『トイ・ストーリー3』の結末等に納得できない方へ


(c) Disney/ Pixar


『トイ・ストーリー3』
は前作『トイ・ストーリー2』からおよそ11年を経て世に送り出されたこともあり、映像技術は格段に進化、持ち主が大人になってしまって忘れられつつあるおもちゃたちの悲哀が強調された物語、“脱獄アクション”の面白さも相まって、公開当時から絶賛の嵐で迎えられていました。

今でもピクサー映画史上NO.1の呼び声も高く、まさに名作という言葉がふさわしい完成度を誇っています。

しかしながら、ある2つの点について、本作には否定的な意見もよく見られます。それは、悪役の辿る結末に納得がいかないということと、前2作に登場したボー・ピープというキャラクターがいなくなってしまったことです。ここでは、その2つの点に納得がいかなかったという方に向けた解釈をまとめてみます。

※以下からは『トイ・ストーリー3』の大きめのネタバレに触れています。鑑賞後に読むことをオススメします。


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1:悪役の辿る結末に納得できる理由とは?


ピンク色のクマのぬいぐるみのロッツォ・ハグベアは、保育園に寄付されたおもちゃたちを指揮する優しいリーダー……に見えましたが、その本性は独裁者そのもの。新入りのおもちゃたちを粗暴な年少者の集まりである“イモムシ組”の相手にさせ、囚人のように牢屋に入れるばかりか、「我々に絶えられない苦難を新しく強いおもちゃに引き受けてもらうんだ」とも言い放つ、差別主義的な考えをも持っていました。


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そんなロッツォは、手違いで置き去りにされ、やっとのことで家にたどり着いたものの、持ち主のデイジーが代わりのロッツォをかわいがっていることを見たために性格が歪んでしまった……という悲しい過去を持っていました。同情すべきところもあるのですから、彼がダークサイドに堕ちたまま救われないことに、居心地の悪さを覚える方もいるのも致し方のないことでしょう。

しかしながら、筆者はロッツォの辿る結末に納得しています。なぜなら、作中では何回も“改心できたはずの瞬間”があったのに、彼はその時の選択を間違えてしまっていたからです。

その1つは、ウッディから“デイジーから愛されていた証拠(「いつもいっしょだよ、デイジー」と書かれていたハート)”を見せられた時です。しかし、ロッツォはその証拠を、(自身と同じように捨てられたと騙していた)ビッグ・ベビーの目の前で壊してしまいました。

もう1つは、焼却炉にあった停止ボタンを押さなかった時です。その直前、ウッディとバズの決死の行動によりロッツォはバラバラにされずにすんだのに……ロッツォは、自身の命という一番大切なものを救ってくれたウッディとバズたちをも、見捨てていたのです。


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そもそも、持ち主のデイジーから必要とされなくなったというのも、ロッツォの勝手な思い込みにすぎません。考えてみれば、デイジーが代わりのロッツォを手に入れたということは、そこまでの思い入れが彼にあったということ。ロッツォが愛されていた証拠そのものとも言えるのに……。(しかも、一緒に手違いで置き去りにされたチャックルズとビッグ・ベビーの代わりをデイジーは手に入れていません。ロッツォだけがデイジーの“特別”であったこともわかります)

何より、ロッツォの邪悪なところは、自身が勝手に考えた歪んだ価値観を、他のおもちゃたちにも当てはめていたことです。一緒に置き去りにされたチャックルズには「俺たちみんな代わりなんだ」と耳を貸すことはなく、ビッグ・ベビーにも「お前なんて好きじゃないんだ」と勝手に言い放ち、果てはウッディたちには「俺たちはいつかみんな捨てられるゴミだ、それがおもちゃなんだ」とも告げていたのですから。ロッツォがケンに「彼女はバービー人形だ、同じものはごまんとあるんだぞ!」というのも、“代わり”がいたことに絶望した自身のトラウマの“当てこすり”にすぎません。

そんな風におもちゃを“どうせみんなゴミ”と画一的に見ているはずのロッツォが、そのおもちゃたちを階級的に分けて差別しているというのも矛盾しています。彼は自身が定めた価値観と都合しか見ておらず、他の誰かの意見など聞く耳を持たなかったのです。

いくつかの“改心できたはずの瞬間”で選択を間違え、そのくせ周りをも巻き込んで不幸にしてきたロッツォは、もはや救いようがありません。ウッディが「ほっときゃいいさ、復讐する価値もない」と言ったのもごもっとも。こんなやつを相手にしたところで、何の得もないですよね。


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また、ロッツォが辿る結末は、ゴミ収集車のフロントにくっつけられたまま走られるという、完全に希望が失われているものではないということもポイントです。ゴミ回収業車の男に「このぬいぐるみ、ガキのころ持っていたんだ!イチゴの匂いがする!」と、(雑に扱われたとしても)一応は愛されるかもしれない希望もあることも言われていましたしね。少なくとも、ウッディやバズたちが焼却炉で覚悟した“死”という絶望にくらべれば、大した罰とは言えないでしょう。

余談ですが、そんな風に“愛されていたことを信じられなかった”ロッツォがウッディやバズたちを見捨てたのに対して、“クレーンのアームを神様だと盲目的に信じていた”リトルグリーンメンたちがウッディやバズたちを救うというのもおもしろいですよね。信じることは、時には誰かを助けることにもつながるのかもしれません。

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