指原莉乃という壁と引き際 AKB48 49thシングル選抜総選挙に向けて

DOCUMENTARY of HKT48

(C)2016「DOCUMENTARY of HKT48」製作委員会

243,011票。

昨年初の連覇を成し遂げた指原莉乃がひとりで集めた票数は、あの前田敦子と大島優子が最後に雌雄を決した総選挙でのふたりの獲得票数を足した数字に匹敵する。一昨年の指原自身の獲得票数から見ても5万票も上乗せしてきた過去最高の票数だ。5万票とは、12位だった北原里英の票数とほぼ同じであり、つまり指原は今年上乗せした数字だけでも選抜メンバーの16位圏内に余裕で入れるのだ。

「この壁は誰も越えられない」

惨敗(あえてこう書くが)した2位の渡辺麻友は壇上でついにそう言った。みんなが薄々思っていたが、言ってしまっては終わってしまうこの台詞をついに言った。渡辺にしても個人的には17万5千票という過去最高の数字を叩きだしていたにも関わらず、そしてまだ指原が何票獲得したか聞いていなかったにも関わらず、「この壁は誰も越えられない」と断定した。それがどんな壁なのかも分からないけれど、「自分のやり方」では越えられないということだけは確かであると実感しているといった物言いだった。

指原の票数の理由を語るときには、アイドルの中にタレントの知名度が混ざっているからだとか、HKTという組織をまとめあげているからだとか、露出が段違いに多いからだとか、いろいろと憶測が語られるが、本当の理由は分からない。しかし裏返すと「本当の理由は分からない」と言わせてしまうのが彼女の、彼女だけの凄味なのである。つまりは、その憶測される理由はきっとすべて正解だからだ。いくつもの理由が集まっているからこそ、文字通り桁違いの243,011票なのである。

彼女が初めて1位になったときは、確かに「指原が1位になったらAKB48は面白い」という動機がきっかけであったのかもしれない。ただそれは、前田・大島以後の新体制をファンもスタッフも無意識に模索していた数年前、決定的な次世代が台頭していなかったこともあり、指原というトリックスターをあくまで「つなぎ」として1位にしたら面白いというレベルでの「ムード」にすぎなかったと思う。

しかし指原莉乃はその「ムード」に全力で乗り、乗り続けることでムードをムードでなく事実にして、果ては「誰も越えられない壁」にした。運や流れを一過性のものにしないためのこの数年間の彼女の才覚や努力はずば抜けていた。アイドルでなくても、どんな仕事をしていてもチャンスをモノにするということはそれだけで困難だ。しかも彼女は背伸びをしてチャンスをモノにしただけでなく、その後も足が痛くなっても背伸びを続けたのだ。そしていつしか本当に背が伸びた。

彼女はその活動がアイドルの域を超えているのだからと否定的な意見も耳にするが、その場所に行くための才覚や努力がアイドルの域を超えていただけなのである。実際に彼女は日本一有名なアイドルとしてのパフォーマンス以外にも、バラエティタレントとしてのメディア露出、劇場の支配人、ドキュメンタリー映画「尾崎支配人が泣いた夜 DOCUMENTARY of HKT48」では監督まで務めた。だが、その無駄のない(ように見える)、パワフルな年月にも葛藤があったことを昨年のスピーチでは語っていた。

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(C)2016「DOCUMENTARY of HKT48」製作委員会

「AKBはそんなに簡単な場所じゃないです。たくさんの人が悩んで悩んでやっとここまできています」

前田・大島が卒業したころ、私は今後のAKB48はアイドルの先頭を走る存在として「指原的」か「渡辺的」か、どちらの価値観をアイドルとして是とするかが分かれ道であり、またその価値観の切磋琢磨がより組織を強くするだろうと思っていた。

躓く姿を見せることで勇気づけるアイドルか、四六時中微笑みかけることで勇気づけるアイドルか。実際、一昨年、昨年とふたりが1位を分け合ってきたし、個性は違っても両者はAKB48という組織のためにいるパーツだった。AKB48を壊す、守る、続ける。言い方はそれぞれであっても、組織のことを考えたときに自分がすべき「部分的役割」というものを掲げていたように思う。昨年も渡辺麻友はその手の立派なスピーチをした。

