インタビュー
大泉洋が駆ける?!映画『駆込み女と駆出し男』舞台・鎌倉東慶寺を散策してきた
大泉洋が駆ける?!映画『駆込み女と駆出し男』舞台・鎌倉東慶寺を散策してきた
2015年5月16日に公開される大泉洋さん主演、話題の映画『駆込み女と駆出し男』。
鎌倉時代から江戸時代までの長きにわたって、どうしても離婚したい女性がその手段として駆込んだ鎌倉・東慶寺が舞台となっています。
実は映画のロケ地は映画『ラストサムライ』の舞台でもあった姫路の円教寺です。したがって映画のスクリーン上に登場する東慶寺ではありませんが、本当の物語の歴史は当然ですがすべて鎌倉、そして東慶寺に収まっています。
当時の駆込み女・駆出し男は東慶寺を舞台にどのようなやり取りをしていたのでしょう。映画の封切りが楽しみな思いを馳せながら散策してきました。
鎌倉街道沿いにある東慶寺
JR北鎌倉駅から徒歩数分。鎌倉街道をしばらく歩いた右手に東慶寺はあります。
江戸時代は鎌倉街道からお寺の敷地に入ったすぐのところに大門があったらしく、そこに入るか、かんざしや草履などの身の回りのものを投げ込むことが出来れば、”駆込めた”ということになったようです。
しかし、駆込んだからといってすぐ離婚できるわけではありません。
この後事情聴取や調停、話合いなど、現代でも離婚前に行うような調整・やり直しの機会の場が設けられます。
別れたいという奥さんの気持ちを旦那さんが理解すればそこで離縁。どうしても旦那さんも納得せず、奥さんの筋道が正しい場合には、24か月(足かけ3年)お寺で働くことで離縁が成立するというやり方などもあったようです。
しかし中にはこの仕組みを悪用して、旦那さんへの不満を並べ立て離縁させようと仕向ける『浮気妻』もいたようですね。そのため、そのような人が安易に縁切りできないように『駆込み』が行われてからの調査はしっかり行っていたようですよ。
駆け込み寺の境内
境内を歩いてみると「縦に長い敷地だな」と感じました。
背骨のように奥に進む道がまっすぐあり、その左右に建物があります。一番奥は墓地です。
そして、とにかく奥に進むほどに標高が高くなります。街道から山門にいくまでに石段を上り、本堂よりも奥にあるお墓もまた石段を上りながら参ることになります。
この山門も石段も、江戸時代では男子禁制の場所だったようです。世が世なら男性の私が写真を撮れるような場所ではなかったのですね。
建物内には特別な催事でないと入ることが出来ないため、今回は可能な限りギリギリまでを見て回ってきました。山門に近い方から、撮影できたものを順にご紹介しますね。
鐘楼
左手にあります。鐘楼は大正5年に建設され関東大震災を乗り越えたそうです。鐘は南北朝時代のもの!600~700年前の鋳造…歴史を感じます。
書院
右手にあります。講演会などがあると入れるそうです。大正時代に建築されているもののようですね。
本堂
右手にあります。書院から一つ奥側です。
本堂は明治維新以降のお寺への扱いが変わったことや関東大震災で倒壊するなどの苦難の末、1935年(昭和10年)に現在のものが建てられたそうです。
ここには本尊の釈迦如来坐像が祀られています。
仏様
本堂からもう少し奥に行こうとすると、道は若干右に折れます。その折れるあたりの正面に仏様が奉られています。
東慶寺で働く人たち、東慶寺を訪れる人たち、そして鎌倉街道の往来の人たちを見守っているようでもありました。
白蓮舎
仏様の左側にある茶室です。こちらもお茶会・イベント時には開放されるようです。
宝蔵
仏様の右側の道を少し進むとあります。こちらは売店や宝物殿の機能もあり、宝物殿は見学することができました。撮影はできませんでしたが、当時の駆込み女に関わる江戸時代の資料・文書などが展示されていましたよ。
東慶寺に駆込んだ女性調べを遠山左衛門尉(とおやまさえもんのじょう:時代劇・遠山の金さんのモデルになった北町・南町奉行)が行った際の記録なども残っています。
遠山左衛門尉が東慶寺に駆込んだ女性の取り調べを行ったのは、ちょうど映画の中の時代と同じで、そういう歴史関係を知っているとまた楽しみが深まるというものですね。
墓地
お墓を見てきました。歴代の住職・院代のお墓のほか、近代では岩波書店創業者の岩波茂雄さん、哲学者の和辻哲郎さん、文芸評論家小林秀雄さんらのお墓があるなど、ゆかりのある著名人の魂が眠っています。
映画の中で出てくる法秀尼、映画中では良いキャラでしたけれど、江戸時代終盤の縁切りに関するルールをきっちりと定めていった出来る人だったようです。もちろん法秀尼のお墓もありました。
苔むした墓地はとても風情がありました。東慶寺自体に興味がなくとも、この雰囲気を味わうのも良いですね。
御用宿は街道沿いに
「駆込み女と駆出し男」の主役・大泉洋さんは離婚調停人の役を演じています。その調停人は東慶寺そばの御用宿というところで働いていたようです。
御用宿は主に街道沿いにあったと言われています。東慶寺から街道を跨いだ向こう側に、大泉洋さんが演じた役のような方が働いていたのかもしれません。
そしてこの鎌倉街道を、戸田恵梨香さん・満島ひかりさんが演じる女性が必死の思いで駆けていたのでしょう。
江戸・日本橋から東慶寺までは約13里(約51キロ)。多摩川の有名な船場・六郷の渡から9里(約36キロ)。家の人・長屋の人に捕まらないよう、女性は約一日の間、駆け続けたのではないでしょうか。
そして、駆込み女の手続きをしていたかもしれない寺役所が入口脇にありましたようで、跡地の碑が立っています。その碑が見えるところに『駆込み女と駆出し男』のポスターが張られていました。
まとめ『時代映画の舞台を訪れる楽しさ』
時代劇の舞台を訪れた場合、当時のそのままのものが残っていない可能性があります。したがって楽しみ方は、歴史を知って当時に思いを馳せることが中心になるのではないでしょうか。
今回の散策で言えば『駆込み成就』した大門がどこにあったのか、鎌倉街道に面したところにお寺があったことなどが実感として伝わりました。また、寺内で購入することができた資料を読むことで、駆込み女の事例や主演の大泉洋さんの演ずる役がどのようなことをしていたかを知り、肉付けすることができました。
インターネットでは得られない情報もまだまだあるものです。それが宝物殿やお寺の方のお話などから導き出せると、また一つその舞台となった場所を深くしることができるのですね。
そうして映画を観れば、さらに楽しみが倍増するのではないかと思います。
(文・奥野大児)
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