日本の名探偵と聞いて、誰を思い浮かべるだろうか。
横溝正史が生んだ金田一耕助。
江戸川乱歩が生んだ明智小五郎。
そして、もう一人、忘れてはならない名探偵がいる。
推理作家・高木彬光が生み出した天才探偵、神津恭介(かみづ・きょうすけ)だ。

明晰な頭脳と鋭い観察眼を武器に、複雑怪奇な殺人事件を論理で解き明かす神津恭介。
日本の本格推理小説を語るうえで欠かせない存在でありながら、映像作品としての魅力は、今あらためて掘り起こす価値がある。
そんな神津恭介を、独特の存在感と知的な佇まいで演じたのが近藤正臣だ。
1983年、テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」で始まった『探偵・神津恭介の殺人推理』シリーズは、1992年までに全11作が制作された。
今回の「金曜映画ナビ」では、その原点となる第1作『高木彬光の刺青殺人事件』(1983年)と、第2作『影なき女』(1985年)をピックアップ。
背筋が寒くなるような猟奇殺人と、謎めいた女性をめぐる完全密室。
昭和のテレビサスペンスが本気で挑んだ、知的で妖しいミステリーの世界を振り返りたい。
昭和の名探偵・神津恭介とは何者なのか?
神津恭介を生み出した高木彬光は、日本の本格推理小説を代表する作家の一人。
神津恭介が登場する『刺青殺人事件』は、高木のデビュー作としても知られる。
この探偵の最大の魅力は、何といってもその卓越した頭脳だ。
事件現場に残されたわずかな手がかり。関係者の何気ない言葉。複雑に入り組んだ人間関係。
一見すると無関係に思える事実の中から矛盾を拾い上げ、不可能に見えた犯罪を理詰めで解きほぐしていく。
金田一耕助が因習や血縁の暗部に踏み込む探偵だとすれば、神津恭介は知性そのものを武器に犯罪の構造を解体していく探偵、と表現できるかもしれない。
近藤正臣が演じる神津恭介もまた、大学教授という肩書きを持つ知識人だ。
大声で相手を威圧するわけでも、奇抜な行動で周囲を振り回すわけでもない。
落ち着いた物腰の中に、事件の本質を見抜く鋭さを秘めている。
そして本シリーズで、その知性を際立たせる存在が、大和田獏演じるルポライターの松下研三である。
研三が事件に遭遇し、神津に相談を持ちかける。
研三の視点を通じて観客も謎に入り込み、やがて神津の推理に導かれて真実へと近づいていく。
天才探偵と、事件を追うルポライター。
この二人の組み合わせが、難解になりがちな本格推理の面白さを、親しみやすいテレビドラマへと変えているのだ。
『高木彬光の刺青殺人事件』(1983年)――刺青を背負った美女、密室の浴室、そしてバラバラ死体

シリーズ第1作に選ばれたのは、高木彬光の代表作として名高い『刺青殺人事件』。
その題名からして、どこか不吉な空気が漂ってくる。
物語の発端は、刺青コンクールだ。
取材に訪れたルポライターの松下研三(大和田獏)は、美しい大蛇の刺青を持つ女性・絹枝(高田美和)と出会う。
コンクールで優勝した絹枝と研三は、その夜を共にすることになる。
ところが数日後、絹枝が自宅マンションの浴室でバラバラ死体となって発見される。
しかも、現場は外部からの侵入も脱出も不可能に思える密室だった。
一体、犯人はどうやって殺人を実行したのか。
研三は恋人・神津信子(叶和貴子)の兄である神津恭介(近藤正臣)に事件の相談を持ちかける。
すると神津は、捜査陣を悩ませていた密室の謎を鮮やかな推理で解き明かしてみせる。
だが、そこからが本当の難事件の始まりだった。
密室の仕掛けがわかったからといって、犯人までわかるとは限らない。
犯罪の方法と、犯罪を実行した人物。
その二つを切り分けながら真相へ迫っていくのが、本作の醍醐味である。

