映画マーケットに潰されるな!!才能たち 後篇

■「役に立たない映画の話」

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日本映画の単館ロードショー作品は、この映画から始まった。

先輩  前回に続いて、単館ロードショー、ミニシアターからスタートした日本映画の監督たちの作品を辿ってみたいんだけど、そもそも日本映画の単館ロードショーが行われたのって、80年代後半に入ってからで、それまでのミニシアターでは洋画が圧倒的多数を占めたんだ。

女の後輩 なんで日本映画がかからなかったんですか?

先輩   簡単な理由さね。東京1館で上映しても、製作費と宣伝費、プリント代の回収が出来なかったから。

女の後輩 そんなにかかるものなんですか?お金が。

先輩   君はそういうとこ、実に疎いなあ。確かに映画1本作るのにはお金がかかるけど、そんなことしなくても、当時は日本公開出来なかった作品のストックや、それまで配給会社が買わなかった作品が、けっこう抱負だったんだよ。そういう作品を並べるだけで、ミニシアターの番組は編成出来た。

女の後輩 じゃあ、日本映画の単館ロードショー作品の最初って何なんですか?

先輩   うん。これはまあ、僕の思いも入ってるんだけど・・あの作品だな。

女の後輩 じらさないでくださいよおっ!!

先輩   わかったわかった。あの監督の、商業映画デビュー作だよ。

女の後輩  誰の?

先輩   森田芳光。

女の後輩  あの、伝説の・・・!!

先輩   残念ながら亡くなってしまったけど、今年1月には彼を慕う映画人たちの手で「の・ようなもの のようなもの」という映画が公開されたよね。その前日譚である「の・ようなもの」こそ、日本映画の単館ロードショー作品の第一弾だと、僕は考えている。

女の後輩   どこの映画館で上映したんですか?

先輩     渋谷にあった東急名画座という、小さな映画館だよ。

女の後輩   はあ? シネ・ヴィヴァン・六本木とかシネマスクエアとうきゅうとか、オシャレなミニシアターじゃないんですか?

先輩    まだどっちも出来ていないよ。「の・ようなもの」が公開されたのは、1981年の9月だからな。

女の後輩  でも、なんでそんな映画館で「の・ようなもの」が公開されたんですか?

先輩    当時の関係者から聞いた話だけど、東急名画座という映画館は、今はヒカリエになっている、渋谷東急文化会館の中にあってね。ここでは地下1階の東急ジャーナル(後の東急レックス)で、定期的に寄席をやっていたというんだよ。

女の後輩  あ!「の・ようなもの」って落語家さんたちの映画ですよね。

先輩  その通り。それと、これは推測なんだけど、渋谷生まれ渋谷育ちの森田監督は、その寄席に通っていたんじゃないかと思うね。

女の後輩  なるほど・・・。

先輩   そけと、この映画の興行に当たって、配給した日本ヘラルド映画と興行を仕切った東急レクリエーションは、特別な入場料金を設定するんだよ。これが995円。

女の後輩  なんでそんなに半端な額にしたんですか?

先輩    お釣りに5円玉を1枚渡すよね。それに「ご縁がありますように」と願をかけた。これまた森田監督の発想だったそうだよ。

女の後輩  それ・・・・面白い!!!

先輩    それと、当時東急レクリエーションは、歌舞伎町にミニシアターを作るので、そのために単館ロードショーのためのトライアルを繰り返していたんだ。「の・ようなもの」を東急名画座で上映し、当時新人監督として注目を集めていた小栗康平監督の「泥の河」を新宿東映ホール・1に続いて東急名画座でやったりと、シミュレーションを繰り返していたんだ。そこで得たデータや経験が、81年12月オープンのシネマスクエアとうきゅうに活かされたというわけさ。

女の後輩 ほおおお・・・・アグレッシブな時代だったんですねえ。

先輩   「の・ようなもの」をそういう形で公開したは良かったけれど、大ヒットしたわけではなくて、森田監督はその後事務所で監督依頼の電話を待ったというけれど、なかなか電話は鳴らなかった。

女の後輩 それで、どうなるんですか?