しかし、昨年の指原の言葉は違っていた。

「私もこの1位で3回目の1位になります。どうかどうか私を1位として認めてください」

組織のことを語る前に、圧倒的な勝利でも埋められない個人的な葛藤を吐露した、ように見えた。連覇をしたから許される個人的な発言、のように見えた。しかし違った。これは決して連覇が生んだ増長の結果ではない。ただの個人的な発言ではなく、総選挙の歴史を紐解けば、あるとてつもない「意味」が込められている言葉だったと分かるのである。

昨年で8回目を数えた総選挙において「この意味」を込めたスピーチが許されたのは、それまでにたったひとりしかいなかった。

「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」

この前田敦子の言葉と、今回の指原の言葉に共通しているのは、「自分のファンではない人に向けてのメッセージ」であるということだ。

これは組織の顔であると自他ともに認められた人にしかできない。自分のファンとの間にはわざわざメッセージをしなくても揺るがない絆があると確信している人にしかできない。

そしてもっと言えば、個人の物語が組織の物語と同一になるステージに到達した人にしかできないのだ。

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(C)2016「DOCUMENTARY of HKT48」製作委員会

指原は前田のいた地位まで登りつめた。そして、前田の頃よりも肥大化した組織に対する規律を促した。「私が1位であるAKB48という組織を認めてもらい、そして一丸とならなければ」というアジテーションにも近いそのスピーチは、7万票差という歴然とした結果とともに前述の「指原的」「渡辺的」という価値観が両立する時代に終止符を打った。

ただ、その乱暴なほどの「指原的一統」は個人と組織があまりにも重なってしまったことの裏返しでもあり、本来であれば(つまり指原が「つないだ」先の受け取り手がいれば)、その機会がすでにあったはずの彼女の引き際をよりいっそう困難なものにした。

48グループは、東京にAKB48、名古屋にSKE48、大阪にNMB48、福岡にHKT48、そして今年新潟にNGT48をつくり、もはや選抜メンバーたちは「JPN48」と呼んでもいい。ただ同時にそんな規模になっているにも関わらず、今は「SHR48」(SASHIHARA48)でもあるのだ。

こんな重責はある意味では「指原的」なアイドルでなければ背負えないとも言えるが、だとしても、いつまでも背負いつづけられるものではない。

今年の選抜総選挙はきっとその引き継ぎを占うものになる。まだ彼女は立候補を明言していないが、どちらにしても今年で最後の総選挙にするということは明言した。しかし、彼女は出馬すると思う。組織の今後のためには自分の出馬が必要不可欠だということを分かっているからだ。なぜなら、仮に指原不在の総選挙で誰か新星が1位になってもそこにインパクトはなく、その新星が今後を担っていくには「指原莉乃の3連覇を食い止めた」という箔が必要だからである。

指原莉乃の理想的な引き際とはきっと、「負けて、勝つ」ということだ。

当然彼女には圧倒的な票数が入るはずだし、とんでもなく高い壁ではあるが、そんな自分を倒す者がいてこそ、AKB48はこれからも「勝てる」。

AKB48史上最も引き際の難しくなったメンバーである指原莉乃は、個人が組織になってしまった者の宿命として、どこかでそんな総選挙を思い描いていそうな気がする。なぜなら、彼女はアイドルそのものが大好きだから。アイドルに救われた経験を持っているから。個人よりも、組織を、その組織が担う文化を、迷わず優先するだろう。喜んでその席を譲るだろう。

それはもう、個人があるひとつの組織を代表するどころか、あるひとつの文化を代表するということでもある。指原莉乃はそこまできている、きてしまった2010年代アイドルの傑作なのだ。それはまた、新しい重責だとしても。

(文:オオツカヒサオ)

    ライタープロフィール

    オオツカヒサオ

    オオツカヒサオ

    80年生まれ。普段はCMプランナー・コピーライター。夜な夜なコラムを書いています。洞察は執着から。執着は愛情から。よろしくお願いします。


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