『インデペンデンス・デイ』続編とエメリッヒ監督の“世界崩壊の序曲”

■「キネマニア共和国」

インデペンデンス・デイ

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7月のハリウッド映画の目玉ともいえる『インデペンデンス・デイ リサージェンス』。かつて地球を襲来するも人類の叡智によって撃退された宇宙人たちが凝りもせず、再び、パワーアップしてやってくるこの作品、長年映画ズレして久しい身からすると、ああ、ローランド・エメリッヒ監督がまたやってくれたか……という感慨に浸されてしまいます……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.142》

とにかくこの男、世界を崩壊させることに映画人生のほとんどすべてをつぎこんでいるといっても過言ではないようで……!

グモモモモ~ンと迫る
エメリッヒ独自の映像世界観


ドイツ生まれのローランド・エメリッヒは、ミュンヘンの映画テレビアカデミーの卒業制作で作った『スペース・ノア』(83)が84年度の第34回ベルリン国際映画祭オープニングに選ばれたことで注目を集め、おりしもビデオ・ブームに沸いていた日本でもソフト確保のために劇場上映がなされました。

軍事転用された気象衛星乗組員たちの確執を描いたこのSFサスペンス作品、既にエメリッヒの作家としての体質がにじみ出ている作品で、要はスケール感がはんぱないのです。

それは撮影のキャメラアングルなどの妙にあるかとも思われますが、やけに画面がグモモモモーンと縦横無尽に、そして奥深く広がっていく、そんなハッタリズムがストーリー以上に印象に残るのですが、それは以後のエメリッヒ監督作品のほぼすべてに共通する要素となっています。

ただし、そういったハッタリズムは前半こそ効果的ですが、後半次第にだれていきます。即ち、前半は面白いけど後半はしぼんでいく。これがエメリッヒ映画の長短合わせた特徴ともいえるでしょう。

最近のハリウッド超大作を任される監督たちは、正直今ひとつ個性が感じられない面々が増えてきている感がありますが、エメリッヒ監督作品の場合、一目で彼の映画だとわかる明快さがあり、映画作家としての筋を通しているのが楽しい限りではあります。

さて、祖父の遺した遺産を巡る第2作のホラー・コメディ『ゴースト・チェイス』(88)を経て、鉱山惑星の利権争いを描く第3作『MOON44』(90)が認められたエメリッヒは、ジャン=クロード・ヴァン・ダム&ドルフ・ラングレン夢の競演(?)『ユニバーサル・ソルジャー』(92)でハリウッド・メジャーに躍り出ますが、ここでの前半部、ヴェトナム戦争の戦死者を強化兵士としてよみがえらせ、テロリスト相手に戦わせる前半部の映像センスは目を見張るものがありましたが、クライマックスの両雄激突が意外にしまりなく、この監督は肉弾戦にはあまり興味がないのかなと思わされるものがありました。

続く『スターゲイト』(94)も、謎の遺跡で発掘された“輪”の力を科学者チームが解き放とうとする前半部はスリリングなのですが、いざその謎が解けて“輪”のむこう側へ行ってみたら……なんじゃこりゃ? といった拍子抜けの後半戦にがっかり。

こういったエメリッヒの弱点を『インデペンデンス・デイ』は多少なりとも解決してくれてはいますが、ただ、やはり宇宙人が地球を襲う前半戦のスペクタクル性に比べて、後半のアメリカ万歳的ヒロイズムの発露には若干首をかしげ、「お前ドイツ人だろ?」と突っ込みたくなる感も無きにしも非ず。

もっともヨーロッパ系の監督は意外にハリウッドに順応しやすい傾向があるように思われます。古くはドイツ表現主義の代表格フリッツ・ラングや、ナチスの脅威から逃れるべく母国オーストリアを離れたビリー・ワイルダー、逃れきれずに地獄を見たポーランド出身ロマン・ポランスキー、反骨の戦争映画『U・ボート』(81)で認められてハリウッドに渡り、今では”アメリカの舛田利雄”とも称すべき大作ばかりを手掛けるウォルガング・ペーターゼンなどなど。オランダ出身ポール・ヴァーホーヴェンのようにハリウッドの資金を用いてアメリカ批判を平然と行うツワモノもいたりします。
(これらの例に比べると、フランスの監督はなかなかハリウッドに順応しない傾向がありますね)

