究極の絶望の中から覚悟の希望を示唆する ロシア映画『裁かれるは善人のみ』

■「キネマニア共和国」

いつの世も体制とは理不尽なもので、民衆はそれに対して怒り、反発しますが、ではそれが報われることはあるのでしょうか……。

《キネマニア共和国 レインボー通りの映画街 vol.48》

ロシア映画『裁かれるは善人のみ』には、その皮肉かつ厳しい提示がなされています。
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悪い奴ほどよく眠る。そして
“裁かれるは善人のみ”


本作は、アメリカで実際に起きた事件を基に、舞台をロシアの小さな町に置き換えて作られた、ある家族の悲劇の物語です。

複合施設建設のために、入り江に立つ古びた小さな家に住む家族を立ち退かせようとする市長と、それに反発して訴訟を起こした家長のコーリャ。
彼の友人でもある弁護士ディーマは、市長の悪事の証拠をつかみ、これを武器に裁判で勝とうと画策します。

しかし、コーリャの後妻リリアはこのひなびた町を離れたがっており、町に留まるべく必死なコーリャとの気持ちもすれ違い、ふと気が付くとディーマと関係を結んでしまっていました。

そして、まもなくして市長側の反撃が始まりました……。
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ここではまず、体制のエゴによってありふれた一家族が崩壊していくさまがリアリスティックに描かれており、権力に対する民衆の怒りと哀しみなどを描出した反体制映画として捉えることも大いに可能です。
特にロシア映画で、こういった政治の腐敗や教会との癒着が描かれるのは前例がなく、その意味でも画期的な作品であるともいえるでしょう。

しかし、その一方で、神とはかくも無慈悲なものかと嘆かわしくなるようなドラマの数々が、家族の中で沸き起こっていきます。

別に善良でも悪漢でもない普通の家族の、個々の些細な気持ちのすれ違いやそれゆえのトラブルが蓄積していくに、やがて取り返しのつかない悲劇を招いてしまうという、そういった理不尽ともいえる人間の悲惨な運命が、ここでは濃密な自然背景描写を通した神の視線で見据えられ、全編貫かれているのには驚嘆するばかり。
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まさに本作のキャッチコピー「涙も枯れ果てる――」ほどの絶望感が見る者にのしかかっていきます。

『父、帰る』(03)『ヴェラの祈り』(07)『エレナの惑い』(11)といったロシア映画界を代表する名作で知られる監督のアンドレイ・ズビャギンツェフは、この結末を思いついたとき「いっそ製作を禁止してもらいたいほどだった」とコメントしているほどです。

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