにはいられなかった。

そんな彼が本当に手に入れたかったものとは? そして、求めても得られないものに対して彼が衝動的に取った行動とは?

手の届かないものを求め続けて犯罪を繰り返した彼の人生が、いかに空虚で空しいものだったかを表現するラストの姿は、映画の冒頭で豪華な品々に囲まれた家でダンスを踊る彼と見事な対比をなす名シーンなので、必見です!

最後に



映画の冒頭でも描かれる通り、カルリートスにとって他人の所有物を奪って自分のものにする行為は、何ら良心の呵責や罪悪感を伴うものではなく、我々が道端の花を摘む程度の感覚や、自然と身に付いた習慣のようにさえ見える。

映画を観る限りでは、彼の犯罪行動や性格が生まれついてのものか、それとも平凡な両親への反抗によるものかは、観客には明らかにされてはいない。

その恵まれた美貌と人当たりの良さから、周囲の人々も彼を疑うことは無いが、自宅にバイクやレコードを持ち帰るのを見た母親だけは、本能的に息子の本性を感じ取っているかのようだ。



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だが、ここで疑問に思うのは、果たしてカルリートスは本当に他人のものを欲しいと思ったのだろうか? という点。

何故なら、次々に盗みや殺人を繰り返す彼の姿からは、欲望や目当てのものを手に入れた満足感や達成感を得ているとは到底思えず、あくまでも手に入れるまでのプロセスやスリルが目的で、物自体にはそれほど執着が無いように見えたからだ。

むしろ人の持ち物や命を奪うことは、彼にとって他者との繋がりや自分が生きている実感を得るための手段だったのでは? そんな考えが鑑賞中は頭を離れなかった本作。

犯罪を行っている間の緊張感やスリルだけが、自分が確かに今生きているという実感を与えてくれるものだったとすれば、彼が両親の様に平凡で良識的な生活に背を向けた理由も、より理解できるのではないだろうか。

自身の安全や逃げ道の確保を第一に考えるラモンの父親のようなプロの犯罪者と違い、あくまでも自分の内なる衝動に忠実な臨機応変さを好むことが、カルリートスを後の対立や破滅の道へと導くことになっていく。

例えるなら、目の前にあるものを盗り残して現場を後にするようなことは、彼にとって自身の安全を犠牲にしても避けたい事態であり、それは芸術家が自身の作品の仕上げの途中で作業を放棄するようなものなのかも知れない。

プロの犯罪者にとっては生活のための手段でしか無い犯罪行為も、カルリートスにとっては重要な自己表現の場なのであり、単に金銭を得たり欲望を満たすためではなく、そこに"完璧さ"や"美しさ"を求めたことが、後に彼の人生を破滅へと導くことになっていく展開は、実に皮肉であり悲劇的と言わざるを得ない。



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こうして、犯罪行為に対して一切の躊躇や良心の呵責も無く、次々に犯行を行っていくカルリートスだが、それは逆に彼が本当に必要で欲しかったものを手に入れられないことへの、一種の代償行為と取ることもできる。

満たされることのないその人生の中で、自分が本当に望んだものを手に入れるため、衝動的にある行動に出てしまうカルリートス。

この部分は日本版タイトルの『永遠に僕のもの』と見事に重なるので、今回の邦題は正に名翻訳! と言えるだろう。

"求めても得られない"という終わりの無い地獄から、果たして彼は救われるのか?

その後の彼の人生を想像せずにはいられないその見事なラストが、観客の心を掴んで離さないこの『永遠に僕のもの』。

女性だけでなく多くの方に観て頂きたい傑作なので、全力でオススメします!

(文:滝口アキラ)

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