アメリカへの憧憬と
70年代パニック映画へのリスペクト


私自身、『インデペンデンス・デイ』のときにローランド・エメリッヒに取材させていただいたことがあるのですが、彼は『ポセイドン・アドベンチャー』(72)『タワーリング・インフェルノ』(74)といった70年代パニック映画が大好きで、『インデペンデンス・デイ』も自分の中では念願のパニック映画を作ることができたという感慨なのでした。

あと、戦争映画が大好きで、一番好きなのは連合軍がドイツ軍に大敗する超大作『遠すぎた橋』(77)だというのは実にわかりやすい奴だなと思ったものです。
(まあ、日本人もなんだかんだで『トラ・トラ・トラ!』70が好きだったりしますし、やはりみんな勝ち戦に憧れるのですかね)

この後、彼が手掛けたのがハリウッド製ゴジラ映画『GODZILLA』(98)でしたが、ここに登場したのは勝手知ったる我が国のゴジラではなく、その第1作『ゴジラ』(54)企画の際に大きな参考とした『原子怪獣現わる』(53)に倣ったトカゲのような怪獣でした。

そもそもエメリッヒはゴジラにまったく興味も愛着もなかったようで、当然世界中のゴジラ・ファンは激怒し、今ではこの怪獣はゴジラならぬジラと呼ばれたりもしていますが、ただ映画そのものとしては、やはり前半の怪獣による崩壊スペクタクル描写は群を抜いて素晴らしく、しかし後半は『エイリアン2』(86)の模倣かと勘繰りたくなるゴジラの卵をめぐる室内戦のしょぼさにがっかりと、またも前半良くて後半が失速するエメリッヒ映画を披露していました。

アメリカ独立戦争を描いた超大作『パトリオット』(00)もスケールこそ雄大なれど、エメリッヒのアメリカへの憧憬をはじめ、イギリスに対する敵愾心、フランスに対するシンパシーなどなど、ドイツ人監督の複雑な想いが如実に表れていて、また彼の映画にしては割かし後半持ちこたえているほうではありました(また、ここでヒース・レジャーが一気にスターダムにのしあがっていきます)。

温暖化のために地球が一気に氷河期に見舞われる『デイ・アフター・トゥモロー』(04)は、エメリッヒ映画の中でもっとも彼らしさが出ている作品だと思います。

ここで彼は自分が好きなパニック映画のオマージュを詰め込めるだけ詰め込んでいて、まさに70年代パニック映画ファン感涙の作品になっているのですが、ここでもやはり後半、動物パニック映画の要素まで取り込んでしまったことで若干失速してしまう憾みも残り(70年代パニック映画ブームは、低予算で撮れる動物パニック映画が増大して、結果的にしぼんでいったのだと個人的には結論だてています)、しかしそれもまたエメリッヒらしいかなと、こちらは勝手にほくそえんだりしたものでした。

その名のごとき『紀元前1万年』(08)も、スペクタクルのジャンルならばなりふり構わないエメリッヒらしいギャートルズ作品で、またここでは『アラビアのロレンス』(62)のオマー・シャリフをナレーターに起用しているのですが、ここに至ってなぜ『スターゲイト』の後半がああなったのかが理解できたような気がしています(要はあの映画が好きで、砂漠ものをやりたかったのね、と)

マヤ文明の予言をモチーフにした世界大崩壊劇『2012』(09)は彼の作品にしては大惨事が始まるまでの前半が異様に退屈という、珍しいパターンで、「家族のいざこざなんかどうでもいいから、とっとと地球を破壊しろよ!」とやじの一つも飛ばしたくなるほどでしたが、いざそれが始まると後半戦までスペクタクル性が持続するものにはなり得ていました。

近作『ホワイトハウス・ダウン』(13)は、彼にしては初ともいえる現代アクション映画で、ここでもアメリカ万歳的なベースが敷かれており、また『ダイ・ハード』(88)へのオマージュもちらほら見受けられましたが、やはりエメリッヒはファンタなジャンルの中であれこれぶっ壊してくれたほうが楽しい、というのが個人的な本音であり、その意味では今度の『インデペンデンス・デイ リサージェンス』に期待が募るところです。

聞くところによると本作品、最初はこの不穏なご時世を鑑みて、宇宙人を友好的に描こうといった案もあったらしいですが、エメリッヒが「やはり宇宙人は悪くなきゃイヤ」と言って、結果として前作以上に極悪非道エイリアンの襲来となってしまった様子。

いかにも彼らしいなとニンマリしつつ、あとはまた後半しぼむか、もしくは持ちこたえるか、さらにはあのグモモモモーンとしたスケールをまた体感できるのか、今からワクワクしている次第です。

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(文:増當竜也

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