先輩   電話が鳴ったんだよ。その電話の主は、プルミエ・インターナショナルという制作会社の増田さんというプロデューサーからで、彼はシブがき隊の映画を作るべく、東映から依頼されていた。

女の後輩 シブがき隊・・って、あのジャニーズ系のボーイズ・ユニットの・・。

先輩  増田さんが。ある時東映の営業部長に呼ばれたので会社に行くと、「のおマッさん、シブがき隊というアイドルを知っちょるか?」と営業部長。「いいえ」と応えると「今、うちの娘がそのなんとやらに夢中なんだ。そこで頼みがあるんだが、このシブがき隊の映画を作ってくれんか?ちょうど夏の『Dr.SLUMP/アラレちゃん』の同時上映の枠が空いてるから、それと2本立てで全国公開や」と言うんだよ。

女の後輩 あの、映画ってそんなに簡単に作られるものなんですか・・・??

先輩  うん、まあ、そういう時もあるさ。

女の後輩 「娘が夢中だから」って・・それだけで・・。

先輩  とにかく、「の・ようなもの」を見ていた増田プロデューサーは、迷うことなく森田監督とコンタクトをとり、シブがき隊の映画は「ボーイズ&ガールズ」として、1982年7月に東映系で全国公開されることになる。だから森田監督は、商業映画2本目で、全国デビューを果たしたことになるね。

☆Jホラーという、パンデミックなきっかけ

女の後輩 それはそうだけど・・・うーん・・結局「ボーイズ&ガールズ」って、アイドル映画じゃないですか。

先輩  そうだよ。

女の後輩 そういう形でないと、全国公開作品を撮れなかったのかな?って。森田監督の作家性が必ずしも活かされていない企画じゃないですか。

先輩  世の中そんなに甘くない。

女の後輩  はああ??

先輩  アイドル映画だろうと何だろうと、必要なのは新作映画を撮ること。そこからまた、次のチャンスがめぐってくるかもしれない。とにかく、宝くじだって買わなきゃ当たらないんだから、「アイドル映画では、僕の作家性は発揮出来ません」って返事をしていたら、後の森田監督の快進撃はなかっただろうね。

女の後輩  それはそうだけど・・。

先輩  例えば、こういう例があるんだよ。時代は飛んで1990年代の後半になるんだけれど、Jホラーと呼ばれる映画たちが、この頃から増殖してくる。

女の後輩 それは覚えています。貞子が出るような恐い映画ですよね。

先輩  そのJホラーが、なぜあれだけ注目を集めたかといえば、それまでの恐怖映画とは異なる演出をしていること。そしてそれを、まだ若い監督たちが撮っていた。中田秀夫とか、鶴田法男、清水崇とかね。

女の後輩 その場合は、監督個人の力ではなく、Jホラーというジャンルが力を持ったと言えますね。

先輩  いいことを言うね。まさにその通りで、日本映画にはあまりなかったホラー映画というジャンルが、これによって拡大し、定着した。それもこれも、1998年1月公開の「リング」「らせん」の2本立てが、当時の配給収入で10億円を上げるヒットになったことがきっかけなんだよ。

女の後輩 配収10億円って・・・大ヒットとは言えないような・・。

先輩  それはそうなんだけど、日本製ホラー映画が2本立てでこの成績を上げた例は過去なかったから、数字以上にこのジャンルが鉱脈として大きく注目を集めたわけだ。「リング」の中田監督はそれ以前に、WOWOWがやっていた「J・MOVIE WARS」で「女優霊」を撮り、これがユーロスペースで単館公開され、あの独特の恐怖演出がにわかに話題になっていた。

女の後輩 つまり、その中田監督にチャンスを与えたプロデューサーがいたというわけですね。

先輩 その通り。以来中田監督は「リング2」「怪談」など日本でホラー映画を撮る一方、自作のアメリカ版リメイク「ザ・リング」の続編「ザ・リング2」の監督として、アメリカに渡った。

女の後輩 ハリウッド・デビュー!!

