インタビュー

2015年11月05日

原田監督と樹木希林の不思議な関係が見えた、映画『わが母の記』トークイベント

原田監督と樹木希林の不思議な関係が見えた、映画『わが母の記』トークイベント



原田監督は「早く映画を観せろ!」と生まれてきた?


後半で開催された客席からのQ&Aも一部ご紹介します。

質問「樹木さんのお母さんはどんな人だったのかと、映画好きという監督のお母さんが一番好きだった映画を教えていただきたいです」

樹木「うちの母はどうってことない人なので、監督のお母さんはどうですか?」

原田監督「何の映画って言ってたかもしれないけど、役者なんですよね。グレゴリー・ペックが大好きで、あとウィリアムホールデンも好きでしたね。僕がおなかの中に入っていて陣痛を起こしたときに見ていたのは、グレゴリー・ペックの『子鹿物語』を観ていた時だと言ってたかな。坂東妻三郎の『紫頭巾』とハシゴしてる時に、「僕が早く映画を見せろ」とおなかをたたいたという話はよくしてまして。やっぱり役者本位ですよね。それで『七人の侍』の木村功さんを見たくて、僕をダシに使って御殿場ロケに連れて行ってくれて。それで僕は野武士たちが動き回ってるのを見て怖がってたのは今も覚えてますけど」

樹木「お父さんはどんな感じですか?」
原田監督「全く話しにならない、つまらない銀行員です(笑)。映画の話は全くしなかったですね」
樹木「渋い感じですか? 木村功さんみたいな感じですか?」
原田監督「全然違いますね! いや、そうでもないですかね…若い頃はハンサムだったかもしれないです」

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質問「今の日本で撮りたい場所はありますか? あと、樹木さんは井上さんのお宅を拝見したかったとおっしゃっていましたが、家や別荘などを歩いて感じたことがあれば教えてください」

原田監督「やっぱり皇居の中を撮りたいですけど(笑)。『日本のいちばん長い日』で撮りたくても撮れなかったところなので。でもやはり、『わが母の記』も『日本のいちばん長い日』も全部そうですけど、ことに『駆け込み女と駆け出し男』は時代劇だったので、日本にはまだまだ時代劇も撮れるいいところがいっぱいあるんだなというのを皆さんにも観てもらいたかったですよね。同時に井上邸のように失われていってしまう所もあるし、別荘はまだありますけど」

樹木「松竹の社長のおかげで、川奈ホテルでも撮影できたじゃない。初めて撮影現場になったそうです」

原田監督「それと、迫本さんのお友達の後藤さんという方が『金融腐蝕列島 呪縛』の役所広司さんがやった役のモデルだったので、そういう繋がりもあって。映画はどんどん作っておくべきですね(笑)」

樹木「それで私はですね、今は鴨長明の『方丈記』に凝ってまして、4畳半一間でもうよくなりました(笑)。なんにも家には興味がなくなりました(笑)」


質問「私観ている樹木さんの映画では「葬式」や「死」の場面がよく出てきます。あとドキュメンタリー映画でインドの北部の仏教と関係のあるところに巡礼しているものもあったと思うんですが、それで、生と死の考えの基礎には仏教的なものがありますか?」

樹木「そうですね。仏教的というよりも、生も死も日常というか。生きてるまんま、死っていうのもそのまんま。此岸と彼岸というその境がどうもないみたいなんです。あんまり「死
」を特別視していないから、ちょっと面白いかたちになってしまうみたい。今作の最後のシーンでも、監督に「鼻に綿を詰めますか?」と聞いたら、「そこまで面白くしなくていいです」と(笑)。そのくらい、劇的な感覚がないものですから、多分そう受け取られたんだと思います。これからも私は、自分の身体もガンというものを抱えてますし、生きてるのも死んでるのも成り行きというか、そんな感じでおります」


原田監督に影響を与えた名作の話題も飛び出すなか、意外にも樹木さんが主導権を握って原田監督をけなしつつ、ほめつつ、たびたび笑いが起こり、チャーミングな樹木さんの姿も見られたイベントとなりました。

映画『わが母の記』は現在、DVD・Blu-rayが発売中です。

(文・取材:大谷和美)

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