美しい刺青が、なぜこれほど恐ろしいのか
本作を特徴づけるのは、何といっても「刺青」という強烈なモチーフだ。
人間の肌に刻み込まれた図柄は、芸術であると同時に、二度と簡単には消すことのできない身体の記録でもある。
そこに殺人事件が絡むことで、美しいはずの刺青は一転して不穏な意味を帯び始める。
しかも本作では、高田美和が絹枝と珠枝の二役を演じている。
同じ顔を持つ女性たちの存在は、見る者に「目の前の人物は本当に誰なのか」という疑念を抱かせる。
身体に刻まれた印と、人間の顔が示す同一性。
本来なら個人を識別するはずのものが、かえって謎を深めていく。
その構図は、古典的な本格推理の魅力を凝縮したものといえるだろう。
近藤正臣の神津恭介が、怖さを“知的興奮”に変える
バラバラ殺人、密室、刺青。
並べてみれば、かなりおどろおどろしい題材である。
だが、この作品は単なる怪奇サスペンスには終わらない。
神津恭介という人物が登場することで、物語の重心が恐怖から推理へと移っていくからだ。
近藤正臣の持つ端正な雰囲気と、どこか底知れない知性。
その存在によって、猟奇的な事件が一つの巨大な知的パズルとして立ち上がってくる。
本作を監督したのは貞永方久。脚本はジェームス三木が担当している。
本格推理の仕掛けを軸にしながらも、登場人物の関係性や事件を取り巻く空気に目を向ければ、昭和のテレビ映画ならではの濃密な味わいが見えてくる。
第1作にして、シリーズの方向性を鮮烈に印象づけた一本だ。
『影なき女』(1985年)――2億円のダイヤと消えた美女、密室に潜むもう一つの謎

第1作から約1年4か月を経て登場した第2作『影なき女』。
こちらも、何とも魅惑的なタイトルである。
影のない女とは、一体誰なのか。
事件の中心にいるのは、政財界にも影響力を持つ金融業者の社長・森島信太郎(滝田裕介)。
ある日、森島は高額なダイヤモンドの商談中に殺害され、2億円相当のダイヤも奪われてしまう。
しかも殺人現場は、完全な密室状態だった。
事件直後、商談の席に同席していた「マキ」と名乗る女性(MIE)が姿を消していたことから、彼女に疑いの目が向けられる。
しかし、誰も出入りできないはずの部屋から、犯人はどうやって逃げたのか。
事件現場に居合わせた松下研三(大和田獏)は、神津恭介(近藤正臣)に相談しようとする。
そんな折、研三はテレビ画面の中に信じられないものを発見する。
そこに映っていたのは、姿を消したマキにそっくりなモデルだったのだ。
密室から消えた女と、テレビに現れた同じ顔の女。
この偶然にも思える出来事は、果たして何を意味しているのか。
神津恭介は、巧妙に張り巡らされた謎の糸を一本ずつ解きほぐしていく。
MIEの二役が生み出す、もう一つのミステリー
本作で注目したいのは、MIEが矢野文枝と矢野レイコの二役を演じていることだ。
第1作では高田美和が二役を演じ、第2作でもまた、同じ顔を持つ女性が事件の鍵を握る。
この共通点が実に興味深い。
第1作では身体に刻まれた刺青が強烈な存在感を放っていたのに対し、第2作では「顔」という、もっとも身近な個人の識別情報が疑惑の中心となる。
人は顔を見て、そこにいる人物を判断する。
だが、その顔が別の人物にも存在したとしたら?
私たちが当然のように信じている認識は、途端に揺らぎ始める。
本作の魅力は、密室殺人の謎だけにあるのではない。
「見たものを信じてよいのか」という疑いを、観客自身に突きつけてくるところにある。
MIEの二役は、まさにその仕掛けの中心に据えられている。
昭和サスペンスの華やかさと、欲望に満ちた人間模様
『影なき女』のもう一つの見どころは、2億円のダイヤをめぐる欲望の世界だ。
巨大な富、金融業者、宝石取引、そして複雑な人間関係。
第1作が刺青と猟奇殺人を軸に展開していたのに対し、第2作は金銭と権力を背景にした犯罪劇としての色彩を強めている。
森島の妻・世津子を演じる金沢碧、娘・有子役の比企理恵、そして森島の秘書・浜田主計役の村井国夫。
事件に関わる人物たちの立場や関係を追っていくことで、誰が何を知り、何を隠しているのかという疑問が次々に生まれてくる。
監督は野田幸男。脚本は下飯坂菊馬が担当。
第1作とは異なるスタッフの組み合わせで、神津恭介の世界に新たな事件を持ち込んでいる。
犯人は誰なのか。
消えたダイヤはどこへ行ったのか。
そして、姿を消した女の正体とは。
複数の疑問が一つの事件に絡み合っていく、正統派の本格ミステリーを楽しみたい。

