モントリオール映画祭が分断?幕末なのにプリクラ? 『合葬』小林達夫監督独占インタビュー
こだわり抜いた冒頭シーンに監督魂が炸裂
―― 初めから幻想的なテイストにしようと、ある程度決めていたのですね。
小林監督「そうですね。ただ実際撮ってみて、挿話以外の日常的なシーンにも幻想的な空気感が出てきたと思います。脚本の段階で文字だと伝わりにくい効果を狙っているので、必要かという議論はあったのですが、撮ることができて良かったです。」
―― そういえば物語の冒頭から、不思議感が全開でしたよね。「何やら知れぬもの」から液体が漏れ出ていて…。これ以上言うとネタバレになっちゃいますが、観ている側にとってあのシーンは「え?いったいな何が始まるの?!」って、ハラハラドキドキでした。原作にもないシーンでしたし、この先どう展開していくんだろう?…って、つい前のめりになりました。
小林監督「江戸という長く続いた時代のなかで、例えば『百物語』のような創作物って、その文化の醸成し切ったゆえの表現だと思うんですよね。それが生きている人の心象を反映したり、逆にそれらの創作物から彼らがある予兆のようなものを受け取っていたはずだと考えました。現代でもフィクションが現実を先取りするようなことってあるじゃないですか?」
―― あります、あります。
小林監督「なので、これから起こることの予感のような切り口を用意しました。そして柾之助の『見る人』としての役割を意識づけたかったという意図もあります。雨を見る人・格子から見る人としての柾之助の世界に対する接し方ですね」
―― なるほど。そうい狙いがあったのですね。
小林監督「その後、映画の後半で起こることと同じ音を付けているのですが、序盤の柾之助にとってはその時代の胎動が、虫の音のように耳障りなものにしか聞こえていないんです」
―― 音にまで趣意を散りばめるとは…!冒頭のシーンって、人間関係でいうところの第一印象というか、観客に対する映画の自己紹介だと思うんです。ファーストシーンがとても不思議&幻想的だったことも、『合葬』という映画の方向性を示す、ひとつのきっかけになったように思いますが。
小林監督「確かに。『今からこういう映画を始めます』という紹介になってると思うので、幻想的な印象を強く持たれたのかもしれませんね」
リアルな人間達の、リアルな関係性が描きたい
―― 一方で、キャラクターや環境設定については、リアリティを追求した作りになっていると思いました。例えば、主人公の柾之助・極・悌二郎の3人で写真を撮影したところ。あの写真は、映画『合葬』の中で1つの役割を担っていると思うのですが、原作では撮りっぱなしになっているんです。
小林監督「そうですね。前半で撮影したきりになっていますね」
―― しかし小林監督の映画では、撮った写真を『合葬』というタイトルにぴったりの小道具として見事に昇華させていました。プリクラ然り、写真というのは、今も昔もハイティーンにとっての“友情の証”なんですよね。写真=青春を象徴するアイテムとして生かされていたのが印象的でした。
小林監督「かねてより、その年代…思春期の“微妙な関係性”みたなものを描くことに興味を持ってたんです。以前、自主映画でもそのような事を撮ったのですが、創作物のなかで、キャラクターをデフォルメしすぎることに抵抗があるんです」
―― 解ります。青春ドラマとか、結構多いですよね。
小林監督「作劇的な人物の配置ということで語られる面白いものもあると思うんですが、淡くてもリアルに感じられる関係性を表現したいんですよね」
―― いるいる、こういう人!みたいな?
小林監督「そうですね。リアルな性格の人達が動いて見える物語が描きたいと思っています」
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