先輩  同じことが言えるのが清水崇監督で、彼はオリジナル・ビデオ「呪怨」を演出し、これがまた「とんでもなく恐い!!」と評判になっていた。その映画版「呪怨」「呪怨2」が製作・公開されたのが2003年のことだけど、これは複数のミニシアターを集めた、単館拡大という興行形態にも関わらず、「呪怨2」は興行収入11億円を上げるヒットになったんだよ。

女の後輩 清水監督も、アメリカで自作のホラー映画を撮っていますよね。

先輩 そう。2004年に「THE JUON/呪怨」を、2006年に「呪怨パンデミック」をアメリカで監督し、日本でも公開されているぞ。最近では「魔女の宅急便」の実写版を撮っているが(笑)。

女の後輩 こうして見ると、Jホラーってジャンルは、若手監督に全国公開のマーケットに出るチャンスを与えただけでなく、海外で自作をリメイクする道筋までつけたわけだから、確かに革命的な出来事だったんですねえ。

先輩  未だに「貞子3D」とか作っているし、またこのジャンルから新しい才能が出てくる可能性は、大いにあると僕は見ているよ。

才能は、新陳代謝しなくてはならない。

女の後輩 ところでなぜ、唐突にこんな真面目なテーマを今回扱ったんですか?

先輩  今、全国3400スクリーンもの映画館があるんだよ。それで今んとこ日本映画が外国映画より調子が良い。こういう時に、次の時代、次の世代のことをちゃんと考えておかなくてはダメだと思ったわけ。

女の後輩 若い才能って、確かに映画を撮らないとその才能も育ちませんからね。

先輩  今、機材が高品質で低価格になったせいか、自主映画を撮る若い人が増えていて、それが上映される場も、映画祭やミニシアターなどでけっこうあるんだ。でも、そこから突出した作品が見えない。それと、映画マーケットというものは、配給と興行で成立しているんだけど、自分の店の店先に並べる商品は、常に新鮮なものを並べなくちゃ。それどころか彼らがそういう新しい才能に場を与えていないことに問題を感じたから、場を与えないどころか、使い捨てにしていると感じる時さえあるよ。

女の後輩 どんな時に、ですか?

先輩  1本映画を監督させてみて、それがコケたら2回目のチャンスないんだよ、今どきは。映画1本の興行成績で、監督の人生が決まってしまう時代。

女の後輩 それはいけませんねえ。

先輩  何かそこに有効な手段はないものかと、過去の事例を探ってみたんだが、やはりこればかりは監督が主体性を持って闘わなくては、いかんともし難いようだな。

女の後輩 頑張って欲しいものですよね。

先輩  そうだね。何に対して頑張るかと言えば、今のこの映画マーケットに潰されないように、今のこのマーケット環境を逆手にとるようなしたたかさが欲しいものだよ。

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(企画・文:斉藤守彦)


    ライタープロフィール

    斉藤守彦

    斉藤守彦

    斉藤守彦(さいとうもりひこ) Morihiko Saitoh 静岡県浜松市出身。映画館、ビデオ会社でのアルバイトを経て、映画業界紙「東京通信」記者 (後に編集長)に。1996年からフリーの映画ジャーナリスト/アナリストとなり、以後多数の劇場用パンフレット、「キネマ旬報」「HiVi」「ザテレビジョン」「日経エンタテインメント!」「宇宙船」「スターログ日本版」「INVITATION」「東京カレンダー」「アニメ!アニメ!」「フィナンシャル・ジャパン」「Pen」などの雑誌・ウェブメディアに寄稿。2007年秋に「日本映画、崩壊 -邦画バブルはこうして終わる-」を、08 年「宮崎アニメは、なぜ当たる -スピルバーグを超えた理由-」、09 年「映画館の入場料金は、なぜ1800円なのか?」、 10 年に「『踊る大捜査線』は日本映画の何を変えたのか」(共著) を上梓。 他の著書に「図解でわかるコンテンツ・ビジネス」1〜4(共著)、「ソノラマ MOOK/ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」(構成・執筆) 、電子書籍「日本映画、飛躍と困惑の過去・現在・未来」等があり、ここ数年は「映画宣伝ミラクルワールド」「80年代映画館物語」と、独自の視点による書籍を執筆。2016年3月には新作「映画を知るための教科書 1912−1979」が世に出る。現在、水道橋博士編集長のメールマガジン「メルマ旬報」で「2016年映画館物語」を連載中。また「BOOKSTAND映画部!」で、「映画を待つ間に読んだ、映画の本」と「映画惹句は、言葉のサラダ」の2つの連載を行っている。

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