2作品に共通する「同じ顔の女」――偶然の一致か、それともシリーズの魅力か
今回取り上げた2作品を続けて見てみると、面白い共通点が浮かび上がる。
第1作『刺青殺人事件』では、高田美和が絹枝と珠枝の二役。
第2作『影なき女』では、MIEが矢野文枝と矢野レイコの二役を演じている。
つまり、どちらの作品にも「同じ顔をした二人の女性」が登場するのだ。
さらに両作とも、密室殺人が事件の大きな謎となっている。
密室という、誰も出入りできないはずの空間。
そして、同じ顔を持つ別々の人物。
どちらも、私たちが目にした事実をそのまま信用できなくする仕掛けである。
鍵が閉まっていたのだから、犯人は出入りできないはず。
同じ顔なのだから、同じ人物のはず。
そんな常識が覆された瞬間、本格ミステリーならではの興奮が生まれる。
この2作品を続けて取り上げる意義は、まさにそこにあるのではないだろうか。
神津恭介の推理は、単に犯人の名前を言い当てるためのものではない。
「誰も疑わなかった前提」を疑うことで、見えていたはずの世界をまったく別の姿に変えてしまう。
それこそが、この天才探偵の面白さなのだ。
なぜ今、近藤正臣の神津恭介を見直したいのか
1980年代の「土曜ワイド劇場」といえば、旅情サスペンスや愛憎劇、意外な犯人が登場するミステリーなど、多彩な作品が制作された時代だった。
そんな中にあって、『探偵・神津恭介の殺人推理』は、古典的な本格推理の魅力を正面から打ち出したシリーズとして興味深い。
事件は不可解で、登場人物には誰もが怪しい部分があり、真相には幾重もの謎が張り巡らされている。
しかし、最後にものをいうのは偶然や超常現象ではない。
観察と推理、そして論理の積み重ねだ。
現代のミステリードラマでは、科学捜査や高度な情報技術が重要な役割を果たすことも多い。
それに対し、神津恭介の最大の武器は、人間の頭脳そのものにある。
目の前の事実をどう解釈するのか。
証言のどこに矛盾があるのか。
一つの可能性が否定されたとき、次に何を考えるべきなのか。
そうした思考の過程を楽しませてくれるところに、時代を超える魅力がある。
そして何より、近藤正臣の神津恭介がいい。
知的で、落ち着いていて、どこか近寄りがたい。
しかし、事件を解き明かすその姿からは、不可解なものに挑む純粋な探究心が感じられる。
大和田獏演じる松下研三との組み合わせも、物語にほどよい親しみやすさをもたらしている。
昭和のテレビドラマだからといって、懐かしさだけで片づけるのはもったいない。
本格ミステリーの楽しさを知るうえでも、近藤正臣版『神津恭介』は、今なお注目したいシリーズなのである。
まとめ――密室の謎を解くのは、いつだって人間の知性だ
刺青を背負った美女の惨殺事件。
2億円のダイヤをめぐる密室殺人。
そして、事件の鍵を握る「同じ顔の女」。
『高木彬光の刺青殺人事件』と『影なき女』は、どちらも本格推理の王道を踏まえながら、昭和のテレビサスペンスならではの華やかさと不気味さを備えている。
人間の欲望が生み出した複雑な事件を、明晰な頭脳で解きほぐしていく神津恭介。
その姿には、時代を超えて変わらないミステリーの醍醐味がある。
金田一耕助や明智小五郎は知っていても、神津恭介にはまだ触れたことがないという人にこそ、この2作品をおすすめしたい。
昭和には、こんなにも魅力的な天才探偵がいた。
その知的な推理の世界を、ぜひ一度味わってほしい。
作品情報
『探偵・神津恭介の殺人推理1 高木彬光の刺青殺人事件』
製作年: 1983年
初回放送: 1983年9月24日
放送枠: テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」
原作: 高木彬光
監督: 貞永方久
脚本: ジェームス三木
音楽: 羽田健太郎
出演:
近藤正臣(神津恭介)/大和田獏(松下研三)/叶和貴子(神津信子)/高田美和(絹枝・珠枝/二役)/志垣太郎(最上久)/仲谷昇(早川平四郎)ほか
©1983 松竹株式会社
『探偵・神津恭介の殺人推理2 影なき女』
製作年: 1985年
初回放送: 1985年2月2日
放送枠: テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」
原作: 高木彬光
監督: 野田幸男
脚本: 下飯坂菊馬
音楽: 津島利章
出演:
近藤正臣(神津恭介)/MIE(矢野文枝・矢野レイコ/二役)/大和田獏(松下研三)/滝田裕介(森島信太郎)/金沢碧(森島世津子)/比企理恵(森島有子)/村井国夫(浜田主計)ほか
©1985 松竹株式会社
シリーズをもっと知りたい方へ
近藤正臣主演の『探偵・神津恭介の殺人推理』シリーズは、1983年から1992年まで全11作が制作された。
2023年には第1作から第5作までを収録した『コレクターズDVD Vol.1』、第6作から第11作までを収録した『コレクターズDVD Vol.2』が発売されている。
今回紹介した2作品は、いずれもVol.1に収録。
詳しくは、ファミリー劇場・第1作作品紹介および第2作作品紹介も参照してほしい。

